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カトマンドゥとの遭遇 【ネパール紀行】

日付: 2019.02.20~2019.02.21

緩い。ネパールの第一印象はこれだった。

入国まで

飛行機を降りた後、僕は入国審査に向かった。方々の大都市大空港とは違い、ネパールのトリブバン国際空港は飛行機が停止後、そのまま滑走路を歩いて建物に向かう必要がある。飛行機から降り立ち、ネパールの地面を歩く。普段、入国前にはその空港の入管に直接通じる閉鎖的な通路を歩いて建物に入っていたため、すぐに脱走できそうな開放的な敷地を歩くのは、なんだか違法入国しているような気がして居心地が悪い。そのまま、赤い色をした建物の中に入った。

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一見、やる気に満ちたお出迎えだが、花壇には花が一つも咲いていない

空港の建物に入り、まずは税関書類の記入を行った。乱雑に大量に紙が置かれている。所々破れていたり、落ちていたりしてだいぶ緩い。さらに、記入用の台に置いてあるボールペンは3本程度であり、ボールペン渋滞という珍しい現象が発生していた。自分はサブザックに筆記用具を入れていたため、そのペンを使って記入する。そしたら、それを見ていた乗客からペンを貸してくれと頼まれた。思えば、これが入国後一番最初の会話だった。

「どこから来たの?」「日本、あなたは?」「アメリカ。トレッキングにいくの?」「そうだよ。」「いいね、頑張って。ペンありがとう。」

ネパールに入国するには、ビザを発行する必要がある。ビザは日本国内で発行することもできるし、当日空港で発行することもできる。同じ機体の多くの乗客は当日発行を選んだらしく、Visa発行機の前には長蛇の列ができていた。自分は日本にあるネパール大使館で予め発行していたため、税関書類とパスポートを握り締めて入国審査口へ向かう。

入国審査は毎回少し緊張する。以前、大学のプログラムでフィリピンに入国した際、相手が言っている英語がわからなかった以上に、プログラムの日程が分からなさすぎて何も答えられず、渋滞を作ってしまったからだ。ここは魔法の言葉、「サイトシーング」で押し切ろう。入国審査口では、いかにもネパールっぽいおじさんがいた。眠たそうに僕のパスポートを開き、見つめ、何やら書き込んでいる。どんな質問が来るだろうと緊張していた僕。ついに、おじさんは動き出した。ポンと僕にパスポートを返し、手で向こうに行けと払う。どうやら入国審査が完了したらしい。質問など一切なかった。

この緩さはなんだろう。日本のパスポートは最強だからだろうか、それだけではないような気がする。国内線を移動するような気持ちで入国審査ゲートを通り過ぎたら、ネオンが輝く「Visit Nepal」の看板が出迎えてくれた。「t」の文字が外れている。多分、日本のパスポートが最強だからだけではないと思う。

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ネパールの観光ビザ。僕は入管のおじさんを一生忘れないけど、おじさんは僕のことを多分1分後には忘れている。

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VisiNepal。訪れたのは2019年だけど看板は2020になっている。謎が多い。

待ち時間

荷物を受け取った後、僕はペマさんというシェルパ族の人を待っていた。大学の先輩に山小屋に就職した人がおり、その山小屋に毎年手伝いに来ていたのがペマさんだ。鹿を取るのが爆裂にうまいらしい。その先輩のツテを辿り、今回ペマさんにエベレスト・トレッキングのガイドをしてもらう事を頼んでいた。もちろん、ガイド料は支払う。日本円にして6万円ほど for 3週間。つまり、1週間2万円だ。物価が非常に安いネパールにおいて、このガイド料が安いかどうかは分からなかったが、先輩からの紹介という信頼料込で考えると、非常に安い値段だと思った。

ペマさんには事前からやりとりをしており、フライト情報も事前に送っていた。飛行機が到着する時間に空港に迎えに行くと言っていたのだが、自分が待合室についた時には写真で見たペマさんの姿はなかった。WiFiを使って連絡を試みると、すぐに返信は返ってきた。ひどい渋滞で、20分遅れるという。大きなリュックを背負い、待合室にいるとタクシードライバーがやたらに話しかけてくる。700 ネパールルピー(1 NRs;ネパールルピーはほとんど1 円)で中心街に連れて行くよと勧誘する。強気の値段設定だなと思いつつ、断ると他のドライバーが400 NRsでどうだと言ってくる。それも断ると、「じゃあ390 NRs!」とどんどん値下げして行く。定額の料金はなく、交渉・人次第で値段が上下するのだ。値切るのは当たり前と聞いていたが、勝手に値段を下げてくるのは面白かった。ただ、自分にはペマさんが迎えにきてくれる、それを伝えるといかにも時間を無駄にしたという顔で去って行った。5分後もしないうちに、同じタクシドライバーに声をかけられた。「400 NRsでどうだ?」。外国人の顔に判別が苦手なのは、どうやら日本人だけじゃないみたいだ。

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タクシードライバー。完全に獲物を狙う目をしていた。

声をかけてきたのは、タクシードライバーだけではなかった。急に片言の日本語で話しかけられる。110 Lの大きなザックにトレッキングシューズ。どう見てもこれからトレッキングをする観光客にしか見えない。トレッキングツアーの会社の勧誘だった。「日本人?日本語ガイド、2週間10万ルピー、英語ガイドは8万ルピー、一番安イ、間違イナイネ」。先輩のツテを辿ったのは正解だったみたい。

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大学1年から使っているザック。ほつれや穴をガムテープで補修してある。

人生初のゲストハウス

結局、ペマさんは40分遅れてやってきた。「夕方の渋滞が酷くて遅れてしまった、ごめんねー」と軽く言う。多分、僕が連絡を入れてから出発したんだと思う。僕と同じ便に乗っていたっぽい人はほとんど空港を出発していた。ペマさんの親戚が運転する車に乗り、Hostel Worldで事前に予約していたゲストハウスに向かう。朝食付き1泊 500 NRs、破格の値段なこのホステルで僕は人生初のゲストハウス宿泊を体験する(日本ではゲストハウスでアルバイトしているのにも関わらず、、、、だ)。夕方のカトマンズの道路はうるさく、混んでいた。夕方の渋滞が酷く遅れてしまったのはあながち嘘ではないらしい。疑ってしまった自分が少し嫌になった。

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渋滞中。バイクは楽そうだった。

15分ほどかかり、目的のゲストハウスに到着した。路地の奥の暗い場所、そこにゲストハウスはあった。中はさらに薄暗く、いかにも安宿の雰囲気がしていた。しかし、受付のお兄さんはそんな薄暗い雰囲気すら吹き飛ばしてしまう、底抜けに明るい人だった。「やぁ!よく来てくれたね!今日ネパール着いたの?君、日本人?今日はラッキーだ、他にも日本人ゲストがいるよ!おっと、でも君のルームメイトではないね。あ、ウォーターサーバーはそこだよ。ネパールでは水道水を飲んだらお腹壊すよ」。こんな調子でベットまでを案内されるまで、ゲストハウスとネパールのミニレクチャーを受けた。「じゃあ僕は下にいるからなんかあったら言ってね★」。ゲストハウス2階の鉄格子ベット2段目、薄めの敷布団と掛け布団。一人二つのコンセント、そこが僕のスペースだった。

ベットのセッティングやコンセントの操作をしている間中、ある人がずっと咳をしていた。聞いてみたら、どうやら風邪を引いているらしい。この密集空間で風邪はさぞかし移りやすいだろう。今で言う、クラスターだ。彼と明日の我が身を思い万人てきめんの最強風邪薬、葛根湯を差し上げた。幸い、彼の風邪は移らなかった。

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僕のスペースと病人

「クワクワ」な気持ち

一緒に夕飯を食べにいく約束を、ペマさんとしていた。ペマさんから着いたよと言う連絡が届き、1階に降った。下の受付にいると言っていた陽気なお兄さんは下の受付にいなかった。
「ネパール料理って知っているか?」
「うーん、知らない」
「OK、じゃあ連れてくよ」
これで今晩のレストランが決まる。彼はバイクに乗り、その後ろに僕は乗り、つまり二人乗りでバイクに跨がり、移動した。人や人力車、牛の合間を抜けていく。譲り合いが全くない中で我先に隙間を見つけて進む。妙にスリルがあった。街角の奥まった狭い外付けの薄い鉄階段を登ったところにレストランはあった。蛍光灯が弱いのか、お店の中は白々しい雰囲気が漂っている。ペマさんはダルバートをふたつとエベレスト・ビールを頼んだ。冷えていない瓶がすぐに運ばれてきて、冷えていないグラスに並々とビールを注ぐ。白々しい蛍光灯の下に見えるビールはあまり美味しそうではなかった。ダル・バートも続いて出てきた。ダル・バートとは、いわば豆カレーのようなものであり、カレールーが入った小皿がいくつかと、米、そして副菜(漬物の場合が多かった)がワンプレートに乗っているものである。ペマさんとは、フライトはどうだった、両替はどこどこがおすすめだ、これこれを明日中に買うといい、会話が淡々と進み、とある言葉が突然飛び出てきた。

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エベレストビール。スーパードライ 系の味がした。

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ダル・バート。どこにでもあり、日本でいうお味噌汁くらいの普及度。

「私、今回はトレッキング行かないよ」。え?自分の耳を疑った。事前に手配した意味はなんだったのか。この1日でネパールの緩さを知っていたが、ここまでとは想像していなかった。この時僕は驚いた顔をしていたと思うが、ペマさんは急ぐことなく続けた。「代わりに私の親戚のサンゲがガイドしてくれるよ。明日彼がカトマンズでの買い出しを手伝ってくれる。よろしく。」ガイド放棄という訳ではないらしい。少し安心はしたが、その時までずっとペマさんがガイドしてくれると思い込んでいたため、やはり驚きは驚きである。確かにペマさん「と」ガイドの話をしていただけであり、ペマさん「が」ガイドをしてくれると言う約束ではなかったけれども、それまでのやり取りからはペマさんがガイドしてくれると言う段取りだったように見える。サンゲはどんな人だろう、こんなテキトーな感じでいいのかな、不安になる。その後もペマさんと会話は続いたが、到着初日に持つべきワクワクとは全く反対の気持ちを抱いていた。この日、ビールはなかなか減らなかった。

次回「カトマンズ徘徊


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