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短編小説『異形の夢』悪夢シリーズ

 イヅアが死んだ。
 みんながイヅアの亡骸を食べようとしたから、私がイヅアを山の中に隠した。毎日一緒に生きていたから、どんなにお腹がすいたってイヅアを食べることはない。私はちっとも悲しくなかった。村の人間達に見つかれば殺されるか、大けがを負わされる、そうやってドジを踏んで死んでしまう仲間は後を絶たなかったから。

 人間達は私たちをモイデと呼んだ。バケモノとかヨウカイなんて呼ばれることもよくあった。私たちは山の中や、人間が捨てた朽ちた家や、屋敷の屋根裏で暮らしていた。力は弱かったけど、大勢で人間の子供を襲って殺して食べたりしていた。私は人間が好きだったけど人間が私たちを憎むことも理解できていた。

 ある時、私はガフとミユォと人間の食べ物を盗んでいる所を見つかって、捕まってしまった。温泉宿をやっている大屋敷だった。丈夫な蔵の中にある牢に押し込まれた。人間が「見世物にしよう」と話しているのが聞こえた。

 夜になって、蔵の小さな窓から月明かりが差し込んできた。ガフは捕まる時に人間に棒切れで叩かれて腹に傷を負っていた、ずっと血が流れ続けている。フーフーと苦しそうな息だけが聞こえていた。私は牢の柱の古くなっている部分を見つけて、齧って折ることに成功した。私とミユォはその隙間から無理やり体をねじ込んで脱出できた、ミユォはそのまま走りだしたけど、私はガフの腕を掴んで牢から引っ張りだした。

 私はガフを引っ張りながらミユォの後を必死で追った。ミユォはさっさと蔵の小さな窓に飛びついて、もう体の半分くらい外に出ていた。私はガフを窓に押し込んで落として、すぐに自分も外に逃げ出した。

 満月で屋敷の敷地は明るかった。その明かりの他に動く明かりが目に入った、人間だ。提灯を持った人間達の列がひと際大きな建物へ向かって歩いてるところだった。

 私たちの白い体は月夜に目立って、すぐに見つかってしまった。何かを叫びながら数人の人間がこちらへ走ってくる、きらりと光ったのは刃物の反射だろう。屋敷塀を乗り越えようとして足を踏み外したミユォが追いつかれて、あっという間に切られた。悲鳴を聞いてガフを掴んでいる手に力が入った。

 私は死ぬんだと思った。だからもう逃げるのを止めて、ガフの手を放して人間の列に突っ込んでいった。時間を稼ごうとしたわけでもなく、自然と体がそう動いた。予想に反して人間達はうろたえて、逃げるような姿勢になった。

 列の真ん中に守られるように小さな箱を持った老人がいた。私はその老人から素早く箱を奪い取った。箱の蓋が開いて中から白い丸い何かが地面に落ちた。

 それは小さな”餅”だった。

 私はそれを拾って一気に口に放り込んだ。背後でガフの弱弱しい悲鳴が聞こえた気がした。



 残業を終えて帰宅したのはもう深夜一時だった。終電特有の酒と汗とが混じったような有機的な匂いが体に纏わりついてるようで、私はさっさとスーツを脱ぎ捨ててシャワーのハンドルをひねった。

 上京してやっと今の仕事に就いたけど、”やりがい”という淡くて脆い理由を絆創膏のように心の傷に張り付けて、私はなんとか自分を保っているような状態だった。ため息と理由のわからない涙が、排水溝に流れていく。
 
 社会人になって性悪説を支持せざるを得なくなった。どうして人はこんなにも他人に対して悪意を向けることができるのだろう。生まれつきそう仕組まれているとしか考えられない。我さきにと競うように歩く人たちは舌打ちが挨拶の代わりだ。苛立ちを誰かに擦り付けて、自らの正当性を振りかざしては躊躇なく完膚なきまでに誰かを打擲した。

 一人暮らしを始めて、田舎で暮らしていた子供時代を思い出すことが増えた。周りには優しい人たちばかりで、私はアイドルだった。懐かしい友達や近所のおばちゃんおじちゃん達の顔が、まるで昨日の事かのように目に浮かんでは、すぐに滲んだ。

 瞬きの瞬間で現実に戻る、狭いワンルームのカーテンの隙間から、冬の街明かりがちらちら光っていた。欲望に満ちたネオンだ。

 適当に髪を乾かしてベッドの側面にもたれかかった。バックの中でスマホが光っているが今夜はもうあの画面を見たくなかった。このまま眠ってしまおうかとも思ったけれど、帰りにコンビニで適当に食べ物を買ったことを思い出した。ガサガサとビニール袋を漁って、新発売の赤いシールが貼られたプラスティック製の小さな箱をテーブルの上に置いた。

 それは小さな餅菓子だった。

 疲れた時は甘いものだ。私は透明なパッケージをぎこちなく外した。

 甘い匂いが鼻をつく。その瞬間、私の視界がぐらつく、目の前一面が小さな白いつぶつぶで埋め尽くされて、何も見えなくなり、そしてすぐに元に戻る、いつもの貧血だと思った。慌てることもなく、手づかみで餅菓子を掴む。

 柔らかい感触に、田舎で過ごした日々がまた脳裏に浮かぶ、はっきりと、鮮明に、まるで昨日の出来事かのように……。

 どうしてだろう、どこか絵空事のような気がする。私は確かにあの子供時代を過ごした。大人になるにつれ、思春期の脳内ホルモンは、私をその楽園から外界へ導いた。必死で勉強をして、少しの反抗心と、その何百倍もの冒険心をもって上京して、いまの地獄を手に入れた。

 地獄……、違う、私はもっと酷い地獄を確かに知っている。
 途方もない遥かな昔、もっと強く幸せな誰かを羨み、憧れ、欲した。もし生まれ変われるなら、彼らのようになりたいと願った。

 人間になりたいと、願った。

 私は餅菓子を口に放り込んだ。



 「よし、行こう」

 気が付くとイヅアが私の手を掴んで笑っていた。

 そこはいつもの洞穴の中で、これからイヅアと村まで行って、人間の食べ物を盗みに行くところだった。村では祭りの準備が進められていて、家に人がいないことが多くなっていたのだ。

「何かすごい宝物をお祓いするお祭りらしいよ」

 イヅアはそう言うと、鼻をすすった。

 私はその顔がおかしくて空腹も忘れて一緒に笑ったんだ。


そんな夢をみた。

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