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vol.70 モーパッサン「女の一生」を読んで(新庄嘉章訳)

昨年末から読み始めたこの小説、お正月を通り越してしまった。

作品を読むと、いつでもその背景が知りたくなる。著者の世の中の解釈に興味がわく。「脂肪の塊」は戦争があった。「ボヴァリー夫人」は道徳を考えた。「女の一生」は著者自身のことが気になった。

1883年刊行のフランス文学。

新潮解説にモーパッサンの生涯が載っていた。まさにこの作品で描かれている主人公ジャンヌは、モーパッサンが実際に生きてきた環境だった。リアルな文章は作者自身の思い出だった。そして、この悲観的な感性は、戦争体験と精神疾患が誘因となっているのかもしれないと思った。

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なんとも暗い孤独な田舎貴婦人の人生が描かれていた。ここまで悲観的に物事を考えると、生きることが辛くなるばかりなのになぁと思いなが読んだ。

<概要>
修道院を卒業した17歳の男爵令嬢ジャンヌは、これからはきっと素晴らしい人生が待っていると心躍らせる。やがて美青年子爵のジュリアンに恋をし、結婚する。しかし、結婚した途端に人生は一変する。夫は女中ロザリを妊娠させ、伯爵人妻と不倫を繰り返し、資産は取り上げられる。それ以降も、成り行き任せの思いつきでしか生きられない彼女は、なすがままに「悲しみ」に叩きつけられる人生が・・・。(概要おわり)

主人公ジャンヌの生き方をどう捉えればいいのだろう。

彼女に対しては、同情よりも愚かさが先に立ってしまう。しかし、一方的に彼女だけを責められない気もする。転がり落ちるような「悲しみ」に歯止めをかける術を知らない彼女を気の毒に感じる。彼女の育った環境は、生活のための労働は必要ではなく、生きるためのたくましさは逆にみっともない。爵位制度の中で優先されるのは世間体で、大地の緑や風やお金を愛し、教会に通いながら恋で暇つぶしをする。人生の幸福モデルも画一的で、多様な価値を持たない。ジャンヌが育った社会がそうだとしたら、同じような「不幸」はたくさんあったのかもしれない。モーパッサンが描いた誰かの一生「Une vie(ユヌヴィ)」は、意外とよくある一生だったのかもしれない。

現代では、幸福か不幸かは主観的で、「悲しみ」の感じ方はそれぞれ違っていいと主張できる。長い人生の中では、「悲しみ」は何回か起きる。多くの人たちがそれを一旦横に置いて生活を続けている。忙しさの中に「悲しみ」を紛らわす業も知っている。当時の人々の大半をしめる労働者階級の人々は、そうやって生活を続けていたのかもしれない。後年の女中ロザリのたくましさが、それを示てくれていた。

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ジャンヌは口癖のように繰り返した。「わたしはこの世では運がなかったんだよ」するとロザリが大声でどなった。「では、パンのために働かなくっちゃならないとなったら、なんとおっしゃるのでしょう?日雇いの仕事に行くために、毎朝6時に起きなくちゃならないとなったらね!ところで、そうしなくちゃならない人間は世の中にたくさんいるのですよ。そして、年をとると、慰めのないまま死んで行くんですよ」(p358) 

一部の富裕層に富が集中し、多数の国民が貧困にあえいでいたほんの150年前、政体が目まぐるしく変わるフランス社会では、産業革命の中で、ロザリのような労働者階級をたくましくし、従来の富裕層をか弱くしたのかもしれない。純粋無垢な「ジャンヌお嬢様」は、夫の不倫も息子の自立も、神に見放された不運としか捉えられないのだから。

最終行「世の中って、ねえ、人が思うほどいいものでも悪いものでもありませんね」(p373)は、女中ロザリの言葉だけど、もしジャンヌが同じ感想を持てたなら、彼女の一生は最後の最後で笑えるのになぁと思った。

おわり

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