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青がきれいな国に恋をした。1

東京に住んでいても、せいせいするような青空なんかにお目にかかることなんてありません。建物が高くて空は狭く、もやが掛かるようなくすんだ青。それが私にとっての、私の住む場所の空。

自然を知って自然を愛するようになった都会っ子には、よく知るはずの空がとても残念なものに見えています。顔をあげると、思わずため息が出るような深い青、木々の鮮やかな緑、勇ましいまでの岩肌。そういうものがある生活が恋しいなあ、と落胆のため息が出てくることもしばしば。

自然を知らなかった私を変えたのは、私が恋をした国。それが、ニュージーランドでした。

これからときどき、私とニュージーランドの思い出を少し、それと合わせて行った結果学んだ事を少し、お話ししようかと思います。

その前に、私のワーキングホリデーの簡単なお話がこちら、私がワーホリを始めた最初の7日間をお茶漬けのごとくさらさらとお話したものはこちらになるので、置いておきますね。

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ニュージーランドは日本から直行便で約11時間弱、オーストラリア右下に位置する日本より少し小さな島国。北島、南島、と呼ばれる2つの大きな島がメインとなっています。自然が豊かで、映画のロケ地でもよく使われますね。

ちなみに行くときはニュージーランド航空がとってもおすすめです。国際線は5回ほど利用しましたが、CAさん外れたことないし、制服かわいいし、映画のラインナップも毎回当たりだったし、タッチパネルで気軽に色々注文できます。機内食も美味しいし、アイスとかもくれる。もっと列挙したいところですが、この辺りでやめてみましょう。

そんな国に行くのだと職場の人に話したときに言われたのは、「オージービーフ!」。ってそりゃオーストラリアだよ。有名なのは羊ですが、でも牛もたくさんいる。そんな国。

さて、ニュージーランドの基礎知識はこの辺りにして。私がニュージーランドへワーホリをするに至った経緯でも今回はお話ししようと思います。

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20歳の誕生日の少し前から勤めた飲食店を、体を壊して辞めたのは21歳の誕生日の少しあと。もともと精神疾患のある私は、絶望の底へと突き落とされ、家から出ることも難しくなりました。自宅警備を任されなかなか離職を許されず、次に仕事を始めるのは24歳のやはり誕生日の少し前。

そして24歳の誕生日の少しあと、私は閃くように自分の中のわだかまりの一部の正体を知りました。何が辛かったのか、ここでは記しませんが、それを知った私は、急に心が軽くなるのを感じました。そして急激に元気になりました。その数ヶ月くらいあとには薬を飲まなくても生きていけるくらい元気になりました。まあ頓服では飲んでいたのですけれど。

元気になった私は、ふと思い出したのです。自宅警備員時代、母に言われた、留学してみれば?の言葉を。

そんな元気なかったし、そんなお金なんかないよ、とそのときはさらりと流したその一言が、急に甦ったのです。

ああ、海外に行こう。

当時の私はワーキングホリデーなんてシステムは知りませんでした。なのでまずは語学留学を調べたのですが、まあ、高い。3年無職した人間が数ヶ月、週20時間程度働いて出せる額では到底ない。じゃあホームステイはできないのかな?この金額なら2週間が限度だろうな…などとといろいろ情報を集めました。そこで私はワーキングホリデーを知りました。

これだ!!!!

先述の通りお金に余裕はありませんでしたし、どうせ長期間外国に行くならば、私は海外に住む、という経験をしたいと思っていました。友達を作るのでもなく、英語力を向上させたいでもなく、ただただそこで生きてみたいと思いました。

私は海外に行くことになにかを求めていたのだと思います。ですが2週間では私の求める、私もまだ知らぬ"何か"は見つからないように感じたのです。

でもワーキングホリデーならば、働けるから滞在費を稼げる!1年もいれる!どうやって友達を作るとか、仕事をどうやって探すとかなんて考えずに、これしかないんだ!!と強く思いました。

私はいろんなエージェントのサイトを訪れオフィスを訪れました。無償でサポートしてくれるところは語学学校からお金を得ているので、学校にいかないといけない雰囲気。有償のところはどこも高すぎる…。

そもそも私、語学学校必要なのかな?英語力には自信ない。中学3年のときに英検準2級を取ったけれどそれから10年経ってるしこの間なにも勉強してない。不安しかありません。でもお金もありません。

さて少し話がそれて、これからワーホリをする人向けのお話を。
ここは多くの人が考えるポイント、というか、ワーホリは語学学校から始めるもの、と思っている方も多いように感じます。これはワーホリを終えての話ですが、いままで会ってきた人たちは行ってない人も行った人もいましたが、効果は人それぞれ。行かないでペラペラになった人もいれば、行っても正直イマイチ、な人も。私と連れ立って一緒に行った子はほとんどしゃべれずだけど学校も行かず、臆せず常に挑戦し、いまはニュージーランドに住んでいます。

まずはどの程度しゃべれるかを自分で知り、どの程度自力で伸ばせるのかを知ってから学校に行ってもいいのかなと個人的には思います。この場合自分を試せる環境に自分を置けるか、というのも必要にはなります。私は後述するホームステイのあとバックパッカーズと呼ばれる安宿で、6人ベッドの女子部屋から始め、気がつけば8人ベッドの混合部屋まで住みました。

あとなんとなくでも英語のお作法を知ってから学校に行くと吸収良さそうだな~と、行っていないながらに思います。ちなみに私はですけれど、2カ国行ってみて多少しゃべれるようになったけれど、改めて語学学校に行ってみたいという気持ちもあります。

初期設定(銀行口座開設や労働者番号の取得、スマホの準備など)、英語が不自由だと難しいこともあるかと思いますが、現地に初期設定をサポートをしてくださるホームステイできる日本人もいるご家庭なんかもありますので、探してみるのもいいかもしれません。

もちろん最初から学校で自信をつけるのもありだと思いますが、その際は学生ビザ→ワーホリに切り替えることができるか調べてみると、ワーホリの自由時間が増えると思います。

この辺で私の話に戻してみましょう。学校はすごく悩みましたが、不安なりの英語が昔多少できたという微妙な自信と、とにかく金銭面が無理すぎました。そもそも語学学校に行けないから他の方法を探したのです。どうにか避けようと、先人の方の言葉を一生懸命探しました。具体的にはblogを読み漁りました。

そしてたどり着いたのは先述のような、サポートつきホームステイでした。そちらも決して安くなかったのですが、事前サポートもしてくれたし、ギリギリ予算範囲だったのでそちらにお願いしました。それから、そちらは語学学校は最初に行かなくていい派だったので、語学学校に行かなくていいのか、という不安をいい感じにごまかしてくれました。

そして私はその人の指導のもと準備を進めました。やったことは担当医に許可をとったり、パスポートやビザを取ったり、必要なものを買いそろえたり。ちなみに資金は仕事の貯金と祖母の貯めてくれた学資貯金で賄いました。

いろんな事を知った今はその人が言ったことが全てではなかったのだと知るのですが、当時の私はその人の存在で安心して信じきって、おかげでいろいろ進めることができたし、不安も質問をしては解消をしてもらえたのはよかったです。それが絶対でなかったにせよ、不安がなくなるのは大きなことだったろうと思います。それにそこで知りあった人たちとはいまでも良好な関係を築いているので、友達とで会えたことと安心料で、やはりお願いしてよかったと思います。

思い立って海外留学を調べはじめてから飛び立つまでには約一年ほどでした。貯金を含めた準備期間としては妥当でしょうか。

さてこれだけお金がないと主張した私のワーホリなのですが、あまりおすすめしないのが、ギリギリ予算のワーホリです。

現地でしかできない誘惑がわんさか、日本とは違う食事がたくさん、友達とお酒を飲む機会もあると思います。かなりをお金のせいで諦めました。なんと悲しいことでしょう。じりじりお金が減るストレスもすごいです。

住むように住みたい、というならば、仕事を見つけるまでの資金があれば大丈夫かと思いますが、それでもいつ仕事が決まるかわからないので節約生活を強いられると思います。

そんなことも知らなかった(というよりわかっていてもどうにもならなかった)私は少しのお金を準備して、そのうちに一緒にニュージーランドへ向かう相棒を紹介してもらい、2015年1月、私は青のきれいな国へ旅立ったのです。

それでは、続きはまた次回に。

すこしでも誰かのご参考になれば幸いです。
これを読んでくださったあなたの素敵な一日を願って。


(すごく余談なのですが、これだけ自分の話をしていると、読めば私が書いたと分かる人がいるはずで、私は知っている人に自分の作ったもの書いたもの見せるのがすごく苦手です。そろそろとても身バレが不安ですが、なんだかいまの私にはこれが必要な気がするので、書き続けてみたいと思います)

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