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そのひとことで私の一週間は肯定された。

待ちに待った時間だった。白で蓋をされた黄金色の液体が満ちたコップが二つ。高い音を奏でて、中身はゆれる。そのままぐいとコップをあおる。するすると喉を通り過ぎ、それは身体に染み渡るような気さえする。

なんだかとても安心した。

26歳になる年を、私はいつものように正月のおせちと雑煮に舌鼓を打ち、酒を飲みながら、家族の時間で始めた。食事の支度と後片付け以外は何もせず、一日中そうして過ごす。ああ、太ってしまう、なんて思いながらも、私の手は止まらない。一年の中でも罪悪感なくこんなことをしてのけられるのは、私にとって正月くらいかもしれない。

そうして迎える三が日の最終日、私は家族と空港にいた。

私はその日、日本から旅立った。

ニュージーランドへのワーキングホリデー。英語なんて真面目にやったのは中学が最後。海外経験は家族と行ったハワイとグアムだけ。一大決心のその日がやって来た私は、高揚と不安の渦の中心に佇んでいた。

とは言ったものの、私は一人で異国へ発ったわけではない。年下のとても可愛らしい女の子と連れ立っていた。行きの飛行機、席は離れていたものの、これからしばらくは彼女と行動をともにする予定であった。彼女もまた英語が堪能なわけではない。海外に慣れてもいない。

そんな二人の海外初心者たちは、二人の関係においても初心者だった。彼女と会うのはまだ三度目だった。

私はニュージーランドに渡航するに当たり、現地のちょっとばかり郊外に住むとある日本人の女性を頼った。ネットで見つけた、私たちのような人のホームステイを受け入れている人だった。彼女とやり取りする中で、一つの提案を受けた。

「同時期に渡航予定の人と、日程を合わせて一緒に来るのはどう?」

そうして私は彼女と行動を共にすることになったのだ。幸い東京に住んでいた彼女と、やはりそのあたりに住む私は、事前に顔合わせ兼友好を深める会のようなものを日本で二度して、それから一緒にニュージーランドの地に足をつけた。

それからは二週間のホームステイ、そこでは住むにあたってのセットアップを手伝ってもらい、必要な知識を教えてもらい、観光に連れて行ってもらった。そこでお世話になる人は基本、一番最初に語学学校には行かないと決めた人たちだった。そうして異国を体験したり、準備をしたりして二週間を過ごした。みんなで映画を見たり、ときどきはお酒を飲んだりした。

私は不安で緊張していたけれど、それは日に日に大きくなったけれど、それでも私は守られていた。ちゃんと日々を楽しんでいた。私は気が付いていなかったかもしれない。でも私は確かに守られていたのだ。

ホームステイ先を出た私たちは、そこから一番近い町のバックパッカーズと呼ばれる安宿の、六人部屋に住み始めた。三月から始める仕事も一緒だったからか、ホームステイを終えて、別行動をするという話にはならなかった。彼女はどうか分からないが、私は不安でいっぱいだったせいもあったのか、彼女と別行動をするなんて考えもしなかった。

最初にあった高揚はしゅるしゅると小さくなった。私は不安と恐怖と緊張のなかに突き落とされていた。友達も作れない。その前に英語も不自由で、周りの言っていることは半分くらいしか分からない。仕事を始めるまで時間があるし、何をしていいのかも分からない。真っ暗のなかを歩いている気分だった。

もともと精神疾患がある私は、安定したからここに来ていたのに、かなり状態が悪くなった。昼間から寝ていることも度々あったし、彼女に八つ当たりをしまい喧嘩をしたこともあった。もちろん、一緒に観光をしたり一人で街歩きをすることもあった。そういう時はわりと元気にしていた。そういうものだ。

そうやって一週間を過ごした。私にとって厳しい一週間だった。そして七日目の夜、私たちはとある場所に向かった。

今となってはいつしたのかは覚えていない、けれど私達は約束をしたのである。

「一週間を無事に切り抜けたら、お祝いに日本食を食べに行こう」

住んでいたバックパッカーズの近くには日本人の経営する日本食レストランがあった。何度も前を通りかかった。異国の中で、百パーセント分かる文字。慣れ親しんだメニューが見える。早く行きたいと、強く思った。

そしてその日、その場所に私たちは居た。

レストランでの外食もこれが初めてだった。宿にはキッチンがあったし、私たちは節約をしたかった。私のほうはかなりカツカツな予算だったし、ニュージーランドの外食はとても高かった。

しかし、なんと魅力的なメニューであろうか。日本食よりもイタリアンなんかを好む私も、母国の食事がとても恋しかった。とりわけ、刺身の文字は光輝いて見えた。ジャンルでいえばイタリアンなんかが好きな私ではあるが、一番好きな食べ物は寿司なのだ。でも日本食が一番ではないのは、日本食が当たり前にそこにあるからなのかもしれない。隣の芝は青い、そういう感じに近いのかも。

でも何はともあれ、飲み物だ。

二人とも酒が結構好きな方だった。二人きりになってからもときどきは酒を飲んでいた。

まずはビールだ。そうだ、あの輝くような飲み物が呼んでいる。そうやってドリンクメニューに目をやる。そこには、もちろんとも言えるのかもしれないが、日本のビールがあるではないか。スーパーなんかでも一種類、とある有名なビールならば買うことができた。しかしそれは私の一番ではなかった。だが、ここには何種類かの選択肢があって、私の好きなそれもあった。

ありがたいことに彼女もそれでいいと言ってくれた。店員さんに日本語で注文し、瓶ビールが一本と、グラスが二つ運ばれてきた。たしかお通しもあったのではないかと思う。

私たちは早速、意気揚々と、外国に来て最初の日本のビールをグラスに注ぐ。コップの淵までなみなみになるように。グラスを手に取って、顔を見合わせる。満面の笑みがそこにはあった。きっと私も同じ顔をしている。

「かんぱい!!」

ちん、と音を鳴らして、私たちはビールを口に運ぶ。とてもよく冷えていた。おいしい。おいしい、とても。外国産のビールも美味しいのだが、慣れ親しんだその味はこの上なくおいしく感じられた。そしてなんだか、とても安心したのだ。

大丈夫、私は明日から、また頑張れる。

そして頑張ったら、また乾杯しよう。

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