続・はじめましてのごあいさつ。

突然ですが、今これを読んでくださってるそこのあなた、心の中でひとことおめでとうをくださいませんか。

今日が記念すべき、私の30回目の誕生日なのです。

誕生日が好きではなかった私ですが(この辺はまたいつか)、死にたい死にたいと何度も強く思ったにもかかわらず、無事に20代を切り抜け、30代を迎えるようです。いまでもしょっちゅう死にたくはなるのですが、まあまあ、落ち着いているときは、死なんでよかったなと思う次第です。

そんな私の #自己紹介 をもう一回続けさせていただきたいと思います。とはいえこのnote全体がおっきな自己紹介みたいなものなのですがそれは置いておきましょう。今回は私を構築する大切な時間のはなしです。それではどうぞ。

こんな私ですが、ワーホリに行きました

学校仕事に次いで私の人生で大きなウエイトを占めたのが、海外での生活だと思います。25歳くらいのときにトータル1年ちょっと、そして昨年半年ほど、ニュージーランドとオーストラリアに、その際は主治医に了承を得て、ワーキングホリデーに行ってきました。

そして、それから私はもっと多様性を大切にするようになったと思います。それは普遍から外れてきた私をすこしだけ生きやすくしたかもしれません。それから自由を奪われることに敏感になりました。すこしだけ、強さと自信をくれました。

私のような10年以上精神疾患のある、入院歴のある人も、誰にも言わず諦めなくても、主治医と相談して、薬を頼りつつ、体調次第で行けるかもよ、という気持ちを込めて、そのときのことを簡単に書いてみようと思います。行けるよ!って無責任に言いたいのではなく、最初から諦めるのはちょっと早いよって話です。

ワーキングホリデーをご存じない方のために説明しますと30歳以下の若者が、1年間(国によるかも)滞在していいよ、その間お金もいるだろうし働いてもいいよ、もちろん働かなくてもいいし語学学校も行ってもいかなくてもいい、とにかくうちの国で合法の範囲で好きに過ごして!ってビザです。私の解釈ですと。細かいところは国によっても違うので、間違っていても悪しからず。私はいろいろ誤魔化したこともあるので(所持金や体調面)、検討される方はもっと確かなソースをご覧下さい。私及びこの記事の内容は一切の責任はとれません。

私の金銭感覚と海外生活

さて私、金銭感覚がなかなかくそみたいな人間でして、常に金欠に悩まされる海外生活になりました。

そんな人間なのでもともとの準備額が平均的な金額からするとかなり控えめでした。そういう情報をまとめたサイトでは100万とも言われている資金(事前の分も含んでいますが)ですが、私は2ヵ国目であるオーストラリアのときなんて15万円しか持っていっていません。たぶん事前準備合わせても30万とかです。

考えてもみてください。15万円って言ったら給料1ヶ月分にもならないかもしれません。(もちろんそれ以下の場合もあるのは理解しています。)それを持って職探しを1からして、1年以上そこにいようとしていたのです。まあできる。確かにできるが、ギリギリすぎる。オススメはしません。ストレス半端なくて2カ月目とか泣き暮らしました。

他にも、来週までに仕事決まんなかったら生活できなくて帰国!とか、しばらく無職して新しい仕事は明日から!来週までの生活費全部払った!残金3000円!とかやってました。

日本ならともかく、海外でコネもなくこんなことを平気でやってのけていましたが、運良く、ギリギリでいつも生きていけていました。本当に運良くとしか言えません。色んなところにありがとうございます。

滞在中の仕事のこと

ニュージーランドでは旅行と仕事を半々、オーストラリアでは大半仕事をして過ごしていました。ニュージーランドでは何回か精神的体調不良で病欠しました。

初めての国ニュージーランドでは、ホームステイ先の協力を得て、キウイフルーツの箱詰めを3ヶ月しました。そしてバックパッカーズ(安宿のことです。私の仕事したところはとても綺麗でとても安宿とは呼びませんが)でのエクスチェンジ(労働する代わりにただで泊めてもらう)→ワイン用のブドウの木の枝をワイヤーに巻き付ける仕事→箱詰め冷凍されたキウイフルーツの中身が悪くなってないか見る仕事、アボカドの箱詰め→キウイフルーツの花摘→チェリーのクオリティチェック→ワイン用ブドウの葉っぱ摘でした。

色んなことをしましたが、さすがニュージーランド、キウイフルーツ祭り。また細かいことはおいおい記事にしましょうか。

オーストラリアは日本での経験を活かしハウスキーピングをしました。それからアニマルファームで4ヶ月働きました。アニマルファームでの日々は濃くて辛くて人生で、経験しておいてよかったものになりました。こちらは後々別の記事で、めっちゃ語らせてください。

オーストラリアはもっと滞在するつもりでしたが、ファームで本気で自殺を考えるくらい追い詰められてしまったので、帰国しました。コロナの前に帰って来て結果的にはよかったです。やはり私は運が良いのだと思います。ありがとうございます。

海外どうだったかと言いますと

私にはすごく合っていたようで、特にニュージーランドでは日本にいるよりよほど元気いっぱいに暮らしていました。それでも時折薬に助けてもらいました。主治医によると私は対人関係にすごくストレスを感じるらしいので、継続的な人間関係が少なかったのもひとつの原因かもしれません。少なかったとはいえ、友達はたくさんできました。できなくて泣いた時期もありました。
しかし、ほんと海外合わないんだなーって友達もいたので、その辺は人によるでしょう。

また色んな国々から来たワーホリ同士、知り合うことが多くなるし、共通の苦労が多いのもあって、親しくなりやすいです。そのなかで色んな文化や思想に触れられたのも、日本にいるだけではなかなかできない体験だったと思います。そして優しい心には国境などなく、心に触れる言葉をかけてくれる人に、日本にいる以上に出会いました。

そういうものが、いまの私を形成するかなりの割合を占めています。きっと私はワーホリに行く前よりも自分をすこしだけ好きになったと思います。自分を構成するものによい変化をもたらしてもらいました。私の知らないうちに、私の何割かは、私の知らない人間になり変わっていました。とても、とても大きな変化です。私にとって大切な時間です。

ワーホリの話と銘打つべきか悩みましたが、私を作る部分という意味では自己紹介とさせていただこうと相成りました。そもそも自己紹介とはなんなのだろう…分からなくなってきましたので、この辺りで「自己紹介」は終わりにしようと思います。

最後に、冒頭でおめでとうを下さった皆さま、ありがとうございます。おかげで私の1日はより良いものになれたんじゃないかと思います。代わりと言ってはなんですが、東京付近より、あなたの素敵な日を祈っております。

#自己紹介 #ワーホリ #精神疾患 #生き方 #エッセイ

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