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41/嘘か本当かわからない話
<3,944文字>
【記事のポイント】近代的なヒーローの原型となったのはナポレオンでしたが、日本の場合は、源義経もそのイメージに一役かっています。特に、巨大な敵と戦う構図の象徴とすら言えるでしょう。
第4章/10. 巨大な組織と勇敢な英雄
1970年代のテレビマンガには、フランス革命に通じるアヴァンギャルドの面影がありました。
が、アメリカのベトナム反戦運動の影響もあったのかも知れません。
人々を深い悲しみへと追いやる巨大な組織との戦い。
あるいは、日米安全保障条約に対する抵抗運動や全共闘運動にも同じ気質を見ることができるからです。
既存の体制に対して「自由・平等・博愛」を突きつけ、打算を糾弾する精神です。
それぞれの運動の政治的・思想的意義は簡単に測れるものではありませんが、共通して持っていたのは強者に立ち向かう姿勢でした。
達成しようとする目的のいかんにかかわらず、巨大な相手に対する戦いには、それ自体の魅力がひそんでいます。
特に日本人は、その構図に敏感に反応する性質を持っているようです。
たとえば「判官びいき」という言葉があります。
この判官は源義経のことで、「判官びいき」とは立場が弱い者に肩入れする心情を指しています。
義経は壇の浦で平家を破り、兄頼朝の鎌倉幕府創設を助けました。
しかしながら、頼朝は義経の戦功を認めようとはせず、鎌倉に凱旋することすら許しませんでした。
義経の側にもいろいろと非はあったのですが、平家打倒の最大の殊勲者である弟に対する仕打ちとしては、あまりに冷酷です。
その後も義経は頼朝の刺客に追われ、ついには自害を果たします。
肉親の不信を買い、それ故に悲劇の道行きをたどった天才的武将。
源義経こそ、華やかさと哀しさにいろどられた、日本の伝統的ヒーローでした。
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