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ジェンダーレスなコミュニティ

伊方町立大久小学校から、学校全体での哲学対話の導入をお手伝いするお仕事を頂きました。
校長先生が企てていらっしゃるのは、道徳をはじめとする授業への導入と、学年を混ぜて全校児童(約20人)で実施する2週間に1回の15分間哲学対話。
業界でもあまり事例を聞かない、野心的な取り組みです。
まず手始めにということで、6月の頭に3-4年生学級と5-6年生学級それぞれの道徳の時間に、道徳の教材を使った哲学対話を実施しました。
そのうち5-6年生学級の時間に、とても驚いたことがあったのでこちらに書き残しておきたいと思います。

この時間に使った教材は「古いバケツ」という文章。
思春期の入り口によくある(と思っていた)、性の違いへの意識に慣れないまま不器用に対立してしまう、という場面を描く内容です。
教科書的には「男女で仲よくするには、どんな心がまえをもつことがたいせつかな。」ということを考えてほしかったようですが、せっかくなので「どうして女子と男子で分けようと思うのだろう?」という“問い”を考えてもらおうと用意していました。
しかしいざ授業で児童の皆さんにこの文章を読んでもらい、同様の経験があるかどうか尋ねて返ってきた答えは「アニメとかで見たことがある」というもの。
「女子は」「男子は」と性を理由に対立したり、理不尽に何かを強いられたりするような言動は、親から受けることはあっても彼らの間で交わされることは無いそうです。
彼らがこの文章から連想した経験としては「兄だから」や「高学年になったのだから」といった、もう少し広い属性を理由に何かを求められる、というものが出てきたので、その後はこの、属性を理由に行動を求められたり求めたりする理由を問う哲学対話を行いました。

結果的に楽しく問い応えのある対話ができたのですが、教科書や私が想定していた“性による分断意識”が児童の皆さんには無かったことに大いに驚き、見学されていた先生方も同じく驚かれていました。
考えてみれば、2学年合わせて10人足らずの少人数、小さな町で生まれてこの方家族ぐるみの付き合いをしてきたコミュニティでは、あまり性の違いに目を向けるようにはならないのかもしれません。
しかし、教科書に諭されるまでもなく実現されていたジェンダーレスなコミュニティに、私は大いに感銘を受けました。

より多い人数、より広い範囲、より薄い関係性のコミュニティでもジェンダーレスを実現していくためには、何が必要でしょうか。
大久小学校の彼らの姿は一つの先進事例として、参考としていきたいと思います。

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