教育から気付きの共有へ

 教員の仕事から現在の会社に転職して、早5ヶ月目に突入しました。

 (転職については、以前の記事↓をご参照ください。)

 そして、これからは一技術者の立場に戻ってやっていこうと考えたところだったのですが、現在の会社でまた、人材育成に携わることになりました。。。もちろん、別の業務も並行しながらということなのですが、教材となるコンテンツや資料を準備したり、座学の場合は目的や構成を考えたりと、教員だった時とやっている事自体は、あまり変わらない感じです。

 それでも、コンテンツの中身は日々の業務に直結する事であったり、現場に応用される技術的な事なので、内容的には全く異なります。また、学校教育とは違い、成果を出さなければならないため、張り合いはあります。

 しかし、一般的に「教育」と言われるカテゴリでは同じなわけで、今後自分自身が業務に携わる姿勢を明確にしておくためにも、私の教育観について、ここでまとめておきたいと思います。

●人は本当の意味で人の教育などできない

 のっけから身も蓋も無い小題ですが、私が大学時代に経験した塾講師や家庭教師の経験や、これまでの会社で行った教育、そして前職の教員の経験から得た、今のところの私の結論です。

 結局のところ、

「人は、その人が思った通りの人間にしかならない」

のです。逆に言うと、その人自身がどうなりたいかというイメージを明確に持っていれば、その通りになれるのです。

 例えば、

「プロ野球選手になりたい」

と本気で思えば、そのための練習もするし、野球部の強い学校を目指したりして、努力するでしょう。でも、

「野球選手になりたいけど、自分じゃ無理だろうな」

と思えば、もちろん野球の練習もするでしょうけど、なれない事を前提に他の道に進む準備もしたりと、100%野球選手になる努力は出来ません。

 ちょっとこれは単純すぎる例かも知れませんが、結果的にその人が真に思っている通りの結果になるような行動をしてしまうのです。

 ましてや、小さい子供ならともかく、ある程度人格が形成された人間に対して、性格や考え方を矯正しようというのは、特殊な方法を除いては無理です。例えば、ある種の宗教や政治団体は、それをする必要があると思います。そこで行われるのは、「教育」ではなく「洗脳」と言います。

 だから、教育者として能力向上を希望する人に行うべきことは、そのサポートです。それは、環境づくりであったり、良い情報やリソースの提供であったり、必要な気付きを与える事であると考えています。

●「学ぶ」は「真似ぶ」

 一方、まだ人格形成が不完全な子供はどうでしょう。ベースとなる知識も持っておらず、考え方も育っていないうちは、「何が必要か」や「何をしていくべきか」を、理屈で理解する事は不可能です。

 では、子供はどうやって成長していくかというと、一番身近な人を真似る事で、人間としての行動や考え方を覚えていくのではないでしょうか。

 一番分かりやすいのは、言葉です。極端な話、何語を喋るかは、親が普段使っている言語で決まるのはわかると思います。地方の訛りがある人は、両親も訛りが強いという事も良くあります。

 ここでよくある勘違いは、子供の素行が悪いと

「親の教育が悪い」

という言い方がされます。しかし、原因は教育ではありません。

 本当の原因は、

「親の習慣」

にあります。

 いくら教育をしても、一番影響を受けるのは、普段見聞きしている物事です。一番一緒に過ごす時間が長い親の言動は、子供に大きく影響します。

 親だけではありません。学校に通うようになれば、先生も影響を与える存在となります。そしてその影響は、先生の「教育」ではなく、

先生自身の「習慣」だったり「考え方」

が大きなものになります。

 また、例えば通勤や通学時に見かける大人の言動も、少なからず影響を与えています。

 「今どきの若い人は・・・」

なんて言葉が聞かれたりするわけですが(最近は聞かなくなりましたが)、それはそう言っている世代の人が、自分で好ましくないと思っている習慣や言動によって、影響を与えてきた結果とも言えます。

 「育てる」という行為はある意味、自分の写し鏡を見るようなものなのです。さらにその結果が、時間差を持って現れてくるわけですから、恐ろしい事この上ないと思います。

 だから、教育者として「少しでも理想に近い人を育てたい」と思ったら、

自分が理想に向かう姿を見せる

のが一番良い方法です。というか、究極的にはそれしかないと思います。

 どんなに良い情報を発信したところで、自分がその情報とはかけ離れた言動を行っていれば、ただ胡散臭いだけになるでしょう。逆に反抗されて、教育するどころの話ではなくなります。

 重要なのは、「理想的である」ことではありません。

「理想的であろうとする」

ことが大事です。そうすれば、学ぶ人はその姿を真似ることで、理想に向かう事が出来ます。

●自分がまず学び、それを共有する

 考えてみれば、「真似ることで学ぶ」というのは、子供に限った話ではないのかもしれません。自分自身の事を考えてみても、理想とする人を見つけたら、その人の行動や考え方をトレースして、そこに近づけるように努力をして来たんだと思います。

 なので、これからもそうしていくために、理想とする人を見つけては真似ていくのは変わらないでしょうし、自分もそのように見てもらえるように、努力を継続していこうと思います。

 多人数を相手に何か説明する時は、形式的には「先生」という形になってしまいますが、その中で疑問などが生じればそこで多少の議論をしてもいいし、その気づきを他の人と共有する事も出来ます。

 そんな場を提供していけるファシリテータになるのが、私の理想とする教育者の姿です。

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