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【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~雨の田原坂(2)

 ただし、これで戦いが終わったわけではない。その頃上層部では、次の進軍を巡って紛糾していた。
「今はまだ、薩摩兵はこの地に集まってきていない。この勢いに乗じて素早く進み、前方の賊徒を捕らえて、熊本に進撃するべきではないか。対峙を先延ばしにするのは、良策ではない」
 そのように進言したのは、今井中佐であった。だが、津田少佐や津野少佐はこれに反対し、首を横に振った。
「昨夜、本営で開かれた軍議では、植木を奪取してこれを守るべきであると決定したではないか」
 だが、今井中佐の意見に賛同する者もあった。その一人が、三原大尉である。
「確かに昨日の軍議では、植木を守ることに決まった。だが、進軍して向坂の嶮を取らなければ、植木を守ることもまた難しくなる」
 津田や津野は渋い顔をした。
「前途の賊を追い払うのは、作戦としては可能であろう。だが、司令長官から命令が出されていない以上、身動きできない」
 軍は規律が第一である。作戦として優れていても、おいそれと勝手に動くわけにはいかなかった。三原大尉は、なおも食い下がった。
「賊の援軍は、まだ到着していない。これに先立って、一撃で向坂を取らなければ、後々悔やむことになるであろう。機を逸すべきではなかろう」
 既に工兵が植木に集結し、鹿柴を植えて山鹿口からの薩摩兵の侵入に備えていた。官軍が植木に到達した時には火薬数万弾が街中に山のように積まれていたが、工兵はこの弾薬を一つ残らず焼き払い、薩摩兵の再起の望みを絶っていた。
 そこへ、第二旅団の参謀を務める野津大佐が戻ってきた。中軍を督励しに行った際に、若干の兵を各所に止め、不慮の事態に備えると共に、併せて薩摩兵の残党を捜索させていたのである。
「今機を逃しては、事を仕損じる」
 野津大佐は、そのように判断した。確かに、第一旅団及び第二旅団の進軍は、熊本城の救援が目的であり、一刻の猶予もならない状況である。野津大佐は、第一旅団を統括する兄の野津鎮雄に対して状況の報告書を作成し、向坂に進軍する旨や、糧食や弾薬の輸送を乞うことを書き記して、近くにいた美代を使いに遣った。
 このとき、薩摩兵は向坂の右側に集結していたため、政府軍は本道に胸壁を築いて対峙した。政府軍は薩摩兵の後塁を集中的に砲撃させた。塁の傍らには鬱蒼とした樹木が生い茂っていたが、これらが粉砕されるほどの勢いで、連射したと言われている。
 薩摩軍は必死で防塁を守っていたが、数があまりにも多すぎる。千人はくだらなかった。どう考えても、熊本方面から来た援軍だった。この時の薩摩兵の司令官は、賢将として知られる貴島清である。
 そのうちに、田原・二俣・横平山から逃亡していた兵もいつの間にか戻ってきて、激戦となった。
 さらに、薩摩軍は別隊が参戦してきて植木駅と向坂の中間地点に突入した。先には、川崎大尉が進軍しているのが微かに見えた。
「チッ」
 川畑警部が小さく舌打ちするのが、見えた。
「挟撃するぞ」
 銃撃の合図の喇叭が鳴らされる。川畑警部の合図と共に、剛介らも前へ歩を進めた。田原坂から下ってきた開けた地では、白兵戦においては官軍側が不利になる。剛介の手には、この戦いで初めて銃が握られていた。剛介らに支給されている銃はスナイドル銃だった。対峙する薩摩兵が使っているのは、既に時代遅れの感が滲むミニエー銃である。弾の速度は元込め式のスナイドル銃の方が早いため、官軍の方が有利だった。
 とにかく、兵の勢いを削がなければならない。銃撃を諦めたのか、上からの指示なのかは不明だが、薩摩兵は抜刀して次々にこちらへ飛び出してくる。剛介は弾丸を取り出し、素早く装填して引き金を引いた。そのうちの一発が、まだ少年とも言える薩摩兵に命中した。少年の体が弾ける。
「西郷先生!」
 その悲鳴に、剛介の心がツキリと痛んだ。だが、ぼんやりしていれば、命取りとなる。次々と銃弾を装填しながら、剛介は引き金を引き続けた。
 やがて戦いが一段落すると、剛介は、あの少年の屍に素早く近付いた。胸元を探ると、小さな手帳らしきものがあった。
 手帳には、びっしりと英文で、日記らしきものが記されていた。平時であれば、将来を嘱望された優秀な子供だったのだろう。最後のページには、名前と「十五」という数字が記されていた。そして、「敬天愛人」の文字。手帳の持ち主は、恐らく、西郷に心底私淑していた十五歳の少年に違いない。
 向こうから、薩摩軍の兵が再び押し寄せてきた。熊本城方向からだけでなく、山鹿口の薩摩兵も、こちらへ向かってきたに違いない。いつの間にか、向坂の官軍は孤立して輸送路が途絶え、弾薬も尽きようとしていた。今井中佐、津田、津野両少佐は互いに相談して、この日は向坂の攻略を断念し、植木の友軍と合流することに決めた。今、自分たちに迫ってきている薩摩軍は、距離にして、十五、六メートルほどしか離れていない。官軍の死者はおびただしい数に上り、死傷者は四百二十七名、失踪者は二十一名にも上った。その戦闘の中にあって激しい銃撃戦となり、剛介自身も銃身が熱を帯びるまで発砲しながら、じりじりと後退した。
 日は既に落ち、時刻は六時となっていた。官軍側の死傷者も、警視隊だけで死者九名、負傷者五名を出した。だが、植木まで官軍が掌握したことにより、官軍側にとっては間違いなく勝利を収めた戦いとなった。
 七本では、住民は既に避難してしまったのだろう。地元の住人らしき姿は見当たらなかった。薩軍の逆襲に備え、轟村から植木に至る凹道には一、二町毎に篝火が焚かれた。その光は、夜半から夜が明けるまで途絶えることがなかった。

>「雨の田原坂(3)」に続く

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