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【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~熊本(1)

 それにしても、薩軍はよく粘っていると剛介も思わざるを得ない。政府軍は最新鋭のスナイドルであるから、雨でも銃を扱える。それにも関わらず、政府軍と互角に渡り合ってくるのだから、大したものだ。
 二十日の田原坂の決戦の後も、薩軍は植木周辺に散開し、一進一退の攻防を繰り返していた。その均衡を破ろうと、第一旅団や第二旅団の面々は、薩軍と対峙している。
 萩迫の戦いなどでは、薩軍と七、八間しか離れていなかった。
「他所者が、こんなところまで何しにきた」
 そんな罵声が聞こえてくる。もっとも、ひどい薩摩訛なので、都度宇都に通訳してもらわなければ分からない。
 そういうお前たちだって、熊本の者から見ればよそ者だろうが、と剛介は思わないでもなかった。

 その頃、剛介達のいる正面軍だけでは埒が明かないと踏んだか、衝背軍が日奈久(ひなぐ)から上陸し始めていた。
 衝背軍の一部は西より川尻市街地に入っていたが、別働第二旅団の山田少将の元へは、中村、高島、三好の三佐官から熊本城に侵入する許可を求める使いが何度も出されていた。が、薩軍の手強さに慎重になっていた山田少将は全軍の部署を以て一気に熊本城を攻める腹積もりだった。だが、ここで右翼にいた山川中佐の一隊が偵察部隊を出した。
 山川中佐は五中隊を率いて緑川と加勢川の中間地点の中洲に対陣していたが、斥候を出して前面の敵情を偵察させたところ、「敵の戦線は、右側は川尻から左は砂取まで展開しており、堤に拠って塁を築き、舟や筏の類は悉く北岸に持っていかれた。これに加えて、川の流れは甚だ深く、歩いての渡河は困難」との報告を受けていた。
 だが、山川中佐が尚も下流を望むと、川尻方面において、炎や煙が空を覆っているのが見えた。
「あれを見よ」
 その口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「左翼隊は川尻を陥れ、薩軍の陣に侵入したのだろう。この好機を失うべきではない。熊本に連絡して城兵の危急を救うのは、今日をおいていつあるだろうか」
 その凄みのある笑みに、付き従ってきた兵は思わず息を呑んだ。この男は只者ではない。
 山川中佐は急いで部署を定めると、役夫に命じて数艘の船を調達させ、これを背負わせて進撃を開始した。更に加勢川の北岸に薩軍の姿を認めると、その塁に向かって銃を乱射させる。これを見た付近の村民は、官軍が到着したのを確認すると、競って山川中佐の部隊に協力したという。
 この勢いを支えきれず、薩軍は敗軍を収集し、退却しつつも残兵を集めて再び胸壁を要所に築き、川尻からの軍や別働第二旅団に当たろうとした。だが、官軍側からすれば、既に熊本城が見えており、その城姿は却って官軍の奮起を促した。薩軍の一部は花岡山を目指して退却し、別の一部は木山地方に逃亡した。
 ようやく熊本市街地に近づき、薩軍の状況を探らせると、長六橋を守っている兵が特に頑強だという。
「中佐。薩軍があちらに展開しておりますが……」
 山川中佐は、首を振った。
「聞け。城兵は未だ勇気を失したわけではない。欠いているのは、糧食のみだ。このまま勢いに乗じ、敵が未だ塁を築いていない今のうちに、熊本の城兵を救うべきであろう」
 さらに進撃の喇叭を吹かせて薩軍を猛攻すると、薩軍は花岡山を目指して退却していく。逃げる薩軍を、山選抜隊の森や田辺等に命じて追い、遂に彼の部隊は熊本城郊外に到達した。さらに前進し、白川にかかる長六橋に至ったが、ここにおいても薩軍の姿は見えない。熊本城中の兵は、山川中佐の軍であることに気づかずに再三砲を放ってきた。
 山川中佐は喇叭手に「停止」の符を吹奏させて、徐々に歩み寄っていった。城壁に達したところで、旗を奮って城兵に「別働第二旅団山田少将の右翼指揮官山川中佐、敵を破って今此処に至れり。後軍亦正に防いで至らんとす」と大声で口上を述べさせると、城内の兵はようやく友軍が到着したことを知った。
 五十余日に及ぶ籠城戦は、遂にここに終着を見た。熊本城兵もまた旗を奮って両手を挙げて勇躍し、歓声が一気に熊本城内に満ちる。創痍の将士も杖に拠りかかり、戦友の肩に捕まって城柵によじ登って望見し、重傷で動くことが出来ない者であっても、「官軍との連絡がついた」との知らせに、喜び極まって泣く者も多かった。
 山川中佐は、薩軍の残兵を警戒し、雨天であるにも関わらず、命令を発して火を炊くのを禁じ、銃剣を装備させ、城外で粛然として薩軍の来襲に備えていたという。

 四月十五日。時には汗ばむほどの陽気の中で、山県(やまがた)参軍の通牒が第一旅団や第二旅団に届けられた。第二旅団の別働隊の様相を呈している植木口隊も、同じように参軍の命令が伝えられた
「宇都方面の官軍が熊本城に連絡したら、狼煙を木原山に掲げ、これを以て熊本城入場の知らせとする。その狼煙を見たものは、直ちに本営に具申するように」というのが、その命令である。
 この日の黎明より、第一旅団前面の薩軍からは、俄かに喇叭を吹いたり鉦鼓を叩く音が聞こえてきた。或いは、銃を轟射する音も聞こえてくる。
 だが、虚勢を示しているかのようにも思えた。第二旅団の野津・岡本両参謀は参謀属員を戦線に出して、鳥巣方面の偵察に出していた。
「野津大佐。鳥巣方面の薩軍の様子がどうも妙です」
 戻ってきた兵士は、そう告げた。
「妙だと?」
 野津は眉根を寄せた。
「あれは、退却するつもりではないかと思われます」
「ふむ」
 野津大佐は、しばし考え込んだ。衝背軍が八代に上陸し、熊本城に迫りつつあるのはこちらにも伝令が伝えてきていた。もしや、その影響か。
 午後一時になると、植木、萩迫、鎧田、木留、万楽寺、辺田野といった今までの占領地から、三嶽、大多御にかけての敵塁に異変が起きた。
「あ、あれを見ろ」
 一人の兵士が、今まで攻めあぐねていた方向を指した。その方面には、黒煙と火が上がっている。その勢いは天にも届こうかという勢いだが、どういうわけか銃声や砲声は聞こえない。すると、薩軍が自ら火を放ったのか。
「今しがた、伝令が来た。出るぞ」
 窪田が、息を弾ませながら命令を伝えに来た。
「はい」
「抜刀隊だけですか?」
 関の言葉だけ聞くと、そろそろ武功を立てたいのか、それとも相変わらずの臆病風に吹かれているのか判別しかねる。どちらの意味にも取れるが、窪田は命令だけを簡潔に伝えた。
「いや、総攻撃だ。銃を用意していけ」
 剛介も、頷き返して銃先に着剣した。エンピエール銃と異なり、元込め式のスナイドル銃は銃先に着剣しても、薬莢装填の邪魔にならない。刃渡り自体もまずまずの長さがあり、便利なものだった。
 そこへ、今井中佐から「薩軍が全軍を引き揚げたらしい」との報告が入った。ということは……。
「このまま、熊本城に入城する」
 川畑警部の言葉に、思わず隣にいた宇都と視線を合わせて笑みを浮かべた。何度となく死線をくぐり抜けながら、ようやくここまで来たか、という思いがあった。

>「熊本(2)」に続く

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