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【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~熊本(2)

 植木警視隊の者らは、夜半近くに熊本城下に入った。熊本城下はまだ薩軍が潜伏している可能性がある。その誤解を避けようと、熊本の家々では日章旗を掲げて官軍を迎え入れた。秩序が行き届いているというのが、剛介が熊本城下に足を踏み入れた第一印象だった。そういえば、日章旗は「日本の国旗」として認められるようになったのだったな、と取止めもないことを思い出した。改めて思う。今は、会津も薩摩も関係ない。「日本」という国から道を外した者が敵なのだと。
 それにしても、予定では、本日に熊本城入城の合図があるはずだったが、結局のところ狼煙は上がらなかった。だが、薩軍があれだけ慌てふためいて逃亡したというのは、衝背軍の連絡があり、正面軍との挟撃を避けたに違いない。
「そういえば、熊本城解放の第一功労者は、どなたなのでしょう」
 剛介の疑問に答えてくれたのは、窪田だった。
「どうやら、山川様らしい」
 窪田が答える様子は、誇らしげである。それもそのはずだった。
「山川様……というと、あの彼岸獅子で有名な?」
「そう。その山川様だ」
 窪田がにっと白い歯を見せた。剛介も、戊辰戦争の折に山川ひろしこと大蔵様が、奇策を用いて地元の者に会津の郷土芸能である「会津彼岸獅子」を舞わせて入城したというのは、聞き及んでいた。その山川中佐は、二年前の佐賀の乱のときには熊本鎮台に勤務して左腕を負傷したが、それでもなお、彼を引き立ててくれた恩人のたに干城たてきの恩に報いようと、別働第二旅団の上官として活動していたのである。
「『薩摩人みよや東の丈夫が提げ佩く太刀の利きか鈍きか』ってな」
 どうやら、会津人の間では有名な歌らしい。山川の気性の激しさは、同郷人の間でもよく知られているようだった。剛介は、あまり短歌が得意ではない。だが山川の心意気は、歌に詳しくない剛介でも、思わず同調したくなるような気迫を感じさせる。
 窪田が唱じた歌を聞くと、宇都は首を竦めた。この男の薩摩弁にも少しずつ慣れてきてわかったことだが、宇都は素直なところがある。
「やっぱい、会津者はじ」
 最近では、そんな軽口を利くようになっていた。無論、悪意がないことは分かっている。むしろ、かつての同輩を平然と斬れるこの男の方がよほど恐ろしいと、剛介は思った。
 
 翌日の十六日、第一・第二旅団の野津・三好両少将とそれぞれの佐官らは城に入り、精米八十苞、酒三十樽、鶏百羽、牛羹などを城内に届けさせた。この日、本営が熊本城中に移され、川路少将のたっての請願で、植木方面並びに城中に在った警視隊の者らは、別働第三旅団に吸収されることになった。ここまで第二旅団と行動を共にすることが多かった植木口の者たちは、八代から上陸した江口少佐など、初めて別の警視隊の者と顔を合わせることになった。
「遠藤。すまんが少し付き合ってくれ」
 関が声を掛けた。休む間もなく、明日は御船方面に出動させられそうな気配だった。その前に、ここで英気を養っておこうとの腹積もりなのだろう。
「付き合うってどこへ」
「城下にだ」
 一応は政府軍の支配下にあるのだが、関は薩軍の伏兵を警戒しているらしい。まったく、臆病なのによく警視隊に応募したものだと、苦笑せざるを得なかった。
「ついでだ。私の分も頼む」
 菅原が、財布の中から一円札を寄越した。
「まったく……」
 そういう剛介も、どこか浮かれた雰囲気に呑まれているのは否定できない。だが、勿論熊本は初めてであり、土地勘はない。助けを求めるように、ちらりと宇都を見た。
あても付き合おう。出水から熊本に来たこともあっで」
 仕方がない、というように宇都も腰を上げた。
 三人が宿営地を出ると、道端で、小さな男の子供が握りこぶしを目に当てて、泣いている。歳は、十歳前後だろうか。一人でいるところをみると、親とはぐれたか。
「どうした」
 関が訊ねた。子供は、ぐちゃぐちゃに濡れた顔を、二人に向けた。
「家が……」
「なくなったか」
 あらかたの事情は、それで察せられた。熊本城下は、先に政府軍の手により、「射界の掃討」の名のもとに、焼き払われていた。その上、薩軍が兵力の消耗を避けつつ熊本城を攻撃するために、井芹川の堤を切って熊本城に籠もる官軍を水攻めにした。この少年の家がどちらで失われたのかは、分からない。いずれにせよ、住民にとっては迷惑な話だった。この少年は、その巻き添えになったのだろう。
 剛介は、子供と同じ目の高さに体を屈めた。
救恤所きゅうじゅつじょまで行くか」
 子供は、剛介をじっと見つめた。その目には不審の色が浮かんでいる。見知らぬ大人、それも他国の人間を信用していいか迷っている様子だ。
「大丈夫だ。救恤所には肥後の大人も大勢いるはずだ」
 肥後の大人もいる、という言葉に、少年の瞳が動く。
「おじさん。一緒に行ってよかか?」
「いいとも」
 

>「熊本(3)」に続く

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