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泪橋~珍客(1)

 その後しばらく、憔悴の余り為氏は床についてしまった。領内の経営は怠っていないものの、三千代姫の死を嘆き悲しむばかりで、出馬の指図の知らせも一向に出されない。
 為氏が悲嘆に暮れるのも無理はなかった。源蔵がこっそり教えてくれたところによると、為氏は食事を取る以外のことは一切行わず、ただ涙を流す日々だという。岩瀬の地の政務は、実質的に四天王が相談しながら行っているのだった。
 そんな為氏に構わず、四天王を中心に家臣たちは戦支度を整えていた。
 風の噂に聞こえてきたところによると、治部大輔は「為氏が早急に出馬命令を出し城を落とそうとするのは必然。こちらは知謀を以て館に籠もり、防戦しようではないか。たとえ蟷螂の斧であったとしてもだ」と宣ったという。
 和田から須賀川に送った間者の報告によると、治部大輔は、須賀川近郊の領内に触れを回したらしい。
 為氏方の兵は、一人も知恵の有る者がいない。わずかな謀で大功を成そうとしている者たちであると触れて回っているという。さらに、手勢を揃えるためだろう、次のような触れを各郷に回したという。
「亡国の暗君を捨てて武士道の義臣に加わろうとするならば、一刻も早く十五歳以上七十歳以下の者は、当城へ馳せ集い我に従え。忠臣には恩賞を与え、不忠の者は老若男女問わずことごとく死罪とする」
 愛娘の死の悲しみに沈むのではなく、それを奇貨として檄を飛ばしたというのだ。その噂話を持ち込んできたのは、須田家三男の三郎兵衛だった。彼が須賀川城下に送り込んだ忍びの者が、噂を持ち帰ってきたのだ。やはり、治部大輔はかねてから噂されていたように須賀川の太守として勢力を固める肚だったのだろう。三千代姫は、そのための駒に過ぎなかった。
 それを思うと、図書亮の心は沈んだ。
 一方、和田の者らも為氏の心中を思いやっている暇はない。御一門衆や四天王などの宿老を中心に、伊豆・相模・駿河・信濃にいる二階堂一族への加勢を頼む檄文が飛ばされた。
 それと合わせて、領内の人民にもかの起請文を元にしたものが、回文として披見された。

一.治部大輔は欲心に染まり、権力を握り民を憐れまず、財を貪り、人民を殺したことは通常の範囲を越えたものである。酒に溺れ、長いこと民が飢えているのにも気づかず、楽人の訴えにも耳を傾けない。
二.国を守るために代官として遠国に遣わされたにもかかわらず、その甲斐なく、本来ならば守護のものである財政を横領し、その勢いは龍が水を得るために雲上に昇って飛翔するのと変わらない勢いである。
三.先例のない賦役をかけ、地下(ちげ=不動産税)を貪り、そのために民は遠国や他の国に妻子を求めに行き、夫婦や親子は別れの憂き目にあい、民は困窮し国力が弱っている。
四.梟悪盛んであり、道理に背き賄賂にふけり、世の中の費えを知らない。
五.主君に歯向かって謀叛を企て、兵を集めて国を操ろうとしてる。
これらの五逆は天争を犯し、之を捨て置くことは、誰ができるだろうか。

 図書亮も、美濃守に命じられてせっせと領内への回文を書き写しながら、改めて治部大輔の悪行に思いを馳せた。
 地下を必要以上に取っていたのは、自分を岩瀬の地の太守に任じるよう、都の幕府に働きかけるための資金だったのではないか。もしも治部の運動が幕府に認められたとするならば、今までの例にない珍事となるだろう。
 そう自分に言い聞かせながらも、暮谷沢での惨劇を思い出すと、心は晴れない。
 また、治部大輔が横暴を振るえた背景には、都や鎌倉の事情も絡んでいるに違いなかった。
 都の一色家からの知らせによると、現在、幕府に将軍はいない。七代目将軍であった義勝は就任早々、病に斃れた。その後、管領である畠山持国によって三春殿と呼ばれていた子供が、わずか十一歳で帝から義成名前を賜ったという知らせが、都の一色本家から図書亮の元にも届けられていた。その義成は、来年元服を予定しているという――。
 自分が元服したのも十五のときだったから、義勝の元服は決して早いわけではない。だが、そんな子供が国を保てるのかは、いささか疑問だった。
 そしてこの地において、自分は一体何をしているのか。本来、宮内一色家の再興のためにこの地に下向してきたはずが、華々しい手柄と言えば、為氏と三千代姫の婚姻を取り持っただけに過ぎない。それも、暮谷沢の一件で破綻した。まもなく始まるであろう戦への高揚感と、二階堂家の内紛を奇妙に冷めた目でみる自分とが、綯い交ぜになる。
 それを藤兵衛にこぼすと、藤兵衛は苦笑いを浮かべた。
「お主、この地に下向してきたときにも同じようなことを申していたな」
「そうだったか?」
 言われてみて、図書亮も思い出した。あの時、為氏を「まだ子供だ」と侮っていたが、四天王や御一門衆の助力を得ながらも、為氏は何とか国主としての面目を保ってきた。
 だが、今まさに治部大輔との決戦を控えて、悲嘆に暮れるばかりだ。三千代姫を失ったのが、それほど痛手だったのか。そして、二階堂一族の戦いに決着がついた後、自分はどうしたいのか。近頃、その目的が見えなくなりつつあった。
「お主は、口の割に情に脆いところがある」
 藤兵衛の指摘は、図書亮も思い当たるところがあった。主夫妻の悲劇は、必ずしも図書亮一人の責任ではない。それにも関わらず、ここまでかの悲劇に思いを馳せるのは、図書亮も三千代姫の魅力の虜となっていたからなのかもしれなかった。
「近々戦になるのは、間違いない。図書亮。一色の名を汚したくなければ、ぬかるなよ」
 幼馴染みらしく、きっぱりと忠告してれた藤兵衛の顔つきは、坂東武者そのものだった。鎌倉にいたときから図書亮の兄代わりのようなところがあったが、服部の娘であるはなとの結婚を機に、本格的に須賀川に腰を据えるつもりになったようだった。どうやら彼から見ると、図書亮はまだまだ甘いところがあるらしい。

©k.maru027.2023

>「珍客(2)へ続く

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