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泪橋~珍客(2)

 戦への機運が高まっていくのと比例するかのように、りくの腹は日に日に丸みを帯びていった。この姿を見ていると、つい荒ぶった心もまろみを帯びていく。
 一時はつわりに悩んでいたりくだが、近頃は食欲を取り戻してきたようで、男の図書亮に負けないくらいの勢いで、食を進めていた。
 できれば出産のために早く木舟に返してやりたいのだが、出水のときと同じように、りくは木舟に戻るのに難色を示していた。
 「戦の場に女がいると穢れるというではないか」とも説得してみたが、りくを怒らせただけだった。
「子を産むのは、女にとっては戦と同じことです。その戦から逃げるおつもりですか」
 そう言われてしまうと、身も蓋もない。どうも近頃はりくの尻に敷かれている気がするが、決して不快ではなかった。
 図書亮自身の戦も、大掛かりな戦となるのは間違いない。そのため、峯ヶ城にいく道すがらにある羽黒山妙林寺に立ち寄って、私かに戦勝祈願をすることもあった。
 妙な法師と出会ったのは、木枯らしが強く吹く日だった。
 例の大仏に向かい合って、りくの安産祈願と図書亮自身の戦勝祈願を行っていたときのことである。右手の方から、しゃりん、と錫杖の音が響いた。音のした方に目をやると、丘の上に建てられている妙林寺から回ってきたものか、一人の法師が折烏帽子を被って、立っている。
 反射的に、刀に手をやった。聖域とは言え、この時世である。須賀川の手の者が化けているかもしれなかった。
「物騒な御仁だな」
 法師は、にやりと笑みを浮かべた。その出立ちは、白い手甲脚絆を身に着け、笈厨子を背負っている。右手に金剛杖をついており、一見ただの山伏に見えた。典型的な、羽黒修験の姿である。
「一色図書亮とお見受けしたが、間違いござらぬか」
 図書亮は、返事をしなかった。
(なぜ、俺の名を知っている)
 まずそれが、不気味だ。当然、図書亮はこの法師に見覚えがない。
「奥方に近々子が生まれる故、ここへ安産祈願に参られているのであろう。後は、須賀川の戦に備えての祈願もか」
「何奴!」
 図書亮の私事まで知っているのか。思わずかっとなった図書亮は太刀を抜き、そのまま大段上に振りかぶって法師を斬ろうとした。だが法師は、図書亮の渾身の一太刀を、手にした錫杖であっさりと防いだ。
 この動き。紛れもなく武士かそれに近い者である。
(どうする……)
 図書亮の背後には、里の道に続く急な石段がある。足を踏み外せば石段を転げ落ちて、戦の前に怪我を負いかねない。
「法師。名を名乗れ」
 拮抗しながら、図書亮は吐き捨てた。
「須賀川の手の者ではござらぬ故、ご安心召されよ。さる高貴な御方のお使いで、一色殿をお訪ねしてきた次第」
 憎たらしいことに、法師は息を乱さずに明るく答えた。
 この話からすると、まず間違いなく忍びの者だろう。問題は、どこからやってきた者か。そして、何の為に図書亮に近づいてきたかである。
「そうだな。今は明沢みょうたくとでも名乗っておくとしようか」
 法師の言葉に、図書亮は鼻を鳴らした。いかにも怪しげな名乗りである。
「明沢。なぜ私を狙う」
 今の図書亮は、岩瀬二階堂家の一家臣にすぎない。誇れるものと言えば、筋目の良さくらいであろう。
「別に一色殿の御命を狙っているわけではござらぬ。都におわす一色本家からの知らせを持ってきたまで」
 本家からと聞いて、図書亮は若干怒気を和らげた。だが、いままで一色本家から忍びの者が来た試しはなかった。通常は、一年の時候の挨拶の折りに、都の様子を知らせてくるくらいである。
 相手が胡乱の者であることには違いないが、本家からの使いとなれば無視できない。図書亮は、ようやく太刀を収めた。同時に、明沢も錫杖を下ろす。だが図書亮は、警戒を緩めなかった。
「……で、本家からは何と?」
 明沢の答えは、至極あっさりしたものだった。
「一色家が、再び山城・丹後の守護に任じられた。つまりは一色家の復権だな」
 思わず、息を呑む。都の一色本家は、足利一族に系譜を連ねる名門でありながら、近年、代将軍足利義教に睨まれて没落していたのだった。本家の主だった一色義貫よしつらは、義教の命令で大和信貴山において、永享の乱の責任を負わされて自害した。図書亮の父が殺され、二階堂氏一族の須賀川下向にもつながった事件である。
 その罪が、公的に許された。
「待て。そうなると、上州の宮内一色家も……」
「うむ。関東管領である上杉殿も、再度鎌倉公方を立てられることにご同意なされた。宮内一色家も近々、帰参が認められるであろう」
 戦を目前にして、思いがけない話が飛び込んできたものだ。
 だが、と図書亮は心を静めた。
「それと、二階堂家の戦がどのような関係がある」
 それが、どうにも理解できない。すると明沢は、図書亮を馬鹿にするかの如く、からからと笑い声を立てた。
「簡単なことだ。須賀川の治部大輔は、京の細川殿に働きかけ、己が正当であると認めさせようとしておる。我が主としては、それは困るのだ」
「すると、お主の主は」
 明沢は、笑みを貼りつかせたまま、はきとは答えなかった。だが、都で細川と対立する三管領四職家の家柄と言えば、自ずと限られる。恐らく畠山氏辺りがこの画図を描いているのだろう。
「一色殿が与する和田の方々も、細川の息が掛かった者にのさばられては、今後困ったことになろう」
 さて、この話をどう捉えたものか。たかが一地方の豪族の勢力争いに畠山氏が首を突っ込んでくるのは、どうしたわけか。
「お主は私にどうせよと?」
「簡単なことだ。須賀川との戦に勝てば良い。それが則ち、我が主への忠義の証となろう」
 その主とは、誰なのか。それが今一つはっきりしないのが、図書亮は不安だった。建前上は、為氏が現在の図書亮の主である。だが武家の筋目としては、一色家は足利の支流だ。本来は足利家に忠義を尽くすのが、筋と言えば筋なのである。
 この明沢を使っている主が畠山氏だとすれば、須賀川との戦を前にして、余計な話を持ってきてくれたものであると、図書亮は感じた。

©k.maru027.2023

>「珍客(3)へ続く

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