泪橋~珍客(3)
「ここまで話を聞かせてやったのだ。今晩の飯くらいは馳走してくれるのであろうな」
図々しくもそう述べる明沢を、図書亮は睨みつけた。この明沢という僧が、本物の僧だとは図書亮は信じていなかった。だが、風体は紛れもなく羽黒修験のそれであるし、山伏であれば有髪の僧も珍しくない。何より、体術では明らかに図書亮より格上だ。ここで逆らって殺されても困る。
仕方なく明沢を自宅へ連れて帰り、りくに客人の分の夕餉の支度を命じた。
珍客の来訪にりくも戸惑ったようだったが、お得意の「木の子の汁」を用意して、明珍をもてなしてくれた。秋に採れた木の子を塩漬けにして保存しておき、それを汁物にしたものである。
明沢はというと、「誠に殊勝な御心がけである」と述べ、ちゃっかりとその場でりくの安産祈願の修法を行い、おまけのように図書亮の武運長久の祝詞を述べてくれた。いかにも僧らしいその振る舞いに、りくはあっさりと丸め込まれた。
一通り腹が満たされたと見ると、明沢は席を立った。
「修法まで行っていただいたのですもの。せめて一晩の宿だけでも」
そう申し出るりくの勧めを、明沢は軽くいなした。
「いやいや。今晩は妙林寺の庫裏で泊まるつもりだった。元よりそこで人との約束もあるしな」
それならばなぜここへ押しかけた。そう言いたいのを、図書亮はぐっと堪えた。やはりこの明沢という僧侶は、食えない。
「今晩の食事の礼をもう一つ進ぜよう。明日にでも、出陣命令が出る。一色殿は先鋒組と決まった」
明沢の言葉に、図書亮は冷水を浴びせられたような心地になった。まだ、図書亮の耳にも届いていない情報を、なぜこの僧が知っている。
りくも、さっと顔色を変えた。
「では御内儀。誠に結構な飯だった。どうか御身を大切になされよ」
そう言うと、明沢は再び不可解な笑みを図書亮に向け、家を出ていった。
二人で頭を下げて明沢を送り出すと、りくがこわごわと図書亮の側に身を寄せた。
「あの御坊の仰ったことは、まことなのでしょうか」
「分からん」
得体の知れない坊主の言うことなど、当てになるか。そう断言したいところだが、都の一色本家の情報や新しい鎌倉公方の話を持ってくるなど、妙に世事に通じていた。四天王ですら仕入れてきたばかりの情報なのではないか。
だとすれば出陣命令も、四天王の誰かから情報を仕入れてきたものか。
図書亮が明沢の言葉に考え込んでいると、明沢と入れ替わるように安藤左馬助がやってきた。
「一色殿。先ほど、出陣が決まった。明朝より須賀川の城に討ち入る。日の出の刻に、峯ヶ城に参られよ」
「遂に来たか……」
図書亮は、身震いした。同時に、先ほど押しかけてきた明沢の情報は、正しかったと思い知らされる。
「陣割は」
「総勢二八〇〇名。先鋒が箭部安房守殿、二陣が二階堂左衛門殿、三陣が二階堂下野守殿。本陣が御屋形の旗本衆と決まった。戦の総指揮は、美濃守様が執られる」
二階堂左衛門は、確か木之崎城主だったはずだ。二階堂下野守は、矢田野左馬允の別名である。二階堂御一門衆も、本気で治部を滅ぼすつもりだ。図書亮が初めて岩瀬の地にやってきたあのときとは、覚悟が違う。
「一色殿は先鋒だな」
何を思ったか、安藤はそう述べた。図書亮の身分も一応は為氏の旗本衆のはずだが、同時に四天王の一人、箭部安房守の身内でもある。箭部の娘であるりくの夫だから、箭部一族として安房守の陣に組み入れられたのだろう。武功を立てる機会も多いかもしれないが、死ぬ確率も一番高い。
先ほどの明沢との会話が、頭を過る。
今回の戦で武功を立てれば、それが宮内一色家の家名復帰のきっかけに成り得る――。
「安房守さまや舅殿と共に、武功を挙げて来るぞ」
図書亮はりくに向けて、不敵な笑みを浮かべた。
反対に、りくは不安そうな色を隠せない。覚悟をしていたとは言え、自身の出産を前にして、夫も父も戦場に立つのが、怖くてたまらないのだろう。
©k.maru027.2023
>「須賀川城攻防(1)」へ続く
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