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泪橋~和解(3)

「堅苦しい話はこれくらいにしよう。皆の者、後は無礼講と致す」
 ぱん、と為氏が両手を打ち合わせた。それを機に、がやがやと家臣たちが思い思いの場所へ散っていく。あちこちで円座ができ、峯ヶ城の女たちが給仕をしている。時折、美濃守が何やら安藤に耳打ちしながら、この宴を取り仕切っているのが目に入った。須賀川の街が再建されれば、為氏も宿願だった須賀川城に入る。既に家臣たちのための奉公人町が作られることも決まっており、恐らく峯ヶ城で皆で飲んで騒ぐのは、これが最後になるだろう。
 眼の前には、山海の珍味が持ち込まれており、めでたい席であるということで、干した鯛の焼き物もあった。さすがに新鮮な鎌倉の鯛には風味が劣るが、図書亮にとっても久しぶりの海の味だった。
 図書亮は、箭部紀伊守、須田源蔵らと席を囲っていた。少し離れたところでは、忍藤兵衛が須田秀泰の配下である樫村らと酒を酌み交わしている。
 久しぶりの鯛の味は、やはり美味だ。三年以上も須賀川にいるのだからすっかりこの地に馴染んだかのように錯覚するが、幼い頃より慣れ親しんだ味は、そうそう忘れられるものではない。
「――御屋形も、海の物を口にされるのは久しぶりであろうな」
 思わず、そんな感想が図書亮の口をついて出た。
「そうなのか?」
 源蔵が、訝しげに尋ねた。
「須賀川では、滅多に海の物を口に出来ないからな。私も久しぶりに口にした」
 笑いながら銚子を片手にやって来たのは、何と主の為氏である。思わず平伏しかけた家臣らに対し、為氏は片手で制した。
「たまには、若い者同士で飲みたいときもある。美濃守らに見つかるとうるさいから、騒がないでくれ」
 珍しく、為氏の若者らしい愚痴を聞いて、図書亮は笑みを零した。確かに、日頃は謹厳な美濃守を筆頭に、老臣に囲まれている為氏である。三千代姫を失って以来、若い者と親しく語り合うこともなかったのだろう。三千代姫を失ったのは、その意味でも大きな痛手だったに違いない。もっとも、三人とも為氏よりは遥かに年上なのだが。
「御屋形。よく民部殿を許される気になりましたね」
 率直に疑問を呈したのは、紀伊守だ。紀伊守も、箭部一族として先鋒の一陣を預かり、獅子奮迅の働きを見せた。箭部一族の戦死者の全てを把握しているわけではないが、彼も多くの身内を失ったに違いない。
「そうだな……」
 為氏は微かに眉根を寄せた。
「伯父上は弱いところもおありかもしれぬ。だが、私を害そうとしたことは一度たりとてなかった。その御心をもう一度信じてみようと思う」
 源蔵が、じっとその言葉に耳を傾けている。
「それに、私にとっては唯一血の繋がる御方だ。やはりどのような経緯があろうと、無下には出来ぬ」
 為氏の言葉は、図書亮にも痛いほど理解できた。図書亮も、永享の乱で父を失い、宮内一色家の家臣団は瓦解した。この地にやってきてりくという妻を得たが、やはりいくつになっても身内は尊い。
 背後で、嗚咽の声が聞こえた。ぎょっとして図書亮が振り返ると、そこには民部大輔の姿があった。先程為氏から賜った着物の袖口で目頭を拭い、せっかくの上等の着物が台無しである。
「伯父上。そこまでお泣きにならなくとも」
 さすがの為氏も、苦笑している。
「失礼。御屋形がお優しい方だというのは、幼少の頃より良く存じておりましたが……。昔日のように、伯父と甥として語り合うことも、久しくなくなってしまった……。御屋形は、亡き大殿によう似て参られましたな」
 民部大輔はそう言うと、再び袖口で目元を脱ぎった。
 その声色は、確かに身内そのものの言い方だった。そして、ようやく為氏の他に三人の若者が着座しているのに気づいた様子で、改めて頭を下げた。
「源蔵殿も、ご立派になられました。そして、そちらは箭部……」
 幼い頃治部大輔に抱かれたこともあるという源蔵は、民部とも顔見知りだったらしい。源蔵は、苦笑しながら会釈を返し、下の名前を思い出してもらえなかった紀伊守は、改めて紀伊守を名乗っていた。
 最後に、民部は図書亮と視線を合わせた。
「そなたは一色殿であったな。御屋形の御成婚の折に、ご自身も安房守殿の姪御を娶られたとか」
 図書亮も名を名乗り、会釈を返す。民部が図書亮を覚えていたのは、意外だった。図書亮が民部と話をするのはこれが初めてである。
「図書亮は、あと二ヶ月ほどで、ようやく父になるそうです」
 源蔵の説明に、民部が何度も頷いた。もっとも、そういう源蔵はとっくに三児の父である。紀伊守も鹿嶋館に妻子がおり、須賀川城攻めのときは紀伊守の北の方が女衆を指図して、男たちの戦支度を手伝っているのを図書亮は見かけていた。
「伯父上は、最後まで千歳御前を見事お守りになりましたな」
 為氏がほんの少しの羨望と寂しさを漂わせながら、民部に語りかけた。だがそれに対し、民部は首を横に振っただけだった。
「千歳は愛おしい。また、あの通りの容貌の持ち主ではありますが、一介の姫に過ぎませぬ」
 為氏の婚礼のときに見た千歳姫の容貌を、図書亮は思い出そうとした。確かに美人だった。だが、と民部は続けた。
「治部大輔殿は、恐ろしい御方だった」
 ぶるり、と民部が身を震わせた。

©k.maru027.2023

>「和解(4)へ続く

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