泪橋~神仏の功徳(2)
帰宅後、図書亮はりくの膝に頭を載せて、つらつらと物思いに耽った。
図書亮の見る所、為氏は須賀川の衆と諍いを起こしたくない。だが、家臣らの言うように治部大輔のことは何とかしなければならなかった。
和田も駅所や船着場があり、それなりに殷賑の街ではある。だが、田村や石川からの攻防を考えた場合、できるだけ早い時期に須賀川に移った方が、主の身の安全を守れるに違いなかった。また、西衆への統治を考えた場合、和田では東に偏りすぎるのだ。
四天王らは、それも考慮して須賀川へ為氏を入城させようとしているのだろう。今のままでは、宿敵である田村などから見た場合、為氏はただの「和田に寄寓している二階堂一族の一人」としてしか、見なされない。
この土地へ来た当初は子供だと思っていた為氏も、四天王のような家臣に囲まれて教育されているうちに、段々と強かさを身に着けてきたように思われる。それだけに、御台との仲睦まじい様子は一際微笑ましくもあるのだが、家臣としては時に歯痒さを感じるのだろう。
こよりで図書亮の耳を掃除してくれていたりくが、ふっと図書亮の耳に息を吹きかけた。
「何をする」
こそばゆさに身をくねらせ、思わず体を起こした。
「また難しいことをお考えになっていたでしょう」
その口元は、緩んでいた。
「仕方ないじゃないか。御屋形に使えている以上は、主の身を案じるのが仕事なのだから」
御台のような賢しさはないが、りくは図書亮の気分を的確に当てて気遣いをしてくれる。気鬱になっていると見れば、さり気なく好物や酒を用意してくれるし、主夫妻の様子については、実は図書亮よりもりくの方がよく把握している。
それでいて表向きの話はあまり持ち出さないのが、りくの良いところだ。家にいるとき位は、肩の力を抜いて過ごしたい。
「りくは、オタキヤさまを知っているか?」
図書亮の問いに、素直なりくは首を横に振った。
「私の育った埋平の木舟城の辺りの氏神は、蟇目鹿島神社ですから。西衆の方々とは祭神が違うのですよ」
「ふうん」
結婚してから二年目になるが、まだまだ知らないことばかりだ。
「蟇目というのは、あれだっけ?坂上田村麻呂の伝承に出てくるという……」
りくが肯く。
「そうです。この辺りでは石川にある蓬田山を根城にしていた夷賊がいて、田村麻呂は小倉山にある蟇目鹿島神社で祈願し、一夜で蓬田山の賊を討ち取ったというお話」
その話はいつぞや酒宴で戯言として、舅である箭部下野守が話していた気がする。神前において、火(南)、水(北)、木(東)、金(西)、上(中央)に五本の矢を射る。そして魔除けを祈願し、祈願の終わりに空弓を弾いて弓弦の音を立てると、神力を得られるというものだった。
「オタキヤ様の話は、安房守の伯父上や雅楽守様がお詳しいでしょうけれど……。昔と違い、今は東西の垣根を超えて御屋形さまを守り立てようと、須田の皆様や伯父様方はあちこちと紐帯を結ぼうとしていますから。そのうち東も西も関係がなくなっていくのでしょうね」
そういうりくの口元には、やや苦めの笑みが浮かべられていた。だが、考えようによっては、今のような世でなければ、余所者の図書亮とりくが結ばれることもなかったのだろう。
「御屋形はともかく、御台はオタキヤさまの話を知っているのかな」
図書亮は、ふと呟いてみた。
「どうでしょう」
りくも、眉を曇らせた。
「お父上である治部大輔さまは、地祇の恩を忘れて神社を毀たれたのではなかったでしたっけ?」
そうだったなと、図書亮はあの起請文の一文を思い出した。どこの神社かは明かされなかったが、おそらく須賀川にある神社なのだろう。為氏は鎌倉育ちだからこの地の地祇について知らないのは仕方がないとしても、須賀川育ちの三千代姫はどうなのか。教養を備えた姫ではあるが、父親が地祇をおろそかにしているくらいだから、案外地祇についての知識はないのかも知れなかった。当地の地祇についての知識を備えていないとすれば、それもまた和田衆の反発を買うに違いない。
「ですが、仮に御台さまがオタキヤさまにお参りに行きたいと念じられたとしても、きっと周りの者が止めるような気が致します」
りくはそう言ってため息をついた。
「そんなにまずい空気なのか」
日頃は表仕えが中心の図書亮ですら、それは気になる。
「須賀川の方々は、和田の者が何を考えているかその詳細まではご存知ないようです。ですが、あの花の宴で姫が舞われたときに、姫が詠じた『竜女の詩』の模様を由比様が皆に伝えてしまって……。御台さまのお覚悟はご立派ですし、由比様もそれを伝えて皆を戒めたかったのでしょう。ですが……」
「面当てと捉える者もいる、ということか」
図書亮も、ため息が出る思いだった。和田衆と須賀川衆の溝は、相当に根深い。主夫婦以外は。
「私、ただの武人の妻で良かったと思います」
りくの言葉は、わからなくもない。だが、一つ引っかかる箇所があった。
「ただの、はないだろう。仮にも夫に向かって」
図書亮のぼやく言葉に、りくが吹き出した。一通り笑い転げるりくが、図書亮はどうにも面白くない。だが笑い納めると、りくは真面目に言葉をつないだ。
「ただの、でいいのです。少なくとも、御屋形さまたちのように家中への体裁を気にすることがなくて済むのですから」
りくの言葉に、図書亮は妻を見直す思いだった。確かにその通りだ。りくは、御台のような賢さや教養はないかもしれない。だが、彼女は御台とは異る賢さを持っている。
「私は、図書亮さまと一緒にいられるだけで十分幸せなのです」
「可愛いことを言ってくれる」
図書亮は、思わず妻を抱きしめた。
©k.maru027.2023
>「神仏の功徳(3)」へ続く
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