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千世さんの記事に思うこと

今年、二人の大切な方を見送られた千世さんの記事を拝読して、私も思うところがありました。

千世さんのところのコメントでも書かせていただきましたが、今年初めて、7/29に二本松で執り行われた「墓前祭」に私も参列してきました。

ただし、個人的にはその様子を写真に収める気にはなれなかったです。やはり、あくまでも法要ですからね。
当日、普段は「おもてなし隊」として華やかな衣装に身を包んで二本松を積極的にPRしておられる方々も、この日の墓前では喪服姿で、神妙な面持ちで参列していらっしゃいました。


ですが、その一方で。
個人的にどうしても許せないというか、「一般常識というものがないのか?」と感じた投稿も、Xで見かけまして。

7/29はたまたま月曜日だったのですが、当地では、月曜日に休館日としている公共施設が多いです。
その事について、「自分は休館を知っていたからいいけれど、他所から来た人のために公共施設を開けろ」と文句をつける投稿をわざわざしているという……。
よりによって、なぜ多くの藩士の命日である当日に、そのような趣旨の投稿をしなければならないのか。
あくまでも墓前祭の主役は現地の方・そしてご子孫なのです。にもかかわらず、茶化すような言動を投稿すること自体、理解に苦しみます。

毎年行われていることとは言え、現地には現地の都合もあります。平時ならいざ知らず、墓前祭当日に「観光気分」で文句をつけるのは、さすがにいい年の大人がすることではないのでは?

この投稿者が述べていたのは、それだけではありません。
ある二本松藩士の墓標にお供えされていたものについて、「供えられたのが◯◯(某炭酸飲料)だったら文句を言いそうという趣旨の投稿もしていました。

恐らく、言った本人は「何も考えず」軽い気持ちで、投稿したのでしょう。
ですが、当たり前ですが、二本松には多くの二本松藩士の末裔が今でも暮らしているのです。
そのお墓の手入れをしているのは当然現地の人々ですし、供物についてあれこれ論評するなど、あまりにも現地の人の心をないがしろにしてはいないでしょうか。まして、茶化すなどもっての外です。


私も、ある意味では部外者といえば部外者です。それでもやはり、作品で取り上げた以上は、登場人物の一人ひとりに対して思い入れがありますし、私にとっては間違いなく、「血の通った人々」です。
まして、ご子孫の方々にとっては言うまでもないことでしょう。

地域の歴史を「単なるエンタメ」としか捉えず、ネタにすることでしか自己表現する術を知らない人とは、私は絶対にお付き合いできないと思う。
案外こうしたところで人の本性が露呈するというのは、私事プライベートでも散々経験していますし。


私の地元では、数百年前に起こった二階堂氏にまつわる悲劇(三千代姫自害や松明あかしなど)についてすら、未だに丁寧に弔われているほどです。
地元の先輩から伺った話ですが、実は、三千代姫が祀られている「姫宮神社」や、そのうち取り上げようと思っている「上人壇しょうにんだん遺跡(奈良時代にお寺があったところです)」では、過去の歴史を茶化した愚かな人々が、何人も祟りに遭っているのだとか。

これらの出来事を非科学的と切って捨てることは簡単です。ですがやはり「祟り」というのは存在すると、私は思っています。


千世さんの記事ではありませんが、せめて、盂蘭盆会や命日などの区切りの日くらいは。
墓前で静かに手を合わせ、祈りを捧げるマナーは持ち合わせたいものです。
現地の対応を逐一茶化し、ネット上でレポするのではなく。

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