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地元の俳人は凄かった


最近は、俳句幼稚園で毎日のように俳句を詠んだり、松山市の俳句ポスト365に応募したりと、創作活動としての俳句を作る機会が増えました。
半年前の私が見たら、驚くでしょうね(笑)。

ただ、元々須賀川は「俳句に親しむ文化」が、しっかり息づいている街でもあります。

そんなわけで、現在「風流のはじめ館」で開催されている「森川光郎展」に出かけてきました。

そこで出会ったのが、3人のご年配の方々。
丁度、森川先生の俳句にまつわるクイズラリーを開催していて、大いに盛り上がっていました。

興味深かったのが、森川先生にまつわるお話です。
どうやら、私がお会いした方々は桔槹吟社きっこうぎんしゃの方々のようで、森川先生は96歳になってもなお、自宅近くの遊水池に足を運び、俳句を詠むのを習慣にしていらっしゃるのだとか。

noteでも、毎日のように俳句を詠む仲間が集っているのですけれど、既に俳人として名を馳せていらっしゃる方でも、尚そうして日々言葉と向き合っているのだと思うと、感慨深いものがありました。

代表句

展示されている先生の御句も素晴らしいものばかりで、いくつかピックアップしてみたいと思います。

みんみんの声の晴間の峠口
(みんみんのこえのはれまのとうげぐち)

解説などはついていませんでしたが、一目で「夏のミンミンゼミが鳴いている情景だな」と分かりました。峠に向かう入口の、鬱蒼とした空気が伝わってくるようです。

まちわびて子に来るきゅうり天王さま
(まちわびてこにくるきゅうりてんのうさま)

【季語】きゅうり天王(仲夏)
※須賀川独自の季語

須賀川に住む人なら「ああ」と、納得できる一句。きゅうり天王祭(きうり天王とも)は、無病息災を願って二本のきゅうりをお供えする、須賀川の夏の風物詩です。

残念ながら今年も神事のみで中止が決まってしまったのですが、森川氏の子供の頃も、夏の楽しみの一つだったのでしょう。その頃の自分と同じように、孫もきゅうり天王祭を待ちわびている。その様子が微笑ましい。
図書館から借りてきた「須賀川俳句散歩」に、そのような自句解説が添えられていました。

また、今回は展示されていませんでしたが、きゅうり天王祭についてはこのような御句も。

子の手引けばきうり天王祭くる

うぐいすの声わたりくる水平ら

【季語】うぐいす(三春)

今の季節の俳句として鑑賞したいのならば、こちらでしょうか。
桔槹吟社の方のお話を伺う限りでは、毎日のお散歩(という名の作句タイムかもしれません)の情景で、生まれてきた一句なのかもしれません。
静謐な水面と、ウグイスの声の対比が見事です。

もう一つ、春の俳句より。

魚棲まぬ沼を抱えて山笑ふ
(うおすまぬぬまをかかえてやまわらう)

【季語】山笑ふ

どこで詠まれた句でしょうか。「魚棲まぬ」なので、強酸性の水の沼などかもしれません。
そんな地でも、春は確実にやってきます。こちらも、沼の静謐さと、「山笑ふ」の取り合わせが見事です。

ぽんぽんと日和投げ合ふ牡丹かな
(ぽんぽんとひよりなげあうぼたんかな)

【季語】牡丹(初夏)

先日、私がさんざん苦しんだ(苦笑)牡丹の句です。
森川氏の御句だと、大輪の花が次々とほころぶ様子がよく分かりますね。
牡丹園にもよく足を運ばれているようで、観光客で賑わうシーズンよりも、それ以外の季節が句を作りやすいのだとか。

私も先日足を運んできたばかりですが、確かに、シーズンオフでも俳句の素材が豊富な場所だと思います。
ちなみに、公園の一角には野球場やテニスコート、さらには市民プールもあり、そうした情景も詠まれています。

水引やたつぷりと水吸ひし山
(みずひきやたっぷりとみずすいしやま)

【季語】水引(仲秋)

水引については、帰宅してから季語を調べました。
台風?それとも秋の長雨?いずれにせよ、水をたっぷりと浴びた山に咲く、赤い水引。
これから秋が深まっていくのを、予感させるような句です。

秋日ひとつ本屋の中の十字路に
(あきびひとつほんやのなかのじゅうじろに)

昭和の時期に作られた句ならでは。
「読書の秋」と言いますが、小さな本屋の中に、秋の柔らかな日差しが一筋、降り注いでいる。そんな情景です。
今ではもう失くなってしまった、あの本屋かな~なんて、私は想像してしまうのですけれどね(笑)。

須賀川に火祭二つ冬が来る
(すかがわにひまつりふたつふゆがくる)

見事としか言いようがないのが、こちらの句。
さりげなく、「松明あかし」と「牡丹焚火」の二つを暗喩しているのです。
歳時記に採用されたのは、「牡丹焚火」の方が先で、昭和53年刊の俳句歳時記で初めて採用されたそうです。

さらに、

「松明あかし」もぜひ歳時記に乗るよう、須賀川の俳人は努めねばならない。
 たとえ歳時記に載っていなくても、我々は初冬の季語として松明あかしを詠み続けていきたいと思う。

出典:須賀川俳句散歩

と仰っていました。

そして、この言葉通り、2018年に初めて「松明あかし」が歳時記に掲載されたそうです。
その裏には、地元の俳人たちを始め、俳諧の人たちを招いて松明あかしを詠んでもらった、市を挙げての尽力がありました。
「地方から中央への発信基地たらん」という、森川氏らの念願がかなったのは、つい最近のことだったのです。

俳句の季語に採用されるまでには、俳人たちのこのような働きかけがあるのですね。

オルガンの全音に雪奥会津
(おるがんのぜんおんにゆきおくあいづ)

冬に、奥会津に吟行されたのでしょうか。
全ての音を吸収するかのような、雪にすっぽりと包まれた奥会津。
その中で、オルガンの音が響き渡る。

今ではオルガンを置いている小学校も、少なくなっているのかもしれませんが、山奥の小さな小学校でオルガンを鳴らしてみる。
そんな光景が浮かび上がります。

地元の季語があっても良い

オリオンや松明あかし果てし丘
(おりおんやたいまつあかしはてしおか)

森川光郎

今では松明あかしが「季語」となったため、「季重なり」となってしまうのでしょうけれど(苦笑)、松明あかしが終わった午後10時(大体、20時半くらいには一通り燃え尽きます)の、静寂の一コマ。

オリオンが出てくる辺りが、やはり初冬という認識なのでしょうね。
実際に、年によってはみぞれが降るのも珍しくありません。

さらに、森川氏が提唱していらっしゃった季語で、次のような季語がありました。

木の根明く
(きのねあく)

【季節】春

これは、春になって木の根の周囲の雪が解けて、穴の開いたようになること。
会津だけでなく、長野や東北各所、北海道などにお住まいの方も「分かるなぁ」と感じる季語かもしれません。

俳句も、時代とともに変わっていく。ですが、根底にあるのは四季の移ろいを大切にする、その心。
森川先生の俳句は、そんな心を伝えてくれました。

おまけ

先に書いたクイズで、もらった景品です。
ほぼ桔槹吟社の方々に助けられたのですけれど😅

メモ帳、A5サイズのクリアファイル、ボールペン。
メモ帳は、芭蕉と曽良の奥の細道のイラストが入っています。

私の年代で俳句をやるというと、この辺りでは珍しいのか、熱心に「一緒にやらない?」とお誘いを受けました。
後から、図書館で本を借りに行った際に、声をかけてくださったのが桔槹吟社の代表の方々だったと知り、驚愕(笑)。
会費などの兼ね合いもあり丁重にお断りしましたが、お誘い頂いて、嬉しかったです😊

©k_maru027.2022

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