泪橋~破綻(1)
りくがようやく和田に戻ってこられたのは、木枯らしが吹く頃だった。小作田の橋も仮橋が架けられ、峯ヶ城や岩間館のところにも、逢隈川の対岸に館を構える佐渡守が伺候できるようになってからのことだった。
だが、その年の冬は、予想通り厳しいものとなった。多くの土地が収穫直前に出水に見舞われ、収穫はほぼ上がらなかった。まだ領地を持たせてもらえない図書亮は土地の上がりがないため、親族を頼るしかない。木舟の下野守からの援助だけでは到底足りず、箭部本家がある今泉へ足を運び、一族の長である安房守に頭を下げることもあった。
辛うじて武士の面目は保っているものの、りくにも辛い生活をさせている。
「来年は、もう少し良くなりましょう」
唯一の慰めは、図書亮も三年近く二階堂家に仕え、そろそろ小さいながらも土地を分けてもらえるかもしれないと、下野守からも内意を示されていることだった。だが、その意味を推し量れば必ずしも喜んでばかりはいられなかった。
「お前、それがどういうことか分かっているか?」
図書亮は、軽く妻を睨んだ。
「ええ。事と次第によっては、須賀川の方々の土地を……ということですわね」
答えるりくの声も、憂いを含んでいる。土地を手に入れられるのは喜ばしいが、その為には誰かの既存の土地を奪わなければならない。まさか和田衆同士で争うわけにはいかないから、他の土地に目を向けるのは、当然の理だった。そして、図書亮も戦に駆り出されることになる。
「治部大輔様が、和田や他の土地の皆様に情けを掛けてくだされば、また違ったのでしょうけれど」
りくの声も、次第に小さくなっていく。
――あの秋の出水のとき、美濃守を始めとする四天王は、三千代姫に「治部大輔に助けを求めるよう」に、勧めた。が、北沢民部のときと同じように、治部大輔からは、なしの礫だった。結婚してから初めて援けを求めてきた妹の身を案じ、さすがに須賀川家中への体面もあったのだろう。三千代姫の兄である行若は、秘かに糧食を岩間館に運び入れてくれたらしいが、せいぜい為氏夫妻と仕える須賀川衆の胃袋を満たす程度のものだったらしい。
さらに、鎌倉からの税の督促は相変わらず厳しい。
どう頑張っても、和田衆はこのままでは飢えていくばかりなのだった。
「御台さまも、最近では塞ぎ込まれているご様子で……」
出水の避難先から戻ってきて再び岩間館に伺候しているりくは、三千代姫の様子が気がかりなようだった。
あの、花の宴や金剛寺開山の折に岩間館まで主夫婦を送っていったときの様子を、図書亮も思い出した。三千代姫が為氏と共に和田の者と親しもうとしても、須賀川の者らはそれを厭わしく思っている。そんな雰囲気を察して、和田の者たちも須賀川の衆を快くは思っていない。主夫婦は、その両方の板挟みになっていた。
また、結婚して三年になるにも関わらず、和子誕生の気配がないのも案じられた。りくによると、和田の口さがのない者の間で、「実は石女を押し付けられたのではないか」と囁く者もいるとのことだった。
「御屋形には誠にお気の毒だが、御台を離縁して頂く」
美濃守がそう言い出したのは、文安五年の夏だった。
「本気ですか」
図書亮は、美濃守の言葉に己の顔色が変わりかけているのを感じた。そんなことをすれば、須賀川との和平が破れる。第一、三千代姫を離縁するのは、絶対に為氏が認めないだろう。それくらい、二人の仲は相変わらず睦まじいのだ。
「美濃守さま。さりとて、御台に咎はございますまい」
さすがに、暴論だと感じたのだろう。美濃守の弟である秀泰に仕える黒月与右衛門が、非難の色を匂わせながら美濃守に詰め寄った。
「そうかな?」
冷静に反論したのは、箭部安房守である。
「昨年の出水の際に、御台は父君である治部大輔殿を説得できなかったではないか」
(あっ……)
今度こそ、図書亮の顔色は確実に変わった。
あのときから、四天王らは密かに計略を練っていたに違いない。黒月の言うように、何の罪もない三千代姫を離縁させるわけにはいかない。三千代姫を離縁させる口実として、美濃守らはあえて三千代姫に治部大輔に助けを求めるように勧めたのだった。当然、治部大輔が応じないことを見越してのことである。
三千代姫の説得に治部大輔が応じていれば、それはそれで二階堂一族の結束を外部に示せたであろうし、そうでなかった場合には、岩瀬の民を救おうとしなかったとして、正々堂々と「治部大輔討伐」及び「三千代姫離縁」の口実が出来たことになる。
当初の予定通り、四天王は治部大輔を滅ぼすつもりだったのだ。
そのための障害となっていたのが、三千代姫だった――。
思わず、きつく目を閉じる。
そんな図書亮の様子をちらりと見た安房守は、さすがに気まずいのか、視線を外した。
「止むを得まい。御台にはまだ子もおらぬ。離縁するならば子のいないうちの方が、後ろ髪も引かれずに済むだろう」
二階堂山城守が、ため息をついた。すると、彼も三千代姫の離縁に賛成なのか。
「誰が、御屋形に御台の離縁を申し出る」
淡々と守屋筑後守が美濃守に尋ねている。この様子であれば、四天王の間では既に話がまとまっていたのだろう。家中の空気の大方が主夫妻の離縁に傾いているとは言え、胸がむかむかしてきた。
「儂が御屋形を説得する」
そう断言したのは、やはり須田美濃守だった。この案を言い出した責任を取るということか。だが、それは美濃守の本気を示すものでもあった。
©k.maru027.2023
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