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【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~会津の種子(2)

 正月明けに若松署に出勤した剛介は、篠原の机の前に立って辞表を出した。一応、引き継ぎもあろうかという剛介なりの配慮で、辞める予定の時期よりも少々早めに出したのである。
 篠原は、複雑そうな顔をした。
「せっかく二等巡査に昇進したのに、良いのか」
 どうも阿諛ではなく、本心で言ってくれているらしい。奥州で好き放題やっていた自分でなく、西南の地に赴いて「官軍」として幾つもの戦地を駆け回ってきた剛介について、何か思うところがあったのだろうか。
「はい」
 剛介も、もう篠原に対する敵愾心は消え失せていた。この男に不快な目に遭わされたこともあったが、それをきっかけとして自分自身で彼の地に赴かなければ、薩摩人の本音を聞く機会もなかっただろう。大壇口で戦ったという野津大佐との奇縁など、この男が聞いたら驚くのではないだろうか。
「二本松で、やるべきことがありますから」
 剛介の言葉に、篠原は目を見開いた。
「お主、二本松の人間だったのか」
「そうです」
 今ならば、堂々と「二本松の人間だ」と言える。例え今は「二本松」の名が知られていなくても、これから広めて行けば良い。その担い手を育てるのが、自分のこれからの役割だ。
「それならば、ひょっとして……」
 あの、酒の席で剛介に絡んだことを思い出したのだろう。大壇口での戦いのことである。心持ち、篠原が赤面した。
「はい、十四の時に、大壇口で銃を手にしていました。薩摩の方にも、よく戦ったと褒めていただきました」
 にこりと、剛介は爽やかに笑ってみせた。殊更西南での武勇を誇らなくても、彼にはこれだけで十分通じるだろう。

(何という男だ)
 少し離れたところから様子を伺っていた佐野は、驚嘆した。階級ではあっさり剛介に抜かれてしまったが、今まで剛介を目に掛けてきてくれた人物である。
 剛介が抜刀隊に自ら志願し、あちこちを転戦したというのは、若松署内にも伝えられていた。戦場の武功がそのまま人事評価の対象になっていたからである。当人の知らないところで、剛介の評価は署内に伝えられ、密かに憧憬と畏怖の対象となっていたと言ってもいい。戦地でのことだ。恐らくは血生臭く、言葉にしたくない出来事も数多く経験しているのであろう。
 だがこの遠藤剛介という男は、それを鼻に掛けるでもなく、また、執着も見せなかった。そして、自分の進むべき道を、再び二本松に見出したという。
「遠藤」
 佐野は剛介を手招いた。
「本当に、辞めるつもりか」
「はい」
 当の剛介は、躊躇なく頷いた。西南の役の戦いの途中から俸禄が上がり、その他にもいくばくかの報奨金が出ていた。当面の遠藤家の生活はそれで立ち行きそうであったし、自分自身の事は後から何とでもなろう。
「これ以上、御国の為に尽くすつもりはないということか?」
 佐野も、旧会津藩士の一人である。「御国の為に」と教えられ育てられてきた一人だったから、剛介の警官を辞めるというのは、どうにも解せないところがあった。
 剛介はかぶりを振った。
「いいえ。今度は知を以て国に尽くせる人材を育てる側に、回ります」
「知を以て……」
 剛介の言葉に、佐野は唸った。
「恨みは恨みを生むだけですから。そうせずに済む知を持つ御子らを、これから育てるつもりです」
「壮大だな」
 この後輩が見る夢は、何と壮大なのだろう。もしかすると、これからの会津でもそう考える子らが育っていくかもしれない。
 今までとは違う形の「御国の為に」ではあるが、その道を歩もうとする後輩が、羨ましくもあった。
「佐野様には、本当に良くしていただきました」
「なんの。もうお前には叶わない」
 佐野は、そう言って笑った。
 この芯の強い後輩であれば、きっと別の形で公儀に尽くしてくれるだろう。

 ***
 
 その日は冬の会津にしては珍しく、遠くまで青空が広がっていた。空気はきりりと締まり、切れるようである。
 朝が早いせいか、時折ふわふわと氷晶が舞っている。
「では、参ります」
 清尚、伊都、そして息子の貞信に向かって、剛介は一礼した。
「剛介様」
 伊都が、呼び止めた。
「最後に、貞信に何かお言葉を」
「そうだな」
 今後、剛介が貞信の成長をどこまで見守れるかは分からない。だが、自慢の息子には違いなかった。
「遠藤貞信」
 父の呼びかけに、息子がぴんと背筋を伸ばした。
「お前は、会津の大切な御子だ。これからどのようなことがあろうとも、それを忘れずに、誇って生きよ」
 それだけを伝えると、剛介は伊都と目を合わせた。舅の面前ではあるが、さすがに感極まって、伊都の項を抱き寄せた。伊都の項が震えている。
「伊都。よく連れ添ってくれた」
「いいえ」
 交わした言葉は少ないかもしれない。だが、確かにこの二人は紛れもなく夫婦だったのだと、義父である清尚は思った。
 最後に、剛介は再度三人に向かって一礼すると、雪を踏みしめて歩き出した。
「父上!」
 遠くから貞信の声が聞こえたが、剛介は、再び振り返ろうとはしなかった。 

>「再出発(1)」に続く

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