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「直違の紋に誓って」~こぼれ話3(後編)

前編は、こちらからどうぞ!


丹波との対峙

ラストに向けてちょくちょく伏線が張られていたのが、丹羽丹波にわたんばです。
お気づきだったでしょうか?

ところで、二本松藩の人には怒られそうですが……。
丹波様、家老座乗の割に存在感が抹消されていませんか?

いや、マジで。
一応他藩の戊辰戦記(長岡藩、仙台藩、仙台藩など)も読みましたが、家老座乗(代表格)がこれだけ正史(二本松藩史)でちゃんと取り上げられていないって、あり得ないです。

そこから導かれた推測ですが……
「二本松藩史が編纂・刊行された昭和元年は、まだ戊辰戦争の記憶が生々しくて、戦犯格の丹波様の記録は意図的に書かれなかったのでは?」ということです。

ただ、私は丹波のやろうとしていたことは、当時の二本松藩で理解を得るのが難しい部分もあったのだろうと考えています。
作中ではあまり詳しく書いていませんが、丹羽丹波一族は、祖父の貴明たかあきから始まって権勢を極めた一族でした。
その功績は、「賛否両論」と評されています。

いくら代々の重責だとは言え、ボンクラな人物が「二本松藩の兵制改革」を行なったり、軍事総裁を任せられるかなあ?というのが、素朴な疑問。
また、丹波の独白でも言わせましたが、江戸藩邸にいた時分には、他藩との交流もあったはずです。
丹波はそこから「二本松の近代化」のヒントを得ていたのではないでしょうか?

とは言え、丹波様が大分「やらかし」をしていたのは確か(苦笑)。
剛介と豊三郎が会津に保護されるきっかけにした「三浦義制」との大喧嘩ですが、しっかりと「藩史」に記録されている出来事です。
この義制、実は「供中口」で西軍に対して戦わずに割腹した「三浦権太夫」の叔父でもあります。甥っ子も丹波と対立しており、何だか因縁を感じてしまふ……。
義制はよほど丹波が嫌いだったのか(苦笑)、母成峠の後、別の部隊(登場しないですが、福島方面に展開していた部隊がいました)に転陣していますし。

ですが、そんな丹波でも「自藩の兵士」を守りきれなかったことには、後悔があったのではないでしょうか。公の助命に動いていたのは確かですが、それだけではなかったと私は思います。
最後のハイライトは、剛介との対峙を通して、少しでも彼の魂が救われたならなあと感じた次第です。

誇り高い二本松武士

私が思う二本松武士。それは、「護民官としての誇り」を持つ武士の姿です。
会津では敗戦後早くも一揆(ヤーヤー一揆)が起こっているのに、二本松ではその影響がほとんどなかったのは、日頃から領民との関係が穏当だったからにほかなりません。
当時の大人たちは「二本松の少年たち」が傷ついたことを知っていましたし、事あるごとに悪夢が蘇るのも知っていた。
さらに、長い間「賊軍」扱いされ、「賊」という言葉は彼らをどれだけ傷つけたことか。

強いて過去を持ち出し、わざわざ傷を深めることはない。そのような大人の優しさから、二本松少年隊は長いこと語られてこなかったのではないでしょうか。

加えて、大人になった剛介たちも、きっと白虎隊の悲劇は耳にしていたと思います。
ですが、その一方で「戦争美化」の宣材に使われているのも、目の当たりにしていたでしょう。
自分たちだって同じように戦ったのにという、忸怩たる思いも抱えていたはずです。

五十年という年月を経て万感を込めて口を開いたのが、水野好之氏(戊辰当時は進)でした。

彼がどのような思いから、「二本松戊辰少年隊記」を配布したのかは、今となっては窺い知れません。
ですが、単純に「自分たちの武勇を誇る」という思いからではなかったのだろうと、あの序文を読んでも感じるのではないでしょうか。

おまけ~お気に入りの人物たち

作者が贔屓をしてはいけないよなあと思いつつ、主人公の剛介以外にもお気に入りだった人物は、何人かいます。

窪田重太

本音を言うと、もっと活躍させてあげたかった人物です。彼も実在の人物で、白虎隊士中一番隊に所属していたのも、中尾山で戦死したのも史実通り。
中尾山の戦いの詳細な記録が見当たらなくて、ナレ死させざるを得なかった人物でした。(戦死者わずか5人のうちの一人)
最期に剛介に語った言葉からしても、会津士魂の代表格のような人物だと感じています。
あの言葉は私の創作ではなく、彼の死の間際に語った言葉として、現代に伝えられています。

画像出典:「年刊田原坂」vol.5

余談ですが、熊本市田原坂西南戦争資料館が発行している「年刊田原坂」の窪田征巳郎せいしろうのモデルにもなっているであろう人物。
西南戦争では植木口警視隊の小隊長を務め、三等巡査として戦死した記録が残されています。

水野進(好之)

エピローグでも触れたように、「二本松少年隊」が世間に知られるきっかけを作った人物です。
実際に剛介と交流がどの程度あったかは不明ですが、木村道場の16人の中で生き残った一人であり、公職についていて明治以降の動向が追いやすいため、友人として登場させました。
機会があれば、彼の手記(二本松戊辰少年隊記)を読んでいただきたいのですが、その文章から伺えるのは、冷静さを併せ持つ賢い少年の姿。
今で言うならば、学級委員長タイプのようなイメージがあります。
とは言え、割と「一筋縄ではいかない」「一言居士」のような一面も持っていたようです。

宇都隼人

明治編での、剛介の戦友かつ命の恩人。
剛介の心境の変化となる切っ掛けが、「野津大佐との邂逅だけでは弱いよなあ」という動機から誕生した人物です。
架空の人物ですが、出水いずみ郷士が城下士から一段下に見られていた、さらに戊辰戦争のときに出水郷士が越後口から若松に進軍したのは、史実通り。
そんなわけで、色々と因縁を背負っている人物でもあります。

同郷の少年兵である「三郎」や「中原」との対峙も、西南記伝の少年兵のくだりをヒントにしていて、似たような話はまだ西南の地に眠っているのかもしれません。
親兄弟とも敵味方に別れて戦うというのは、戊辰戦争には見られなかった悲劇であり、西南戦争もまた「大義なき戦争だった」と感じるのは、私だけでしょうか。

木村銃太郎

言わずと知れた、剛介の恩師です。
恩師とはいっても亡くなったのが22歳なので、比較的若い人物です。ひょっとしたら剛介の入門前に顔見知りだった可能性もあるかなあ、なんて私は考えています。
剛介の兄であるいたると学年で一つ違いなので、銃太郎と達が敬学館で机を共にしていた可能性はあり。
(惣領は皆敬学館に通うことになっていた)

そして彼の人柄や武勇伝は今でも語り草になっており、地元の尊敬を集めている人物です。
剛介が教員へ転職するきっかけになったかどうか……は定かではありませんが、「お手本」の一人にはしていたのではないでしょうか。
なお、剛介が息子につけた「貞信さだのぶ」というのは、銃太郎のいみなです。本当の息子の名前は違いますが、恩師の名前を頂くというのは、銃太郎を敬愛してやまなかった剛介ならば、有り得そうです。

遠藤敬司

登場回数は少ないですが、生真面目な人が多い印象の会津藩・二本松藩の中にあって、異色の人物。
モデルになった遠藤敬止の家が「江戸定府」だった(要するに、江戸藩邸に仕えていた家だった)というのを参考に、少し都会っ子の雰囲気を纏わせてみました。
なので、遊び人の顔も匂わせています。未成年の剛介に酒を勧めるわ、スピンオフ(剛介の初恋)では剛介夫婦をからかっているわ^^;。

ですが、本質は切れ者かつ優しい人物。
二本松と比較すると、会津は結構身分関係にうるさいところもあり、堅苦しい空気のある藩でもありました。
そんな中で敬司のような義兄がいたら、剛介も心を開きやすかったかもしれません。

大谷鳴海

私の作品以外でも、二本松では大人気の人物です(笑)。主人公クラスが務まる、スーパー家臣。
二本松藩でもトップクラスの参戦歴(天狗党の乱のときから大活躍)の持ち主であり、それだけでも特筆モノ。
会津藩の「会津戊辰戦記」にも名前が出てくるなど、「鬼鳴海」の異名は、伊達ではありません。

それだけでなく、戦局を冷静に見極める目を持っていたクレバーな人物というのが、私の鳴海評です。
早くから「会津と連携して再起を図るべし」と考えていたのも彼で、「樽井将監(弥五右衛門)手記抄」にその痕跡が見られます。
また、数々のエピソードの持ち主(木の根坂での丹波とのやりとりなど)でもあり、彼を避けずに二本松の戊辰戦争は語れない!
二本松藩関係者の中で、唯一私の夢枕に立った人物でもあり、存在感は抜群です。

黒田傳太

何か物を色々食べているイメージが強い御方ですが(笑)、この方の「黒田傳太氏回顧録」は、剛介の日常生活のタイムスケジュールや、母成峠からの脱出の場面などの参考にさせていただいています。
後は、鳴海とのコンビネーションが秀逸!(鳴海率いる五番隊の番頭と軍監という関係です)
本宮の戦いのやり取りといい、木の根坂での丹波からの逃亡といい、傳太が書かなかったら、鳴海の功績も一部しか伝えられなかったでしょうし、丹波の性格も伝わってこなかったでしょう。
一応、彼視点での「スピンオフ」も書いているので、取り上げないのもなあ^^;
→二本松藩の母成峠からの苦難の逃亡を知るには、絶好の資料です。

参考資料

ここで、執筆するに当って利用した参考文献も上げておきたいと思います。
漏れもあるかもしれませんが、ご容赦を。

$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{l|l|l|l|}
\textbf{書籍名}& \textbf{著書}& \textbf{出版社} &\textbf{出版年}\\ \hline
白虎隊と二本松少年隊& 星 亮一 &三修社& 2007.5.10\\ \hline
二本松少年隊のすべて& 星 亮一& 新人物往来社 &2009.1.25\\ \hline
二本松藩& 糠澤章雄 &現代書館& 2010.4.15\\ \hline
二本松少年隊& 紺野康治 &FCT &昭和五十一年\\ \hline
武士道―二本松少年隊の記録&紺野康治&歴史春秋出版&1994.7.29\\ \hline
数学者が見た二本松戦争& 渡部由輝& 並木書房& 2011.6.15\\ \hline
群像[図解マスター]銃& 小林宏明& 学研 パブリッシング&2010.8.3\\ \hline
図説幕末・維新の銃砲大全&&洋泉社MOOK 別冊歴史REAL&2013.6.15\\ \hline
戊辰戦争全史& 菊地明・伊東成郎& 戎光祥出版&\\ \hline
二本松藩史&&  歴史春秋 &昭和元年\\ \hline
二本松寺院物語&平島郡三郎&歴史図書社 &1975年\\ \hline
二本松市史&二本松市&二本松市&1999.3\\ \hline
仙台戊辰史 &藤原相之助& マツノ書店\\ \hline
戊辰白河口戦争記& 佐久間男留 &堀川古楓堂& 昭和16年9月10日\\ \hline
猪苗代町史& 猪苗代町史編纂委員会 &猪苗代町史出版委員会 &1977.12\\ \hline
會津戊辰戦史 &山川健次郎& マツノ書店&\\ \hline
会津若松史&&会津若松市&1967年\\ \hline
西南戦争と西郷隆盛 &落合弘樹& 吉川弘文館& 2013.9.1\\ \hline
維新の構想と展開 &鈴木淳& 講談社& 2002.7.10\\ \hline
征西戦記稿&&  参謀本部陸軍部編纂課& 明治20.5\\ \hline
日本の歴史~維新・西南戦争& 桑田忠親・山岡荘八&徳間書店& 昭和41年1月15日\\ \hline
明治の士族~福島県における士族の動向 &高橋哲夫& 歴史春秋& 昭和55年12月15日\\ \hline
鹿児島県史&&鹿児島県&昭和14年~15年\\ \hline
西南記伝 &川崎三郎他& 黒龍会& 1909年\\ \hline
出水の歴史と物語& 出水市郷土編集委員会& 出水市 &1967年\\ \hline
\end{array}\\
$$

そして、最後に。
かなりの長編作であるにも関わらず(しかも毎日更新)、読んでくださった方々。
サポート下さった千世様、篠垤潔様。
Twitterで日々RTして下さったつのだ様、Y様に篤く御礼を申し上げます!

<マガジン>

https://note.com/k_maru027/m/mf5f1b24dc620

©k.maru027.2022

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