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父親を孤独死させるのは悪いことか

正直…父親のこと、嫌いなんですよね

最近色々な人に会うが、このように言う人がなんと多いことか。

悪い人じゃないんですけどね…
でもなんか、すごく無神経なんですよね。
向こうから連絡が来るから返してあげてるんですけど。正直めんどくさいし、嫌なんですよね。
今年は帰省しないのかー? とか、色々言ってくるんですけど。仕事が忙しいから、とか色々理由つけて、もう二年ぐらい実家には帰ってません。
父と母は、私が大人になってから離婚しました。もう私が小さい時からずっと喧嘩していて仲が悪かったので、別に驚いてません。むしろよく母は離婚せずに我慢してたな、と思います。
再婚? いや、父はたぶん、この先もずっと独りだと思います。だから…早ければあと10年後ぐらいには、介護が必要になるかもしれません。私には弟がいるんですけど、たまに二人でどうしようか、という話もします。
でも正直、介護、したくないんですよね…
ひどい娘ですよね。

このように言う方がいた。
全くひどい娘ではない。というか、僕も全く同じこと思ってますよ。そう言うと彼女は俯き、唇を閉じ、苦そうに笑っていた。
あんまりこういうこと、言えないじゃないですか。なんか、人でなしというか、そういう風に見られるかも、とか。色々考えちゃって。
彼女は苦そうに笑った後、そう言いながらコーヒーを口に運んだ。共感しかない。私は首がもげるほど頷いていた。

子供に「介護したくない」と思わせる父親。もはや存在が罪ではないだろうか。
漫画に出てくるような、人間味のかけらもない呑んだくれの暴力オヤジであってくれたなら、どんなに楽だっただろう。「こんな奴、独りで死んでいって当然」と心から思える父親だったら、こんなに苦しまずに済むのに。周りの人も、「そんな父親捨てちゃいなさいよ」と太鼓判を押してくれるから、罪悪感に呑まれずに済む。
でも、そうさせてくれない。傍目には子煩悩な父親の仮面を被り、久しぶりに会えば「よく帰ってきたな〜」と言う。そして楽しそうにビールを飲みながら食事をして、話をしてくる。
仕事は順調か?
まるでまともな親のような顔をして、こちらを気遣ってくる演技をする。あれ、やっぱりいい人なのかな、と心が揺れる。子供の時、あんなに酷いこと言われたのに。理不尽にぶたれたのに。いつまで経っても消えない傷口を無理やり塞ごうとするかのように、目の前の高齢男はこちらを騙そうとしてくる。
30分ぐらい話していると、目の前で笑顔を浮かべる高齢男が、なんだか悪い男ではないように見えてくる。子供の頃に抱いていた嫌悪感が脳をよぎるが、それでも。もしかしたら、私のことを本当はちゃんと気遣える人なんじゃないか。本当は、愛情深い人なのでは。そんな淡い期待に身を委ね、自分の「本当の」身の上話をしてもよいかも、と思い始める。だが。

「お前、結婚はどうなんだ?」

すっかり酒で赤らんだ顔と、酒臭い息。顔中シワだらけの汚らしい顔。たるみ切った目尻に皺が寄り、口角を歪ませて気持ち悪い笑みを浮かべ、その本性を晒す。
もうお前も30だからなぁ。誰か、いい男はいないのか。仕事ばっかり頑張るのもいいけどなあ。やっぱり父ちゃん、女は家庭に入った方が幸せだと思うけどなあ。子供もなあ、あんまり遅くなるとあれだし。
あっという間に「子供を気遣うまともな親」という仮面を外し、畜生の本性を晒す。酒の力も相まり、元来の無神経さが暴れ出す。およそ会話と呼べるものではなくなり、高齢男の大演説会が始まる。

…やっぱり帰らなければよかった。
やっぱり、この人はこういう人間なんだ。一瞬でも気を許そうとした自分が馬鹿だった。
歯軋りする思いで席を立つ。そして決意する。もう二度と帰ってくるか、と。だが一年ぐらい経つとまた、孤独な高齢男の呪いが頭をよぎる。そしてあなたをこう罵るのだ。「お前は本当に、冷たい娘だな」と。

私たちは常に罵られている。世間からの「こうあるべき」に犯され、苦しめられる。ただでさえしんどい仕事に忙殺され、金曜の夜には泥のように自宅のベッドに倒れる。そして「ああ、明日のデートめんどくさいな…」と思い、メイクも落とさずに寝落ちする。
なぜ、毎日こんなにもつまらないのだろう。なぜ、生きているだけでこんなにも苦しいのだろう。
一見答えのない地獄の問いに思える。だが答えは明確に存在しているのだ。
「父親に怒りを抱いたままの自分に甘んじていること」
これが、私たちが生き地獄に晒されている原因だ。

わたしは群馬県の田舎に生み堕とされた。
裕福な家の長男である父の隆行は、31歳の時に母親と結婚した。典型的な男尊女卑の村。隆行の父は呑んだくれの粗暴な男で、隆行の母はコメツキバッタのように常に夫にへこへこし、人間としての感情を押し殺して生きる弱い女だった。
隆行は頭が悪かった。だが必死に勉強し、県内有数の進学校に入学。しかし要領の悪い隆行は成績があがらず、志望大学に落ちた。裕福な家庭だったため、都内の予備校に下宿しながら通い、二年間の浪人生活を送った。だがそれでも成績が上がらず。
隆行はある時から、参考書を開くと手のひらにびっしょりと汗をかくようになった。参考書のページが湿って勉強にならないほどの症状だった。精神症を患ってしまったのだろう。抑鬱状態の隆行は結局大学には進学できず、群馬県に戻ってきた。
当時の田舎では精神症への理解は皆無。世間体だけを気にして生きる両親のもとで、隆行は日に日に病んでいった。ある日、掘り炬燵の居間でタバコを吸っていた隆行は何気なく、「ああ、死にてえなぁ…」と呟いた。それを聞いていた隆行の母は激昂。「だったら今すぐ線路に飛び込め」と隆行を怒鳴りつけた。

そんな家庭で、人間としての情緒が育まれるはずもない。愛着がぽっかりと抜け落ちた人形の隆行は、自らの哀しみに強固な蓋をした。親への怒りを抱えながら、隆行は必死に生きてきた。自分の抑鬱に蓋をしたまま、31歳で私の母親と結婚。隆行が34歳のとき、私は生み堕とされた。

「こうあるべき」に犯され、哀しみに蓋をしたままのガキが人を愛せるはずもない。案の定母親と向き合えない隆行は、もう時代は平成だというのに昭和の価値観を引きずったまま仕事に明け暮れた。朝9時から深夜1時まで働くという生活を毎日続けた。「男は稼いで、女は家を守る」という国家洗脳に甘んじ、隆行はほとんど家にいなかった。たまの休みも会社の連中とゴルフやら飲み会やらに興じていたため、私は隆行との思い出がほとんどない。
隆行は妻と戦争のような喧嘩を繰り返した末、私が8歳の時に離婚した。

俺は父親が大嫌いだった。
遊んでくれないからじゃない。運動会に来てくれなかったからじゃない。
母親が泣いている横で、不幸面を貼り付けて呑んだくれていたからだ。妻などは召使いで、何をどう思ってようが関係ない。そんな無関心さを全面に出して、リビングでタバコを吸っていたからだ。まるで口から魂が抜けていくような、そんなアホ面を晒して。馬鹿みたいに口をぽっかり開けて、煙を吐き出していたからだ。
どれだけ母親がサインを出しても。どれだけ母親が泣いて怒りをぶつけても。それと向き合わずに、「俺が働いて稼いでるからお前らは生活できているんだろうが」と言い訳をして外に逃げていたから。だから俺は、隆行が死ぬほど嫌いだったんだ。

やがて俺は隆行の元を離れ、群馬県から栃木県に移送された。母親と、ギャンブル狂いの二人目の父親の元で飯を食わせてもらっていた。
だが隆行との繋がりは切れなかった。勝手に隆行の元から逃げた母親が裏で「やっぱり駿の養育費を出してくれませんか」と隆行に依頼したからだ。隆行は喜んで応じた。俺は毎月、訳もわからず隆行と食事に連れて行かれていた。
食事は苦痛だった。会話にならない隆行の、演説会を聞かせられていただけだったから。幼少期、母親を泣かせ続けていた、その嫌悪感をどうしても消せなかったから。
俺の表情を見ても、隆行は何も感じ取ってくれなかった。俺が新しい父親と、母親からどんな仕打ちを受けているか。全くどうでもいいというような顔で、ただ酒を飲んで自分語りをしていた。
「もう、あんな男に会いたくないんだけど」
隆行との食事会から帰った俺は、母親にそう言った。だが母親は、「そんな言い方するな」と言って俺を怒った。

なぜ、俺は隆行と会わせられているのか。高校生になってようやく気づいた。そして大学に行くためには、下宿代を出してくれるこの男の存在が不可欠なのだとようやく気づいた。
二人目のギャンブル狂いの父親が逮捕され、母親は離婚した。苗字がギャンブル狂いの男の苗字になっていた俺は、隆行から「苗字を戻せ」と言われた。苗字が途中で変わって周囲から変な目で見られるのが嫌だった俺は、「卒業してから、じゃだめなのか」と隆行に言った。隆行は怒って、「苗字戻さないなら金は出してやらねえぞ。苗字が違う奴なんか、俺の子供じゃない」と俺を脅した。

大学を卒業したら、もうこんな奴捨ててやる

俺は決心した。社会人になれば、もうこんな奴に媚び諂わずに済む。だからそれまでの辛抱だ。それまでは、適当に連絡を返してやればいい。
だがそれは間違いだった。大学を卒業しても、俺の脳内は隆行と母親に植え付けられた呪いに支配されていた。隆行から着信がある度に、その声は俺を罵った。

養育費払ってやったのに
高い飯も食わせてやったのに
予備校代も払ってやったのに
大学の、下宿代も払ってやったのに

お前、今「めんどくせえな」って思ったか?

弱い俺は、その声に抗えない。眉間に皺が寄っているのが自分でもわかる。しょうがなく着信に応じる。

「おー、しゅーん、元気かー?」

能天気な声。無駄に語尾を伸ばし、そして「あっはっはっは」と何も面白くないのに愛想笑いをしてその場の空気を紛らわそうとする、男としての弱さ。俺がお前にどんな感情を抱いているのかわかっているのか。
人の感情を慮る、という機能のない欠陥生物にどうしようもなく怒りを覚える。そしてベラベラとどうでもいいことを喋った後に、「いつ群馬に帰ってくるんだー?」と言う。当然俺は「仕事が忙しいから帰れない」と言う。すると、また呪いの声が響いてくる。

お前は本当に、冷たい人間だな。
今まで、何不自由なく育ててもらっておいて。よくも親に対して、そんな態度が取れるな。身を粉にして働いてきた父親に向かって、感謝の一言もないのか。

呪いの声に苛立つ。
そんなもの、ある訳ないだろう。そもそもあんなどうしようもない家に産み落としやがって。誰がそんなことを頼んだのか。

この国では、こんな発言は許されない。もし公衆の面前でそんなことを言おうものなら、「ロクでもない人間」「しょうもない奴だな」と、白い目で見られる。心の底で馬鹿にされる。そう思わずにはいられない。
育ててくれた親には感謝しなければならない。
俺は親が植え付けた呪いに屈した。そして怒りを抱えたまま、本音を押し殺して生きてきた。親に負け続けた俺の前には、親のような無神経な人間たちがうじゃうじゃとゴキブリのように現れ続けた。そんなゴキブリたちに俺は首を絞められ続け、人として壊れた。

漫画に出てくるような、何か特別酷いことをされた訳じゃない。
父親に金属バットで殴られたとか、一週間飯を食わせてもらわなかったとか、そんなわかりやすい虐待をされた訳じゃない。
それでも毎日、隆行の元で暮らしていた8年間、息をするように傷つけられてきた。無神経さは俺の尊厳を毎日、確実に削り取ってきた。それは隆行の元を離れた後も同じ。隆行と母親には毎日、さくさくと小気味よい音を立てて小さな刃を刺され続けていた。

わかりやすい暴力だけが、虐待じゃない。
「その程度のことで、親を悪く言うなんて」と、この狂った世間の住人たちは言うだろう。だが狂っている奴らの意見に一切耳を貸してはいけない。
毎日のように、あなたを刺し続けてきた無神経という刃は、それ自体が立派な暴力であり虐待だ。
「これぐらいのことで気にしすぎかな…」と、絶対に自分を誤魔化してはいけない。いくら小さなものでも刃は刃だ。きちんと抜かなければそれはいくら時間が経っても刺さり続けている。その刃は親元を離れても、親の代理人があなたの前に現れ続け、刺し続ける。無数の、大量の刃はやがてあなたの命を奪う。

このままでは殺される。あの馬鹿面の、「俺は何も悪くない」「一生懸命働いて稼いで、子供二人を育て上げた立派な父親だ」と勘違いしている高齢男に。
なぜ、親に殺されてしまうのか。心に刺さった刃を抜くにはどうすれば良いのか。幸いにもそれを知ることができた俺はすぐに実践した。隆行の元に殴り込みに行った。

問い詰めた。

なぜ母親が泣いている横で、「俺だって辛いんだ」と不幸面を貼り付けて呑んだくれていたのか
なぜ妻を召使いのように扱っていたのか
なぜ母親と向き合うことから逃げたのか
なぜお前は会話にならないのか。なぜ自分の話ばかりなのか。なぜ俺が黙っていると、上っ面のくだらない質問をしてきて。それに答えてやると、「そうなん」しか言わず、また自分のくだらない演説会を繰り広げるのか
なぜお前は「父ちゃんにとっては、あやちゃんと駿が何より大事だ」と酔っ払うとバカの一つ覚えのように、誰も聞いてないのに繰り返しているのか。
なぜお前は、二人の子供が大事だとほざく癖に、子供の気持ちを理解しようとしないのか。なぜ、子供の話に関心を持たないのか
なぜお前は酔っ払うと「派手な女と結婚するな」「駿の結婚相手は父ちゃんが見極めてやる」「駿の嫁さんがこの家に住みたいと言ったらな、父ちゃん、その女が土下座して頼んできたら住まわせてやるからな!」と言ったのか。誰もお前なんかと住みたくねえよ。頭おかしいのでは。
なぜ、「尊敬できない親の様」を見せつけられることが子供を失望させ、傷つけることがわからないのか。なぜ、「人としてしょうもない。こいつはゴミだな」と親を思わなくてはならないことが、子どもに対する虐待だということがわからないのか。無能な人間が親であること、この苦しさがお前にわかるか。
なぜ俺が高校生の時にうつ病とパニック障害を患った時に電話してきて「しゅーん、なんかお母さんから、駿が頭おかしくなっちゃったって聞いたぞー、大丈夫かー?」と、いつもの馬鹿な声で聞いてきたのか。お前だって同じ状態になったことがあるんだから、それがどういうことかわかるはずだろう。
なぜ「駿は髪なげーし、風呂上がりなんか色々顔に塗りたくってるし…なんか、女みてえだな。男が好きなのか?」と、馬鹿な発言をしたのか。俺はお前を殺したいと思っていたが、人をイラつかせる言動だと、なぜわからないのか。
なぜお前は、「苗字を戻さなきゃ金出してやらねえぞ」と脅したのか。俺は所詮お前の、「息子を立派に大学まで出してやった俺」に酔うための道具でしかなかったのか。そのために、「息子だ」と言い張れるようにするために、苗字を戻させたかった。ただそれだけだったのか。もし違うというなら、なぜ俺の感情を無視しして、俺の要望も聞かずに脅したのか。
なぜお前は、人の感情を理解しようと努力しないのか。そのためには自分の感情を理解しないといけないが、なぜその努力をしないのか。その努力をしないから妻にも愛想尽かされ、娘に愛想尽かされ、そして今息子に捨てられようとしている。まさにこの今もなぜ、人と向き合うことから逃げるのか。

子どもは無条件に、親に愛されたいと願う生き物だ。
だからこそ、その親には幸せであってほしい。
だが、現状に甘んじて不幸面をひっさげていること。その親から欲する愛をもらえないこと。口先だけでは「子どもたちは命より大事だ」と言われること。

この絶望が、お前にわかるか?
結局お前は「子どもたちは命より大事だ」と言っている自分に酔っているだけではないか?

これらを全て確認した。確認した内容を盛り込み、隆行を罵った小説も全て見せた。だが隆行の反応はゴミだった。

そんなこと言ったのか…
覚えてないな…
それは本当に悪かった。ごめんな。

ただただ、これを繰り返すだけだった。

ここまで読んだあなたは「いやあ、流石にやりすぎでしょ…」「もう謝っているんだし、許してあげなよ」と思うだろうか。
たぶん、「親と向き合った」と言う人たちのほとんどは、ここで終わらせているのだ。ただ自分の怒りをぶつけて、相手に謝罪の言葉を吐かせる。だが、本当にそれだけで良いのか。

こちらが知りたいのは「なぜ、俺を傷つけたのか」という理由だ。その背景だ。そして「なぜ、俺が傷ついたのか」を相手が理解した上で謝らなければ、それは謝罪とは言えない。「ただ謝罪文句を並べ立てて逃げた」ことでしかない。理由もわかってない謝罪は意味を成さない。

だから追求した。
色々確認したが、要は俺が知りたかったのは、「お前は本当は子どもを大事だと思ってないのでは」ということだ。隆行が俺にしてきた行為は、子供が大事だと思う人間であればしないはずの行為ばかり。

なぜお前は、「苗字を戻さなきゃ金出してやらねえぞ」と脅したのか。俺は所詮お前の、「息子を立派に大学まで出してやった俺」に酔うための道具でしかなかったのか。そのために、「息子だ」と言い張れるようにするために、苗字を戻させたかった。ただそれだけだったのか。もし違うというなら、なぜ俺の感情を無視しして、俺の要望も聞かずに脅したのか。

これを確認した時の隆行の回答は、
「それは駿の立場ならそう思うかもしれないけど。父ちゃんとしては、籍を抜かれて別の苗字になっちゃっているなら、それは戸籍上、他人の家の子じゃないか」
という、頭の悪い隆行らしい回答だった。俺が聞きたいのはそんなことじゃない。
「俺が言いたいのは、子供が大事とかほざくなら、子供の気持ちとか感情とか、相手の立場にたってどうかな、と。そういう風に考えて接するのが愛情だと思ってるんですけど。で、今ずっと話してきてその気配を微塵も感じないんですね。それって、戸籍が違うんだったら俺の子供じゃないんだっていうのは、父親側の感覚ですよね。そこに俺の、子供の目線ってありますか」
俺が問うと、隆行はこう返してきた。

隆行:それ言われちゃうとまたわかんなくなっちゃうけどさ。父ちゃんから言わせて貰えば、それはもう当たり前の理屈だったからさ。そんなこと言われたって、父ちゃんの考え方ってのはあるからさ。ちゃんと、こちらの苗字に戻してもらって。戻せるんなら戻してもらう、ってことだからさ
俺:俺が途中で、学校内で苗字が変わって。当時の、特に田舎ですから。親が離婚しただの苗字が変わっただのなんて、周囲からそういう目で見られるし、いらん干渉もされるわけで。それで息子がどういう気持ちになるかなぁ、とか、そういうのはあなたには関係ないんですか
隆行:いや関係ないっていうか、それは駿にとってはあると思うよ。でももう、そっちは離婚してるんだから。自動的に元の戸籍に戻るわけだからさ。役所的には。本来の元の姿に、戻して当たり前なんだからさ
俺:自動的に戻る?
隆行:手続きには行くよ、役所に。申請しに。だからお母さんにはそう言ったわけだよ
俺:え、自動で戻るんだったらそんな、『苗字戻せ!じゃなきゃ金なんか出してやらねえぞ』って脅す必要ないですよね
隆行:いや自動ったってそりゃ申請しなきゃ、そう、
俺:俺の当時の気持ちとしては、学校を卒業した後に苗字を戻すとか、要は周りの目っていうのがすごく嫌だったわけですよ
隆行:…うん、うん。まあ、言われてみればわかるよ
俺:だから、『卒業してからじゃだめなのか』と聞いた。そういう寄り添いを欲していたわけですよね。そういう風に子供を慮ることが、『親が子供を大事に思っている』ことだと思うので
隆行:父ちゃんそういうこととは違うと思うよ。それと愛されてるっていうのは
俺:ほう。それはどういう
隆行:きちっと、苗字を戻せるのに、戻さない方がそれは違うんじゃないの
俺:それはどう違うんですか
隆行:それは苗字戻すべきなのに、戻すってのは当たり前じゃない
俺:当たり前っていうのは、あなたの感覚ですよね
隆行:うーん…ああ、もういいよその件は、駿。もう、言い合いになっちゃうから
俺:いや、よくないからこちらは引きずっているわけなので。というか、あなたがもういいよ、とか言う権利ないので
隆行:…うーん。…まぁ、それは、言われてみればそれは、駿も嫌だったんだろうなって思うけどさ。でも当時の父ちゃんからすれば、それはもう当たり前だったんだ
俺:それは当たり前だ、とか、昔からあなたはそうですね。思考停止で。あなたはあれですか、『俺はこうするのが当たり前だと思う、だから子供もこうするのが幸せなはずだ』と言うのを子供に押し付けるのが、あなたの愛情ですか
隆行:ああ、それは間違ってる
俺:ほう
隆行:駿を枠に嵌めようなんて、さらさら思ってないから
俺:え、枠に嵌めようとしないのであれば、『苗字を元に戻すのが当たり前じゃないか』って詰め寄ることはしないはずじゃないですか
隆行:それは…それは、駿の生き方と戸籍の話はまた違う話じゃない
俺:何が違うんですか
隆行:だってさあ…そんな、多額のお金を払っててさあ、なんで苗字を戻せるのに戻さないままの状態で、金を払えって言えるんかい。そういう子供でいいんかいって話ですよ逆に言えば
俺:そういう子供でいいんかいってことは、そういう不義理なことをされてるのが父親として嫌だしムカつくってことですよね
隆行:いやだから…そういうことじゃなくて、戸籍を戻せるんだから戻せる時に戻すのが当たり前だってことだよ
俺:別に戻すのは卒業してからでも遅くなかったはず。なぜそれを待たずに、自分のくだらない『思考停止の当たり前』を押し付けたのか、ってことですよ。子供の気持ちを一切考えずに。それで、『子供を枠に嵌めようとしてない』『子供を大事に思ってる』なんて、どうして言えるんですか
隆行:…

もう同じ空気を吸うのも嫌だったが、確認していった。逃さずに、きっちりこの高齢男の本性を炙り出してやろうと思ったのだ。
この30年間の思いを全て吐き出した。確認した。
結果分かったのは、「俺は、たぶん愛されてはいたのだろう」ということ。そもそも愛情がなければ、こんな「お前は親失格だ」と突きつけられる場に応じないからだ。それはとても有り難いことだ。
だが、足りなすぎる。思考も行動も向き合いも。ろくな愛着が育まれなかった隆行にとっては、「物質的なものを提供してやること」こそが、愛情だったのだ。そしてそれ以上のことはよく分からないし、必要だとも思っていない。だって自分が親からそんなものをもらってきてないから。そして子供がいくら「ちゃんと愛してほしい」と願っても、そんなもの、くれてやる気概などさらさらないのだ。

価値観が違う
もう、これでしかないのだ。生き方が違う、人に対する姿勢が違う、人生への熱量が違う。これに尽きるのだ。
隆行レベルの人間では立派に「愛情」と呼べるものは、俺にとってはただの執着、でしかない。「子どもたちは命より大事だ」というのは、ただの自己満足に過ぎない。

冒頭に戻る。

でも正直、介護、したくないんですよね…
ひどい娘ですよね。

「介護したくない」と思わせたのは、父親なのだ。怒りを徹底的に洗い出し確認すれば、それがよくわかるはず。
今こそ、親から刺された無数の「無神経」という名の刃を抜いていこう。怒りをぶつけて確認していくことで、その刃は抜けていく。刃が抜けていけば、自然と怒りは消えていく。
父親という絶対的な支配から抜け出すことができれば、

なぜ、毎日こんなにもつまらないのだろう。なぜ、生きているだけでこんなにも苦しいのだろう。

あなたを支配し、毎日こう思わせるものからも抜け出せる。いつの間にか、「お前は本当に、冷たい人間だな」という呪いの声は消えているはずだ。

妻から離婚され、子供から「介護したくない」と思われる父親。
それは「人と向き合い、寄り添う」という、いつ何時からでもできる努力を放棄した父親の姿だ。「別にもういいや」「人生なんてこんなもんだろう」と、一人で勝手に、子供と心を通わす努力を放棄した父親の姿だ。

徹底的に確認しよう。そして「見込み無し」がわかったらすぐにその場から離れよう。一秒たりとも我々の貴重な人生を切り売りしてはならない。
高齢男を、孤独死させてあげよう。


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