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夕焼けラムネ 【だいたい2000字小説】

 俺の放ったオレンジ色の硬球が、緩やかな弧を描いて、永井(ながい)のミットに収まった。永井が薄い唇の端を上げて投げ返してくる。ボールがグローブに収まる音と、波の寄せる音が重なって耳に心地良い。
 大会を直前に控えたこの時期、身体を休めることも大事だ。そのせいで、部活はいつもより早く切り上げられる。中学から同じ学校でバッテリーを組んできた俺と永井は、クールダウンを兼ねて、近場の浜辺でキャッチボールをしていた。足が砂にとられるから、いいトレーニングにもなる。
「おー! まだ自主練とは、精が出ますなあ」
 歩道側の声援に目を向けると、澪(みお)が、ツレの吹奏楽部女子二人にバイバイと手を振っているのが見えた。
「どーぞ続けて!」
 防波堤に腰を下ろすと、俺らにそう促して、脇に置いた鞄を漁り始めた。澪のボブヘアに夕陽が重なって、金色の輪を成している。
 俺は永井に向き直り、永井も俺と目を合わせた。
 俺は、永井にボールを投げつけた。
 そのボールは、それまでと違った真っ直ぐな軌道で、隙をつかれて一瞬目を見開いた永井を目指していった。それでも、永井はボールを受け止める。
俺の指先にはわずかな引っかかりが残った。


 俺が澪に告白したのは、5月の連休前だった。
 梅雨入りを思わせる雨の放課後、渡り廊下には、地面の熱気にさらされた水分の匂いが立ち込めていた。それは土の匂いに似ていて、どこか青くさかった。
「ごめん……。私は、永井のことが好きなんだ」
 空はやけに白いのに、降ってくる雨のせいで帰り道の景色は灰色だった。
 ただただ、悔やんだ。何も言わずにいれば、俺と澪はただの幼馴染で、俺と永井はただのバッテリーで親友で。それなのに……

 しばらく、投球が安定しなかった。
「なんか、最近変だぞ」
「悪い、気をつける」
「なんか悩みあるなら聞くから」
 地区予選の一回戦をギリギリ勝った日、永井が言った。
 永井は、いつでも優しい。ガタイの良さに似合わず思慮深くて、丸刈りに鼻の高さが強調されるからか、女子によくモテる。
 水平線を眺める横顔なんて、顔面偏差値55の俺から見ると、73くらいのイケメンだ。
 だから、澪が永井に告白するなんて、覚悟しておくべきだったのかもしれない……。
「聞いてよ。永井にフラれたんだけど 笑」
 先週末、朝に入った澪からのメッセージに、夕方まで既読をつけられなかった。

<なんで、俺に言うんだよ>

むくむくと、俺の中に灰色のでこぼこした感情が起き上がる。
俺は、グローブに戻ってきたボールを握りしめて、永井を睨んだ。俺が右脚を上げて構えると、永井もミットを正面に構えて腰を引いた。

<なんで……なんで、俺に言うんだよ!>

足先を固めて砂浜に抗いながら、左腕を振り下ろす。
永井のミットが鳴った。
緩やかな送球でボールがグローブに戻ってくる。
永井の涼しげな表情が、逆に苛立つ。首元に、潮風が絡まりついてきてもどかしい。

<どうせ、本当はお前も……澪のこと好きなんだろ!!>
声にならない声をボールに込めて、また全力で投げた。永井は怯まない。

「そんなに全力で投げたら、大会までに肩壊しちゃうよー」
 澪の声が響く。
「ほどほどになー」
 言いながら、永井がボールを返してくる。
なんだよ、二人して。なんだよ、ほどほどって。
気持ちのコントロールが課題だな、監督の声が脳内で再生された。

<なんだよ、みんな。……なんなんだよ!!>
俺は、渾身の投球を繰り返した。



 何度そうしていただろう。もみあげから顎先に向かう汗を、肩でならした。
「リョウ、そろそろやめとこう」
「まだ、だよっ!」
 永井が止めるのを聞かず、俺は投げた。
もう一度投げつけたボールがミットから弾かれたとき、勝った、そう思った。
 逃げたボールは砂浜を何度か弾んで、波打ち際に転がっていく。
 まずい、そう思って追いかけ始めたときには、波に乗っていた。こんな日に限って、使っていたのは永井のボールだ。
 俺は、気持ちの赴くまま投げてしまったことが、いまさら情けなくて、悔しくて、ボールめがけて走った。
 次々と寄せる波に、ボールは簡単に沖へと流されていく。
「リョウ! 諦めよう! そろそろ潮が満ちてくる」
 俺の気持ちを知ってか知らずか、永井は冷静に声をかけてくる。
 波が白く泡立ちながら、足先を濡らしていた。


 俺と永井は無言のまま帰り支度を始めた。
 いつの間にか澪はいなくなっているし、空が紺瑠璃の面積を増やしてきて、気温を下げた辺りの空気が汗を冷やしにかかってくる。
「お疲れさん! 乾杯しようよ」
 瓶の触れるカチャカチャいう音に顔を上げると、ラムネを3本ぶら下げた澪が笑った。
 俺と永井は澪を挟んで防波堤に座った。
「かんぱーーい!!」
 ビー玉が落ちるのと同じくらい軽快な澪の声を合図に、俺らは夕陽にラムネを掲げた。細長い瓶の中で、水平線が歪んでいる。眩しいくらいの海面と、それに続くオレンジの夕陽が発泡しているみたいで、悪くない。
 ひと口目、乾いた喉が鳴る。火照った食道に冷たいラムネの駆けていく感覚が気持ちよかったのに、そのうち、炭酸ガスで苦しくなった。
「永井。その……ごめん」
 謝らなければいけない気がして、声を捻り出す。
「……何が?」
「急にピッチングに切り替えたのとか、ボール流れたのとか……」
「ああ。まあ」
 つれない返事のまま、永井がラムネを口にする。
「まあ……俺、お前のこと好きだから、それくらい大したことねえよ」
 永井が、そう言った。
「おおー! まさかのここで告白!?」
 澪が、俺と永井を交互に見ながら煽ってくる。
「いやいや、うるせえよ。妬みかよ」
「ふふッ……リョウは鈍いからなあ。ああー、ああー、切ないのーーう」
 俺の反応に、澪は、軽く海に吠えていた。
 澪の向こうから、永井がまっすぐ俺を見ている。
<……なんだよ、それ>
 ぐらぐらして、海に向き直った。思考が追いつかないのは、まだ身体に熱が残っているせいだ。間違いない。
 俺は、残り半分になっていたラムネを一気に飲み干した。

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