メキシコで日本人として生き延びる。

私は、2013年にメキシコへ渡って以来、こちらの日系企業にて、いわゆる現地採用として勤務しています。昨今、メキシコ国内でローカル日本人の通訳需要が上がっている自動車業界とは異なる分野の会社にて、私の所属は総務部です。このnoteというツールを利用して、「メキシコ現地採用」「日本人としてメキシコで暮らすこと」「メキシコと日本間の異文化理解」などなど、自分の考えを、ゆるゆると表現していこうと思います。

タイトルにある「メキシコで日本人として生き延びる」について。私の身の回りに命の危険が迫っているわけでは、全くもってありません。ただ、この国で暮らしていくには「生きる」よりも「生き延びる」と記述した方が、しっくりくるかなと私は思うんです。なぜなら、私が外国人としてメキシコで暮らし続け、報酬を得続けるには、国(または所属する企業)に対して自分の価値を明示し、それを認められることが必要だからです。

7年前に、日本とメキシコを繋いだスカイプ面接を経て今の会社に採用された際、私は日本本社からの出向者ではなく、履歴書に書けるような特別な専門知識(法律、会計、労務など)もありませんでした。私が採用された理由(=会社がメキシコという国に明示した私の技能)は、スペイン語能力でした。日本で暮らしていた頃、サッカー関連のイベントにおいてスペイン語通訳をしていた経験があり、それが、あの当時、半フリーター生活(かっこよく言うとフリーランス)を送っていた私がその後「生き延びていく」ための武器となったのです。

メキシコに限らず、海外で暮らすには、自分の武器を持ち、それを表現することが「生き延びる」ために必要だと、私は思います。少なくとも、私には専門知識がないので、強くそう思います。この国で、スペイン語を使って仕事をすることは、一緒に働く周囲のメキシコ人の皆さんからすると、当然のことなのです。

話は逸れますが、私は23歳だった頃、スペインで現地のサッカークラブ(5部に相当)に入団し、その後2シーズンに渡りプレーしました。クラブからすると「何故、言葉もわからない日本人に、限られた選手登録の席を用意しなければならないのだ」という思いもあったかと思います。ただし私には、チームメイトが不得意だった「タッチライン際の縦への突破」「90分間走れる体力」「左足の強烈なシュート」という武器があったのです。

「スペイン語を使ってメキシコでの就職が決まりました」「自分の左足でスペインのサッカークラブの契約を勝ち取りました」というのは、あくまで最初のステップですから、何かを達成した後も、引き続き、努力を怠らず、可視化できる結果を出し続けることが、「生き延びる」うえで何よりも大切だと、私は思います。

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