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カンボジアの平和の夜明けを目指した日本の青年「中田厚仁さん」の墓へ

プノンペンから世界遺産サンボープレイクック遺跡に向かう途中

2018年1月に正月休みを使ってカンボジアの首都プノンペンへ行った。その目的は世界遺産に登録されたばかりのサンボープレイクック遺跡へ行く旅だった。また日本からANAが直行便の就航も後押しした。

プノンペンから行くには、車で朝早く出ても休憩をとって4時間ほどかかる。その道のりのなかで、結論を言うとGoogleMapsにも載らないコンポントムの郊外に「アツヒト村(ナカタアツヒト・コミューン)」がある。

以前書いた旅行記に道中を綴っている。
blog:「テクテクと。ープノンペン編より」

219号線にひっそりと「アツ小学校・中学校」がある。

「アツ小学校・中学校」の校庭に入るとすぐにイニシャルのAを表すモニュメントが目に入る、その横には国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)ボランティアの一員であった中田厚仁さんのお墓があります。

1993年に「UNTAC」として現地に赴任していた「中田厚仁」さん(当時25歳)は総選挙の活動をしている時に何者かによって殺害されました。お墓の建てられた村は当時、武装組織クメール・ルージュ(ポルポト政権)とカンボジア政府との衝突が激しい地域でした。

彼は自ら志願して村人達に選挙人登録や実施に向けた活動を行っていました。

「UNTAC」は、暫定政府を選挙により定める動きを強めていて、それまで内戦状態にあった中で複数の党による選挙が行われた。その時に誕生した政権が今のフン・セン首相である。

*1985年以来、長きにわたる政権を維持しているフン・セン首相の与党「人民党」が今年(2018/7/29) の選挙でも圧勝した。

命を落とされた「中田厚仁」さんの父、中田武仁(なかた たけひと)氏は息子の遺志をつなぐために仕事を辞め、国連ボランティア名誉大使になり(2008年4月8日に退任し、その後国連ボランティア終身名誉大使)中田厚仁記念基金を創設しました。

このような活動の中で、この地域が水害に遭ったとき武仁氏は募金を募り渡そうとしますが、その村の村長は、村の子供達が通える学校を作ってほしいと希望したそうです。その時建てられたのが「アツ小学校(現在はアツ小学校・中学校)」です。

アツ小学校・中学校の道路をはさんで、中田厚仁のご両親のカンボジアの家がある。いつでも見られる場所を選らんだと言われています。
その中田武仁氏の訃報を知ったのは2016年。

まだ私が、もう一度シェムリアップへ行って前回タイとの国境付近の政情不安でいけなかった世界遺産「プリア・ヴィヘア」へ行ってみたいと計画を立てていた頃でした。

ANAのプノンペンからの直行便とサンボークック遺跡の世界遺産登録ででシェムリアップからの選択肢は消え、この二つが重なりプノンペン経由の計画に変えるきっかけになったのです。

blog:「テクテクと。ープノンペン編より」

訃報
中田武仁さん78歳=カンボジア銃撃死・厚仁さん父(2016/5/23)

 毎日新聞 2016/6/17付

その記事から1年半、こうしてカンボジアに来て、この国の平和のために犠牲になった中田厚仁氏が眠る学校の敷地にいる。

今回この場所へ連れて行ってくれた日本語ガイドさんは、お墓の場所を示して、伸びていた草を払いまわりを清掃して拝んでくれた。

『日本人には世話になった、今の生活があるのはその人のおかげ』

としみじみ語る。

知っていますか?カンボジアが、日本初のPKO参加となった事を。

この頃、時を同じにして日本は、この頃自衛隊の海外派遣について議論されていた。

1993年に日本初のPKO(国連平和維持活動)として参加したカンボジアで自衛隊が出て行く。このPKOについて、池上彰氏のこんな一文を読んだ事があります。

当時を振り返って、

「池上彰の必修教養講座」戦後世界のかたち(11) 東工大講義録から
「日本経済新聞」(2014/4/28)
そもそもPKO(Peace keeping Operations)とは、「平和維持活動」と外務省は訳しています。Peaceとは「平和」。Keepingは「維持」。Operationsは通常「作戦」と訳されます。だからPKOとは、本当は「平和維持作戦」なのです。

日本では、自衛隊を派遣するにあたってOperationsを作戦ではなく、「活動」と軍隊色を緩和する意図的な変更をしているように思えます。

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この記事を読み進めていくと、当時ポル・ポトは、「知識人」を殺害して行きます。日本語ガイドさんの話では彼の父も犠牲になり、また海外に行っている留学生をわざわざ呼び寄せて殺していったとも言われています。

これを池上彰氏は、この記事のなかで「知識人狩り」と言っています。ポル・ポトの政権は、これで国民をコントロールしてきたのです。

その根底に流れるのは「自ら考える事」をさせない

その考えは、和平を実現するために国民に教える立場だった中田厚仁さんなどは、特に標的にされるのだろうと思います。同時にそのPKO派遣時、もう一人の日本人の犠牲者がいます。

カンボジアで治安を維持するために、現地で警察官を養成します。警察官が警察官を育てるという仕事で人に教える立場だった岡山県警の高田晴行氏もポル・ポトの襲撃を受けて殉職します。

これも、「教える」という知識人への弾圧だったのかもしれません。

今回の選挙結果でまだまだ続く、長期政権のカンボジアという国

先頃行われた選挙においてもフン・セン首相の与党「人民党」が圧勝しました。現在まで33年間続いているその理由のひとつは、経済格差とも言われる。

国民の経済格差が生まれていて、今の政権の恩恵にあずかる、その道が一番という庶民の事情があるのだろう。たとえばインフラとして、今まで土埃を上げて走っていた道路が、整備の精度はどうあれ舗装される、それだけでも国民の生活は変わってくる。

少しでも豊かな生活を求めている、この普通を今の政権は実現していく。学校がたくさんあっても教員が足りない。その中で教育より身近な経済を優先する。

それを証明するかのように、こんな記事を見つけた。

広がる経済格差、物言えぬ閉塞感 カンボジア総選挙 
2018年7月26日  朝日新聞

圧勝の裏側には、物言えぬ環境と従来からの自らの考えない(教育を良しとしない)状況を作り出しているようにも思える。

この記事の言葉を借りるなら、現在の選挙は「物言えぬ閉塞感」、過去の国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)により実施された和平のための選挙は、日本の二人の知識人を殺害し「言わせなかった閉塞感」から始まったのではないかと思えてくる。

中田厚仁さんが遺したもの

彼が生きていれば50歳になるのか・・・。

今年の8月にカンボジアの総選挙に合わせて放映された、

NHKテレビ「クローズアップ現代+」
アツが教えてくれたもの ~ある日本人青年の生きざま~

彼が日本を離れるとき、渡航を止める母に残した言葉が印象深い。

「だけれども僕はやる。この世の中に誰かがやらなければならない事がある時、僕は、そのだれかになりたい。」

「中田厚仁」さんがひっそりと眠る「アツ小学校・中学校」の前を通ったら立ち寄って見てほしい。平和を伝えようと命をかけた青春を。

Google Mapsにも掲載されていないので、撮影した写真のGPSの位置から場所を特定しています。

アツ小学校・中学校の場所付近

合掌

プノンペンからなら、ホテルなどでタクシーをチャターする方法もあるが、世界遺産を目的にするなら、オプショナルツアーも選択肢に入る。今回はベルトラの「プノンペン発のツアー」を使ったがガイドさんのレベルが高く色々と勉強になった。

日本人でもあまり知らないカンボジアの今を知ったのもガイドさんの知識のおかげである。

国連WFP(食糧支援機関)とUSDA(アメリカ合衆国農務省)の看板があるくらい食料が大切なのを物語っている。

また、今回の記事をまとめるにあたって参考した資料は、

日本経済新聞の2年間という長期連載「池上彰の必修教養講座(合計90回:特別編を含む)」の記事を参考しました。

今、改めて問い直す「平和」の意味
戦後世界のかたち(11) 東工大講義録から
 日本経済新聞 2014/4/28

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その連載をまとめた書籍「池上彰のやさしい教養講座」は、知識を得て考える力を持つことの大切さを訴えかけてきます。カンボジアの知識人狩りのようにならないために。。。

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