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【小説】雪解けの季節~心の和解~1

【まえがき】

投資銀行を舞台に相手への思いを押し殺しながら自分の業務に邁進し自立しようとする、さとみの心の色の変化を感じて下さい。

この小説はフィクションですが、少しだけ自分の実体験をオーバーラップさせて書いています。


【本文】

やっとここまで来た、、、

さとみはそう思いながら口元を緩めた。愛情深いのか、さとみの唇は平均的な女子と比べると、やや厚めで、その上唇のところにはホクロが二つならんでいる。

大学卒業間際のわりに、大人の雰囲気が表情に感じられるのはそのせいかも
しれない。

「大原さん、大原さとみさん」

・・・・・

国内最大手投資銀行の新卒採用最終面接が始まろうとしている。

大学受験を契機に、雪深い東北の地方都市から東京へ生活エリアを移してから三年半、さとみはどうしても、今から挑む最終面接を通過し、この野沢証券に入社したかった。

野沢証券で働くこと、それが自分を取り戻す為にどうしても必要だと考えていた。

控え室のさとみは両膝をしっかり合わせ、背筋は反るほどに、まるで頭を天井から引っ張られているかのように伸ばし、両手は合わせた両膝とおへそを結んだ真ん中辺りに、右手の甲を上に重ね誰よりも美しい姿勢を保っていた。

待ち時間が一時間以上に及んでいるにも関わらずずっと。。。

さとみはそんな自分に気付くと、これもエレガントでのバイトで培われたものだと少し複雑な笑みを浮かべた。

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「大原さん、大原さとみさん」

「はい」

人事担当の女性に三回呼ばれ、ようやく返事をした。 聞こえていなかったわけではない。自分でも何故すぐに返事をしなかったのか、、、、、はっきり分からずにいた。

あまりにこの刹那に辿りつくまでが長く、最終面接の為自分を呼ぶ声を
楽しんでいたのかも知れない。そして、今、最終面接会場の重い扉が
目の前にある。

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重厚な扉が開けられ導かれたその中には、それぞれに違う威圧感を纏った役員級の重鎮が五人、品定めをするかのような目付きで座っていた。


しかし、、、、、面接は終わっていた。。。。。

肩下まであるストレートの艶やかな髪を揺らしながら、ポツンと一つある
椅子に座ろうとするさとみに五人の面接官は目を奪われていた。

そう、さとみは容姿端麗でありそのボディラインは理想的なものだった。表情は、愛らしくもどこか憂いを含み大人の雰囲気を感じさせるには十分なものであった。

また身のこなしは滑らかであり、しかも無駄にキビキビしたものでもない。

さとみは、、、そう、面接室に入って僅か数秒で合格を手にしていた。

面接を終え帰途についたさとみは淡い期待を抱いていた。面接は野沢証券の本社で行われていたからだ。

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大澤に会えるかもしれない。

突然さとみの前から姿を消し音信不通になった大澤。

投資銀行である野沢証券の業務は大きく分けて、ブローカー業務とアンダーライティング業務の2つ。 大澤はブローカー業務の中、対顧客の為替ディーラーだった。

大学で経済学部に籍を置いているさとみにとって、憧れであり、尊敬の対象だった。

そう、大澤が突然音信不通になるまでは。

そのディーリングルームはこの本社の中にある。偶然あったらどうしよう。。。さとみは期待と相反する不安が混在したままエレベーターに乗り込んだ。

18階でエレベーターが止まった。野沢証券の社員が乗り込んできたのだ。手にはドル円のチャートを持っていた。その肩越しに、廊下を歩く後ろ姿、、、

思わずエレベーターを降りたくなる衝動にかられた。


間違いなく大澤だ。でも、、、何も言うことがない。。。突然消えたあの日からさとみの中で大澤との時間は止まったまま。

いいえ、寧ろ、切なさの中に憎しみに似た感情が芽生え始めていた。

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翌日、高田馬場のキャンパスにいたさとみの携帯が鳴った。

「はい、大原です。」

「野沢証券採用担当の鈴木です。 昨日の面接の結果、採用を内定とさせて頂きます。」

「ありがとうございます。」

「入社まで何度か連絡させて頂くと思いますがこちらの連絡先でよろしいですか、、、、、」

・・・・・

特に気分的な高揚は感じなかった。昨日の面接の感触から、内定は既に折り
込み済みの事実だった。

さとみのカバンの中には数カ月前から証券アナリスト一次試験の参考書が
入っていた。特に目先の試験を受ける意識はなく目的は知識の習得だった。

忘れていたが内定の連絡をきっかけに、昨日の後ろ姿が脳裏に蘇ってきた。突然消えた人。恨んでいるわけではない???

憎悪、、、

自分の前から突然消えたからじゃない。あんな無機質なことをする人に憧れを抱き、尊敬の念を抱き一時心を奪われた自分に腹が立っていた。

自己に対する嫌悪、、、淡い期待、憎悪、嫌悪、複雑に変化する気持ちの中、唯一はっきりしているのは、自分を確かめたいという思い。

そして、それらをはっきりさせながらそんな自分を踏み台にして、きっかけは別にして興味を持った世界で自己実現を果たすこと。それが実感できるのはあの大澤を超えた時だと漠然とさとみは考えるようになっていた。

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野沢証券の内定を得たことで、さとみはこれまでにない複雑な心境に陥っていた。私は未だに大澤に拘ったままなのか?

突然音信不通になり姿を消した人。その後、一切連絡はない。あまりに無機質なそのやり方が、かえって心の整理をしやすくしたはず。もう一年近く前のことだった。

自分は精神的に自立していて、女としての感情は横に置ける大人。辛くなかったと言えば嘘になるけれど、時間効果でそれらは風化し、経済人、敏腕為替トレーダーとしての尊敬だけを切り取ることが出来る、割り切った思考をもったクレバーな女性。


そうでなければいくら国内最大手であっても、大澤がいる野沢証券を
自分の成長の舞台に選ぶわけがない、さとみは自分をそう捉えていた。

淡い期待、、、
会えるかもしれない、、、

敏腕為替トレーダーとして、そう、男子ではなく、経済人としての彼に対する感情のはず。そう、さとみが活躍の場を投資銀行に求めるきっかけをつくってくれた大学のOB。

ただ、それだけ。それなのに、、、

何故か、最近、、、辛い

何故か、涙が不意に溢れて、、、

そんな複雑な気持ちを抱えたまま、 さとみは、大澤と知り合うきっかけに
なったもう一人の自分に今日さよならをする。

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さとみは学費の補填と社会勉強を兼ねて二年生の頃から銀座の外れにある
エレガントというクラブで週に二回ほどアルバイトをしていた。バイトを始めた時は週三回だったが、三ヶ月目からは週に二回にした。

直ぐに時給が上がり当初の1.5倍になったからだ。週二回で丁度当初の週三回と同じ経済効果を得ることが出来る。

エレガントは俗に言うキャバクラとは全く違い落ち着いた雰囲気の店で一般のサラリーマンが出入りできるような雰囲気ではなかった。所謂上流階級、サラリーマンであっても俗に言う上級サラリーマンが集う高級店であり、その為、お客様の要求水準は非常に高いものがあった。

この店で働く女性たちは朝から新聞や雑誌に目を通し、経済やスポーツ、芸能などお客様のあらゆる会話についていけるように情報をチェックしなければならなかった。

オーナーはお客様が何を求めて足を運んでくれるのか、よく分かっていたのだ。決して女を前面に出すのではなく、心地良い相槌をお客様に提供することを第一としていた。心地良い相槌を打ってくれる、その相手の女性がエレガントな女性だったら、、、それが、さとみのバイト先のコンセプト
だった。そういう意味では、実践的な社会見学の絶好の機会でもあった。

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野沢証券の最終面接の待合室、背筋を伸ばしたまま、殆んど動くことも
なく美しい姿勢でその時を待てたのは、このバイトのおかげでもあった。

「オーナー、私、ママの許しが得られるタイミングで辞めようと考えています。」

さとみは何故かいつもより明るくテンションを上げてオーナーでもある
ママに申し入れをした。

「仕方ないわ、そろそろかな?って思ってたから、常連のお客様にある程度ご挨拶できればその時点でいいわよ。」

さとみは、オーナーのことを慕っていた。大学こそ行ってないが、とても頭が良く繊細で、何よりも頼れる人だった。

「随分あっさりですね。」

もう少し、引き止めるとかないのかなあ、と思いながら軽口を叩いた。

「止めても無駄でしょ?」

そう、誰に対してもオーナーは少し先を察しながら話をする。この店が繁盛する理由はそこにあった。

「お世話になりました。本当に、本当にありがとうございました。」

さとみは少し感情的になり涙ぐんだ。

「こちらこそ。やりたいこと、見えてるんでしょ?頑張ってね。挫折しそうになったらいつでも顔出しなさい。アドバイスしてあげるわよ。」

流石、極めて冷静に対応するオーナーを眩しく思いながらさとみは頭を下げた。その後、4回ほど出勤し常連のお客様に礼を尽くして、ある意味想い出深いこのエレガントに別れを告げた。

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気配は秋から冬そして春へ、、、季節の移り変わりは早い。さとみは残り少ない学生生活を楽しむことはなかった。スタートから即戦力を意識していたからだ。

国内最大手の投資銀行に内定はしたものの、新卒50名の特別枠に選ばれ
なかったことを悔しく思っていた。実はそれは仕方のないことだった。

現代社会において、女性登用はその会社のイメージを高めるのに必須条件になってきていたが、野沢証券の社風はそれに対するアレルギーのようなものさえあったからだ。 実際、投資銀行第二位の陽和証券は、女性登用などのイメージ戦略が奏功し、就職人気ランキングでは野沢証券を凌ぐ位置にいた。

特別枠に入れなかったことで、さとみの目指すスタート台は一層高くなっていた。卒業旅行さえ見送ったさとみの投資銀行関連知識は既にアナリスト二次試験をパス出来るレベルに到達していた。実際、入社を迎える時には一次試験をパス、当然、証券外務員一種も合格していた。

必要ないと思いながら受けたファイナンシャルプランナー試験も
二級まではこなしていた。

それでも、さとみは乾いていた。ある意味焦燥感さえ伴っていた。時々、私、って、何なの???と思いなが誰かに勝ちたかったのだ。

4月、さとみは国内最大手投資銀行である野沢証券本社前にいた。 見上げてみた。高いわ、このビル。。。笑みを浮かべながらエントランス
に吸い込まれていく。この本社に出社している新入社員は特別選抜枠の50名と一般入社2名の52人。その他の新入社員は練馬にある研修センターでの入社式に臨んでいた。

野沢証券では新入社員としてスタートを切るその日から実力主義の評価が既
に始まっていた。

一般入社の新卒者は入社前に『現代社会への理解』という題目のもと試験を受けていたのだ。本社での入社式に出席することは即ち、この時点においてさとみが特別選抜枠入社の新卒者と評価的に肩を並べていることを意味していた。

この時のさとみは内定の連絡を受けた時と同じで特に高揚感に浸ることはなく、唯々、道場へ足を踏み入れる時のような凛とした程よい緊張感の中にいた。

野沢証券本社での入社式は出席する者に対して、誉れと同時に、翌日から指定された部署で即戦力として扱われることを自覚させるため為のものでもあった。この入社式には、経営陣の他、著名エコノミスト、ストラテジストの面々が多数並んでおり、出席者への期待が大きなものであることは誰の目から見ても明らかだった。

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退屈とはとても言えない入社式が終わる頃になって、さとみは珍しく激しい緊張感の中にあった。

式典終了後に所属部署が発表されるからだ。貼り出しを一刻も早く確認する為に走り出す者さえいる。

所属部署は言い渡されるわけではなく、エントランス横の待合室の中に貼り
出されるのだ。

緊張を隠すためか、さとみは腕組みをしながらいつもよりゆっくりと歩を進めた。自分が女子であることを嫌でも自覚させられるほど鼓動が強く早く打たれる中、所属部署の確認の為待合室へ入った。

安堵と落胆、この矛盾した感情がさとみを覆った。

プロダクト統括部。。。。。外国為替部ではない、、、、、

鼓動の強さを女子として自覚した理由はこの安堵と落胆という矛盾した気持ちの中にあったのだ。どきどきしながら見上げた所属部署はプロダクト統部。。。。。

さとみの頭の中は???????だった。外国為替部ではなかったことより、その業務内容が気になっていた。

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プロダクト統括部は、実は昨年社長が交代したのに合わせて新設された部であり、伝統ある野沢証券の中にあって新人のようなセクションだった。

野沢証券は国内における確固たる地位を築く過程において、悲しいかなセクショナリズムが際立った組織になっていたのだ。

さとみが配属されたプロダクト統括部はその状況に危惧を抱いていた新社長が肝いりで新設した部署だった。しかし、新設されて一年が過ぎた時点においてもその役割は曖昧なままであり成果は皆無に等しい状態だったのだ。

・・・・・

おはようございます。証券会社の朝は早い。いつものように朝7時前に、元気よく出社するさとみに、プロダクト統括部長の青柳は新聞を読みながら眼鏡越しに、早いねー、と何の面白味もない返事を繰り返す。

さとみは、入社してまだ何も出来ていないこのままでは、錆びる、、、
錆ちゃう、はぁ~、とその返事に心の中で返事をしていた。

しかし、そんなそとみを取り巻く環境は一変することになる。社長の相沢は、機能しないプロダクト統括部の緩慢な動きに業を煮やしながらそれでも年単位で我慢を重ねていた。そして、ついに部長の青柳が社長室に
呼ばれた。

青柳は秘書からの電話を置くと、スッと立ち上がり機敏な動きで椅子に
掛けてあったスーツを纏った。

何かしら???

いつものだらしない雰囲気から一瞬にして、目的を持つシャープな目付きに
変わった部長を、さとみは不思議な感覚で見送ろうとしていた。鳴っているデスクの電話に目線を落とそうとしたさとみの耳に、部長の呼ぶ声が入ってきたのだ。

「 大原、行くぞ。」

はぁ! 私??? 何処へ?

考える暇も無くさとみもスーツを纏った。最上階の一つ下の階にエレベーターが止まった。移動中の青柳はいつもと違い拳を握り締め、この時をずっと待っていたかのような、まるでエネルギーが全身から溢れ出ているかのごとく、力強い足取りで歩を進めた。

なんだ、デキる人なんだ、、、さとみは初めて部長を見上げた。

社長室に入る直前、青柳は

「 大原、緊張することはない。途中、話題を君に振るから、自分の考えていることを普通に話してくれ。それでいいから。 」

さとみは、いきなりの言葉にはぁ〜???冗談でしょ???と、思いながらも口から出た返事は、滑舌のいい「 はい 」の二文字だった。

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青柳は、日頃の何気ない会話の中から、さとみが金融関連知識のみならず、組織論についても見識が深く、更に自分の考え方をしっかり確立している
ことを知っていた。そう、経験こそ浅いが資質は十分との認識を持っていたのだ。

日頃のさとみは、営業店や各プロダクトから上がってくる関連部署へのリクエストに対し、調整を行うことを主な業務としていた。業務を遂行しながらさとみは常に問題意識を持っていた。青柳はそんな彼女を眼鏡越しに細かく
チェックしていたのだ。

「 行くぞ。」

発声と同時に青柳の手によって社長室の扉は既に開こうとしていた。扉が開かれると、眼下に丸の内をパノラマで見ることが出来た。日本の最大手、業界のガリバー野沢証券の社長室はその立ち位置を表すのに十分なものだった。

さとみは、その風景に目を奪われながらも、何故、自分が今ここにいるのか、その方が気になっていた。

社長の相沢は、先に入った青柳に視線を飛ばした時は険しい表情だったが、
続けて入ったさとみに気付くと、若干口元が緩んだ様だった。

重厚感のある会議用の席に着くと、
「青柳くん、プロダクト統括部のミッションを理解しているか。」

前振りなど一切なくいきなり本題に入った。さとみは、少し不安な面持ちで青柳の表情を探した。

薄っすら笑みを浮かべている、、、

「承知しております。当社の本部プロダクトは長きに亘り、スタンドアローン的な立場で業務を遂行してきました。現在では完全に制度疲労の状態です。本来であれば、創部と同時に横断的な業務遂行パターンへの移行が理想でした。しかしながら、当社の強味は、そのまま各プロダクトの相対的な実力の高さにあります。また、各プロダクトの職員は専門性を有し高いモチベーションの中、プライドをもって日々の業務に邁進しています。私ども発足間もないプロダクト統括部が通達や号令を出したところでその効果の期待値は小さいと思料しました。」

当初、青柳への苛立ちを隠さなかった相沢の様子は、しっかり報告を聞く
態勢に変わっていた。

「、、、で?」

「はい、この一年半各プロダクトからの要請、要望を受け関係するセクションと調整を図りながら、データを収集してきました。投資理論通りのソリューションを提供し採用されるケース、また、提案内容に一定のバイアスをかけたパターンが採用されるパターン。プレゼンはどのメンバーがどんな、、、、、」

余りに熱のこもった青柳の語りに相沢は納得した様子で、話を途中で遮り

「まだ、データ蓄積中なのか?」と。

「数百のデータからのデータ分析、パターン分析は終わりました。実践に移行したいと考えています。」

相沢の顏が綻んだ。間髪入れず青柳は

「僭越ではありますが、横断的な組織、会議等の招集につきましては、プロダクト統括部長である私に全権を頂き、取締役会を経て各プロダクトの長に社長名で通達を出して下さい。」

更に「同席している大原を本来のプロダクト統括専門スタッフに任命して下さい。」

さとみは、、、

社長の相沢は、大原がプロダクト統括部の部員であるにも関わらず、青柳が重ねて専門スタッフへの任命を依頼する本意がどこにあるのか、視線をさとみに向けながら一瞬考え

「大原君は入社して確か4年目だったな。青柳部長、いいだろう、範囲は任せるが大原君に一定の権限を与えることを許可する。大抜擢だぞ。」

大人の会話についていけないさとみは???の中にいたが、

青柳は「ありがとうございます。」と一言。

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「ところで大原君、青柳部長からかなり期待されているようだが、当社の課題はどこにあると考えてるかな?」

相沢からの問い掛けに大原は、、、

「評価体系とコンプライアンスです。」涼しく端的に答えてみせた。

これには部長の青柳もうなった。「ほぅ、、、」そういう表現を使うか、、

青柳はさとみを促すように言った。「もう少し、報告らしく説明しなさい」

「当社は岐路に立っていると思料しています。もっと言えば、更に発展をするのか、今後他社に差を詰められるか、分水嶺に位置していると言っても過言ではないと考えています。各プロダクトは各々高いレベルで業務を遂行していますが、乗数が足りていません。システムを改めることは当然ですがそれだけでは効果は限定的です。どんなに志が高い職員であっても、生活の糧であることに違いはありません、、、、、」

社長の相沢は最後まで聞いて、青柳に一言、

「君たち、に任せた。定期的な報告はチームリーダーになる大原君からでも構わない。」

僅か30分足らずの時間に大原は社長からの興味と青柳からの更なる信頼とチームリーダーのポストを手にした。

そして、その抜擢は社内報を通じマーケット部門の職員全員の知るところになる。

社長室を出たさとみは青柳と、今までとは違う雰囲気になるであろうプロダクト統括部へ戻った。

さとみが入社してから新人の配属、異動での転入者等でいつの間にかプロダクト統括部は総勢30名程度の陣容になっていた。部長の青柳は静かに地味に体制を整えていたのだ。

クライアントが好む投資パターンについても分析はほぼ終わっており、
業種別の平均や傾向、顧客毎の決算書、およそ、最適な投資提案を行う為の
材料は整っていた。

部に着くと、「全員集合!」青柳は珍しく声を張った。

「これまでプロダクト統括部は各プロダクトからの要請を受け、プロダクト間の調整役を受動的に務めてきた。やっと機は熟した。本日、この瞬間から当部は、各プロダクトへの司令塔になる。各クライアントに対する提案を行うに当たり、能動的に案件を作成し、必要なプロダクトを選択、協働していく。勿論、必要なプロダクトの人選にも一定の影響力を保持したまま案件作成、プロモーションの中心的な役割を果たしていくことになる。

10名の推進チームを発足させ、チーフには大原を任命する。これは、相沢社長も了承済みだ。以上。」

大原は、えっ、えっ、、、えぇ〜少し?動揺していた。分かってたけど、 30分前は何もなかったじゃん、、、

分かってたけど、スピード感あり過ぎない???

分かってたけど、、、、まっ、いいか。うぅんん???

次の瞬間、急に、、、大澤の顔が浮かんだ・・・・・

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大澤はさとみが入社した秋にロンドンの支社に異動になっていて、さとみの中でも風化の対象だった。忘れていたと言えば嘘になるけど、なんで?今更、思い出すの。。。?

さとみはチーフに任命され、挨拶しなければならない、その僅かな瞬間に脳裏に蘇る大澤をうらめしく感じていた。

さとみがプロジェクトチームのチーフに任命された日、大澤はロンドンのセントラル病院にいた。大澤のロンドン赴任は、そのスキルへの評価と会社の大澤への配慮があった。

セントラル病院は世界でも有数の脳神経内科の先端医療機関なのだ。

東京にいる頃、大澤はお客様との懇親の為、銀座のエレガントに顔をだしていた。そこには生意気盛りのさとみがいて、、、大澤は、大学の後輩でもあるさとみを可愛がっていた。

負けん気の強さ、それに反する女性のしなやかさを合せもつさとみに次第に惹かれていく自分を自覚せずにはいられなかった。その頃はまだ、目眩も頻繁に起きるわけではなかった。

大澤にとって、さとみと過ごす時間は表現の仕様がないほどの至極の癒しの
時間だった。。。惹かれ合う2人にきっかけは必要なかった。何度も時間を共有しながら、、、2人は意識下で将来を感じていた。。。

楽しかった。。。

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半年ほどの柔らかな頂きの時間帯のあと大澤の目眩が自覚をせざるを得ない
レベルになってしまったのだ。

苦悩の日々が続いた、、、苦悩。

悩み抜いた大澤は、何も告げずさとみの前から姿を消す決意を固めた。。。頻繁に起きるようになった目眩、、、フィッシャー症候群の診断がくだったのだ。

さとみから離れる決意を大澤に迫ったフィッシャー症候群、、、大澤はその症状の一つ、目眩に苦しんでいた。

さとみの心根の優しさを誰れよりも知っている大澤は、病気のことを打ち明けることは、さとみを自分に縛り付けることになる、と考えた。

きっと、さとみは選択肢を完全に持たなくなる、、、

しばしば、さとみと経済について議論?講義?をしてきた大澤は、さとみの興味の方向性や考え方の構築過程について、将来性を感じずにはいられなかった。卒業してどんな道に進んでも、その分野で活躍することは間違いないだろう、、、大澤のさとみへの評価は期待値を別にして、素直に高いものだった。

可能性を潰すわけにはいかない、、、かといって、適当な理由は見当たらない。

別れの理由、、、

心ごとお互いに偽りのない時間の共有をしてきたさとみに、つくり話など通用するはずもないことを大澤は分かっていた。

苦悩
苦渋の決断、、、、
連絡を、、、
断つ

耐えることなど出来るはずもなかった。

新卒の内定が決まる頃、大澤は海外赴任希望を提出する為、マーケットが開いている時間帯であるにも関わらず、人事部に書類を提出するため、トレーディングルームを後にした。入社前にさとみがエレベーターの中から見た後姿、、、

それは、マーケットが活発な動きを見せる東京時間の中、大澤が人事部に異動願いを提出しに行った時のものだった。

見間違えるわけがない。

さとみは、大澤に突然姿を消され一時的に脳死状態に陥ったこともあった再会を期待しながら入社した野沢証券だったが、彼女が入社する頃、大澤は準備期間という名目で既にロンドンに赴任し病院で検査を受けていたのだ。

完全にすれ違い、、、

さとみは積極的に調べたりはしなかったが、ロンドンで大澤が活躍していることは社内ネットワークによって認識していた。

しかし、けっして連絡することはなかった、、、、、

社会人として忙しく働くさとみは大澤との出会いを、澄んだ湖の水面に映える光のように、静かに柔らかく、そして温かい人生の出会いだったと感じるようになっていた。

現実のものにならなくてもいい。

今はただ静かに、人生の出会い、だったと心の隅で思っていたい。。。静寂の極みの中でさとみは素直に自分の心と向き合っていた。

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一方、大澤はロンドンでの生活に満足していた。日本にいる時はいつも何処にいてもさとみを探してしまう自分をどうすることも出来なかった。そして鬱ぎ込む気持ちを自覚せざるを得なかった。

それがロンドンではさとみを探すことが少なくなったからだ。

会いたい。。。恋しい。。。。。静かにそう思いながら時を刻むことができた。遠くにいるから諦められる。。。

しかし、さとみの抜擢が社内報でロンドンにいる大澤まで届いてしまった。

さとみ、、、お前、俺がいる野沢証券で働いてたのか。。。鈍器で頭を殴られたようだった。

人間は忘れる動物、だから辛いことがあっても時がその束縛から心を解放してくれる。

しかし、若手女性社員の抜擢をトップページで伝える社内報は、大澤の心をさとみと一緒に過ごした頃に引き戻すには十分過ぎるものだった。

社内報を手にする前とは明らかに違うリアルな感情の中、、、激しく苦悩の渦へと大澤を誘う。

会いたい、、、会いたい、、、会ってどうする。。。
悩み抜いて別れを選択したはず。

でも、、、どうしようもなく会いたい。 


【あとがき】

書いていても複雑な気持ちになります。。。


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