純粋すぎると一般社会では生きられない? ~透明な涙を流せる働き方へ~
いろんな働き方がありますが、ずっと以前
「こころにウソ」をつく働き方をしたことがあります。
厳密には、お客さまにウソをついていたわけではないのですが
心のどこかでは仕事内容自体に「?」を感じていて。
でも、みんなしているからと、
「わたしも!」と頑張り。
「ちょっとくらいの違和感、ガマンしてこそ」
「みんなに出来ているのだから、出来ないわたしはダメ」と
懸命に合わせて働いていたことがあります。
でも、ある時、仕事中に 一滴の涙が…
それはあまりに突然で、
「身体は正直、もう限界だったんだ」と。
そこから止まらない涙を隠し、体調不良のフリをして
そのまま早退し、退職したこともありました。
しばらく答えが見つからなくて、「あそこで辞めるなんて、なんて弱いんだ自分」となったこともあります。
でも、月日が経って気づけたのは
「それがわたし」。
よく言うと、純粋すぎてささやかな違和感も飲み込めない、
こころに真正直に生きたいのが本当のわたし。
でも、一般社会で生きるときは、そこも時に封印しないといけなくて
「?」の方に合わせないといけないこともある。
でも、合わせられない…
そんな丸ごとのわたしを、それでも懸命に生きようとするわたしに
はたして未来はあるのか?幸せになれるのか?
感じたときに、あるとききちんと答えを見つけられました。
そしてそれから、今はおかげさまで自分にとって心地いい働き方ができるようにもなれました。
いまも、願っていることです。
自分のこころにウソをつくようなことだけはしたくない。
そして、今はウソをつけなかった自分の方を誇りに思っています。
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もし、必要そうであれれば
そのときの三択についてもまたシェアさせていただきますね。
ウソからくる涙でなく、
魂のよろこびからくる涙を…
もしも届けられたなら、幸いです。
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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)
書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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