言葉のふしぎ✡
とてもおもしろいのが、言葉ってコントロールできないところ。
いえ正確にいうと、削ったり整えたり、足したりいろいろ小細工?はできるのですが、そうではなくて
「届くか」「否か」はほんとうに全くコントロールできないところ。
例えば、先日のある記事で「そんなに読まれなくても・・・(恥ずかしいから逆にあまり読まれたくない)」と思って書いた記事が、なぜかたくさんお読みいただけていたり。
そして「これはぜひ読んでほしい!」と思う記事が、そんなには読んでいただけなかったり(笑)
これはほんとうに面白いところで、言葉には「わたしたちの意思を超えて」別個でなにか魂やいのちを宿してる・・・
としか思えないことが、ほんとうにたくさんありますよね。
で、それでいいんだと、どこか諦めのような、いい意味で宇宙に明け渡すのような感覚でいられるとき、また自然と言葉が降りてきて
わたしたちは、いつでも自分だけの自我やコントロールを超えて、なにかの大きな波にのって行き着くところにたどり着く・・・
そうして、余計な力が入らない状態で書けることも、「宇宙への自分への信頼」に繋がるのでは?とわたしは感じています。
が、かえって邪魔になることもあると知って。
わたしたちは、きっとどんどん謙虚にならざるを得なくなると思うのです。
そうして、出てくる言葉を信頼し、自分の言葉とのパートナーシップを結びなおすとき、きっとあなたは「ほんらいの立ち位置」「もとの自分」を取り戻し。
何度でも、より自然体で、魂のふるさとからの言葉を奏でられていくことになるでしょう。
…とこんなことを書くと、ちょっとスピリチュアル過ぎるかな?と思いつつも、そんなのもどうだっていい。
だって、ほんらいスピリチュアルは日常のなかに溶け込んでいて、もともと別個で切り離せない(切り離せるほうがおかしい)くらいなんだもの。
わたしは、わたしの自然を生きて。
あなたは、あなたの自然を生きる。
そのときに、わたしたちは時を超えても距離を超えても「出逢える」ようになっていて。
そこが、言葉のもつ“すべてのコントロールを超えた”ふしぎな泳力と、叡智につながれるのではないでしょうか。
言葉に、磁場なり磁力なり霊力が宿るとき。
それは言霊となり、一瞬で・・・
…というようなお話は、また今度☆
言葉のふしぎな力、いつか書いてみたかったので、思いのままに♪
お読みくださり、ありがとうございます。
流香
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