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信じたことが、現実になる ~涙を超えて~

昨日、号泣しました。

人前で泣くなんて、何年ぶりだろう…
気づけば、涙があふれていました。

それは、とてもうれしい涙
歓喜する情報が、もたらされたからです。

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介されてきたのは、友人の口から。

「◯◯さん、今~~なふうに幸せそうですよ」

そのひとことを聞いて、その方の幸せそうなお姿が
一瞬でプレイバックされ、未来図とフラッシュバックされ
微笑んできた
から。

堪らず、そこがカフェだと忘れて
脱力し、崩れてしまいました。

『こんなうれしいことって、ない。』

正直な、感想。
この一年間で、もしかしたらベストワンに上る刹那情報。

過去◯◯さんの幸せを願って、
「わたしと一緒にいたらダメだ」
相手の幸せを肚から信じ、手放した奇跡。

私自身が、直接なにかをしたわけではないけれど、
当時、まだ未熟なわたしは
「なにか、私にできないだろうか?」
「もっともっと、寄り添いたい」

想いが強くて。

距離感がつかめずに、こころを鬼にして
“離れる”選択をしました。

「大丈夫、その人はわたしがいなくても幸せになれる」
「いやむしろ、いない方が絶対強く、かならず立ち上がれる」

そう信じて。

当時の決断が、正しかったのかどうか、
ふいに顔を出す瞬間も、いつも「横へ」「横へ」と流してきて。

そこへ、昨日の魂あふれるやさしいニュース。

わたしは、「信じてよかった」
心底、神速思いました。

と同時に、あの日「鬼」になって離れた選択をとった、
きびしい自分がようやく報われた気がしました。

涙、しました。

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だって、それなのに“昔のまま”だったら、
よけい泣けてくるじゃない??

幸せな方の涙を、流せてよかった…

もう、いろんな感情が入り乱れて、ひさしぶりに
声を上げそうなくらい ハンカチが足りなくなりました。

(とここで、なぜか「お水どうぞ~」と入れにきた間のわるい店員さん笑
 去ってから爆笑しました;)

「あぁ、わたしも “わたし”を生きている」。

浮かんだことばです。

そして、「ひとを信じる」って奇跡。
わたしが直接何かしたわけではないけれど、
自分の思考が もしほんとうに現実化するならば、
わたしは、これからもずっと「ひと(の幸せ)」を信じていきたい。

そして、わたしはわたしで日々 “自分の” 幸せで忙しくする。

実は、これだけでよかったんだと、
ここに書いてきたことを、身をもって体感できる運びになりました。

そして、“想い”を抜く、大切さも…

(師匠の言葉もあらためてリンクさせていただきました)

大好きだったひとの幸せが、こんなにも、こんなにも
日をまたいでも嬉しいのは、
ほんとうに今、その人が幸せ
なんだと思うから。

そしてまた、私も幸せだから。

ほんとうに、大きな変化です。

安倍総理が辞意表明した当日、私自身も
過去から請け負ってきた、ときどき自らやる「嫌われ役(悪役)」も
もう卒業
です。

総理のこと、わたしはきらいだったけれど、
もしかしたら、総理もきっとたくさん“苦悩”を抱えていた…
いまは、そんなふうに感じます。

これから、新しい日本の未来がひらけてくるだろうけれど、

誰にとっても、今日これからが新しい記念日。

「自分の信じた未来」を、現実に生きる。

「自分が選んだ」未来を、現実に生きる時代がやってきました。

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「誰かが」創ってくれるんじゃない、
「わたしが」創るのです。

「どうなるんだろう?」じゃない、
「どうしたいか?どうありたいか?」です。

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日の出にのせて、わたしはこれからの日本の幸せを信じます。

そして、ご縁ある人の幸せも 心底信じつづけます。

それが、わたしにとっても「幸せ」なことだから…

伝えてくれた友人にも感謝し、やっぱり「ひと」って最高。!
ハートをひらいたあとの景色を、わたしはこれからも歩み続けます。

「自分」のことも、ちゃんと信じて。


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