見出し画像

何を食べたか憶えてない

年寄り同士の会話で、物忘れが酷くなって何を食べたかも忘れ、いよいよボケかな。などという話題が出た。ボケの始まりが食べたことを忘れるという、それを頑なに信じている。食事以外にも、あのー、そのー、あれが、などと随分と物忘れがヒドいのに。


自慢ではないが、認知症検査はもう5回も受けてる。毎回、ほぼ全問正解で、もういい加減にしなさい、などと注意までされた。数年前に熱中症になり、いらい短期の記憶が極端に悪くなった。とつぜん記憶が出来なくなり、掛かり付け医で認知症検査を受けたが、計算も名前の記憶も食品や果物といった名前も、全て答えられて認知症ではないと言われた。

本人としては、それでも確かに記憶が悪くなり、自分は初期の認知症だと信じている。何とも得心できない。心臓で入院したときも、絶好のチャンスと思い、数種の検査を受けた。一般的な認知症検査意外に、「高齢者医学」「精神疾患」などで学んだことのある、歩行や文章作成など、様々な認知症検査の実体験が出来た。結果として同年齢としては良いと言うことらしい。結果が良いのは試験に対しての緊張感の影響で、自分としては極めて初期の認知症を発症してると確信している。

恐怖感ではないが、最近は会話で単語が出にくくなり、文章を書いていても思い浮かんだ用語が突然消えてしまう。年寄り同士で話していると、互いにあのーそのーばかりで、いよいよかなと思っている。


以前の買い物、今はパルシステムを利用
一人では食べきれないので下処理して冷凍

で、当初の食事の話しだが、突然聞かれると思い出せない。自分で作っているので、おおよそ何を食べたかは判るのだが、朝起きて食材を見て気分次第で作るので、何を食べたかと聞かれると思い出せない。

作り置きで、紅大根の甘酢漬け・キャベツと水菜の塩昆布とキクラゲの漬け物(?)・茹でたブロッコリー・ほうれん草のナムルのようなもの・ニンジンの酢漬け、などがある。野菜類も数種あり、冷凍では豚肉や牛肉の切り落とし、塩鮭・鮭の西京漬け・白身魚の味噌漬け・豚肉の味噌漬け・豚肉のケチャップ付け・シラス・マグロのたたき・シューマイ・餃子・冷凍チャーハン、その他衣の付いた揚げ物などが有る。

冷蔵庫内には、買い物をしなくても1ヶ月は暮らせるくらいのものがストックされてる。これを当日の気分次第で作ったり、簡単に作り置きをメインにしたりすると、何を食べたかなど判らない。

自分で料理を始めたのが30歳半ばの頃で、腰椎ヘルニアで歩行が困難になり、中国針で治った経験から中医学に興味を持ち、中国伝統食餌療法を学んでからだ。中国針や灸などを学ぶ会に出て、食事に興味を持ち、中国語の本を何とか訳して試すようになり、会の人から本格的に学ぶように勧められた。幾つもの料理を訳したり試したりして、しだいに「薬膳」などという言葉が流行りだし、一度「ルックルック」というTV番組用に作ったこともあった。食事療法で子供の花粉症が治り、ますますのめり込んでしまった。

薬膳などと言う形式に囚われず、季節の旬の新鮮な物が最も良いという結論を得て、子供の弁当作りも始まり、その日の気分で作るようになった。なので特別な名前などもない、適当料理になる。

特に気を付けてることは、子供の頃から身体が弱く、田舎の祖父から食事についてうるさく言われていたようで、母は料理をするときには五色を揃えるようにしていた。自分で作るようになってから、料理の下手な母だったが、母の料理はいつも綺麗な色の料理が並んでいた。それが頭に浮かんで、目の前が綺麗に並んでいないと食欲が出てこない。

残り物とペンネで手抜きパエリア

料理って、あまり難しく考えなくても、食材の味と特徴、味付けの%などを覚えてしまうと、時間と共に感覚的に作れるように成ってしまうので、考えなくなった。

今Amazonで見たら、まだ発売されていた。昭和63年に購入した『上田フサのおそうざい手ほどき』が、料理の最高の教師になってる。

友達が女子栄養大学を卒業していたので、その子は美人さんだったが料理はヒドかった。彼女のことを思い出し、女子栄養大学の通信教育の案内を見て、受けることにした。基礎と専門など、2コースを受けたが、テキスト類よりも『上田フサのおそうざい手ほどき』が最も役に立った。テキストの料理はほとんど作ったが、あまり頭に入らず、作るたびにテキストを見ていた。和食・洋食・中華料理など、女子栄養大の本も読んだが、上田フサ先生のこれが、味付けの分量が覚えやすく、何種類かを作ってると、調味料の量が感覚的に分かる様になる。

味付けが感覚的に出来るようになると、素材の味と堅さなどの特徴が分かれば、適当に何でも作れるように成ってしまう。

この『上田フサのおそうざい手ほどき』は、今ほとんど開くことはないが、いつまでも近くに置いてる。昭和の時代に購入した物だから、著者の上田先生にお目にかかることはないだろうが、感謝しています。


時には器を変えてみる。鮭のアラ汁、酒粕で。
時には友達と一緒に。マグロのユッケ丼、キータンはマグロが大好物だった。

で・・・、毎日自分で料理をしてるが、何を食べたかなんて憶えていない。

何を食べたのか忘れてしまうが、何でも作れてるうちは、まだまだ認知症は進まないだろうと思う。そうあって欲しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

料理は作れても、掃除が出来ない。ある程度片付けてるが、サイドボードやテレビの台などはホコリがすごい。子供の頃から掃除や片付けなど、何もしない子だったので、それが未だに何もしないクセが付いてしまっている。

DVで苦しんできた人が居て、その人は掃除や洗濯など片付けが好きだが、料理は全く出来なという。パートと子育てで、料理などほとんどしなかった、と言ってるが、好きでないとできない。

今は娘夫婦と同居してるそうで、孫達の面倒や料理が苦手で困ったと言ってる。互いに土地家屋などの遺産は子供に渡して、共に暮らさないかだって。時々一緒に暮らして、時々旅行に行ってなど・・・。掃除をしてもらえるのはありがたいが、何となく面倒くさい。後期高齢者になる頃って、独身者にとっては最後のモテ期に入るのだろう。先月も同居のお誘いがあり、ありがたいが、人との交わりって「情事」なら良いが、常時の方では煩わしい。

娘からも同居を持ちかけられてるが、一人暮らしに慣れてしまうと、これ程快適な暮らしはない。寝たくなったら寝て、腹が減ったら食べたい物を作り、好きな時間に食べて、思い付いた時に行きたい所へ行ける。死さえ覚悟しておけば、多少の痛いとか痒いとか、2週間も寝込むような病気でも、自宅でノンビリ過ごせば何とかなってしまう。食べた物を忘れても、自立した生活をして、孤独な独身生活を楽しみたい。こういう気持ちって、この歳にならなければ理解できないだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?