祖父が83年間購読している文藝春秋とわたしのこれから
101歳の祖父には、83年間毎月購読し続けている本がある。
”文藝春秋”
祖父は、18歳の頃から毎月定期購読を続けている。18歳のころのものから残っているのかはわからないが、家には物凄い量の文藝春秋が祖父の書斎の本棚に並んでいる。
ずらーッと並ぶ文藝春秋。数十年もの歴史がそこにつまっている。
祖父の大切に大切にしまってきた文藝春秋を開けば、昔の日本を覗くことができる。
昔の文藝春秋をわたしが読むことによって、それを読んでいたときの祖父を思い浮かべることができる。すごいものを祖父は残してくれている。
近々何十年分あるのか、整理して確認してみたい。
そして、少しずつ、時間をかけてになるだろうけれど、何十年前の文藝春秋を読んでみたい。
祖父は、いまも、毎月文藝春秋が届くとすぐに施設に届け、時間をかけてゆっくりと読んでいるそうだ。
祖父はわたしに言っていた。
また、祖父は、祖母が亡くなってから25年間、毎日日記を書き続けている。
祖父が日記にしている大学ノートはもう何十冊にもなる。
文藝春秋を83年購読し、日記を25年続ける。
祖父の継続力はすごい。
祖母もそうだった。
祖母は、72歳で亡くなったが、亡くなるまでの50年以上、ずっと生け花を続け、教授にまでなった。
と、こんなに身近で教わってきたけれど、わたしは継続できているものはなかった。
でも、わたしはnoteを書き始めて、思うようになった。
わたしは文章を書くことが好き。
祖父母みたく、ずっと続けていたわけではない。
だけど、わたしは子どもの頃からいつも物を書いていた。
子どものころは、小説を書いたり、詩を書いたり、交換日記をしたり、常に何かを書いていた。
大学は、英語文化を学んだけれど、日本語教師養成課程を受けたり、日本語文化学科の講義や日本文学の講義も受けたりして、文章や日本語に触れ合う機会が多かった。
友達の卒論の添削をしてほしい、と言われて、添削したこともあった。それがすごく楽しかった。
noteで書いていて、思い出した。
わたしが年を重ねてもずっと続けられるかもしれないのは、文章を書くこと。
文章を書いて、思いを届けること。
そのためには、わたしにはまだまだ努力が必要。
祖父のように本を継続して読み続けることがわたしにとって力になるかもしれない。
わたしも祖父が文藝春秋を83年間購読し続けたように、本を読み、文章を書き思いを届けることを続けていきたい。
きっと、文章にはすごい力があると思うから。
祖父が83年間も文藝春秋を読み続けられたのは、文章に触れることで心が満たされるからなのだろうか。
祖父は、”人生は9割困難・1割幸せ””人生は航海だ”と言っていたから。生きていれば、楽しいときも、辛いときも、悲しいときも、人生にはあったと思うけれど。
どんなときも一度も解約することなく、読み続けられたのは、文章に触れる事によって前を向けることもあったのだろう。
きっと、わたしにとっての文章も、同じようにすごい力がある気がする。
だから、わたしは、これからはどんなときも文章に触れることを心に決めた。
書けないときは、読む。読めないときは、書く。
それがきっとわたしの心の支えになる。心が満たされる。
そして、誰かの心を明るくし、心を満たす文章を書けるようになりたい。
いつか、長年続けてきてよかった、と思える日まで。
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101歳のおじいちゃんの記事はほかにもあります。祖父にも印刷して読んでもらい、喜んでくれました💛
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