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小さい頃の思い出。いわゆる「近鉄線長瀬駅時代」皆さんにもありますか?似たような事。③

子供の頃の思い出は
つまらない事ばかり
手をつないで駈けた公園は
誰もいない夕暮れ
それはとても美しい
少し悲しいけれど
だけど思い出すたびに
ムネがはりさけるみたいで

《省略》


〜〜時計の針がキザムのは
終りをつげる時間ばかり
心の中にひびくしらべは
愛の歌でありたい

小さい頃の事を思い出す時私は頭の中にこの曲のメロディと歌詞がいつも思い浮かびます。笑福亭鶴瓶さんが歌っていました。

深夜ラジオの「ぬかるみの世界」でよく流れていました。知っている人は知っている。知らない人は全く知らない話です。なんともディープなラジオ番組でし

た。このラジオ番組を聴いている時は中学生ぐらいだったか。

昭和45年私達家族は大阪近鉄線の脇。いわゆる「文化住宅アパート」という賃貸アパートに住んでいました。この文化住宅というネーミング。時代そのものです。

以前お話しした風呂は付いていないトイレのみの賃貸物件でした。その文化住宅にはよく似た家族構成の家族がよくいました。だから遊ぶ友達には苦労しませ

ん。外にいるだけで自然と3~4人は集まってきます。でもこの時の友達が誰だったか。名前はなんだったのか。全く覚えていません。遊んだ内容はよく覚えてい

ます。白墨というチョークで道路一杯に絵を描いたり、ケンケンパーの模様を描いたり陣取り合戦の模様を描いたり、3~4人の友達が集まれば遊びのアイデアの

宝庫でした。6クンというボールを使った遊びも独特でした。キャッチボールの間に人を数人挟んでボールで当てていく実に単純なゲームなのですが、ずっと何時

間もやり続けていました。当たる瞬間にマトリクスの様に身体をうまく動かす年上のお兄さんの友達もいて驚きます。

本当に歌の歌詞ではないですが、つまらないことばかりです。でもなぜか時々思い出すのです。

そんな中鮮明に覚えている悪ガキとの思い出話は大阪近鉄線を止めた話です。今では完全に犯罪ですね。笑

当時その文化住宅と線路の間に遮るものはなく、簡単に線路の中に入れました。よく線路の上にバナナの皮を置いて電車が通り過ぎるのを線路の高さギリギリま

で目線を合わせるまで身体を伏せて眺めていたり、中には10円玉を線路に乗せて10円玉がすごい形になるのを見て喜んでいました。友達同士でキャッキャッと。

恐ろしい子供です。

そんなある日誰かが駄菓子屋でパチンコの違うタイプを買ってきました。パチンコは石をゴムバンドに巻きつけて遠くに飛ばすものですが、それはプラスチック

の円盤を飛ばすタイプのものでした。石と違いかなり簡単に飛ばして、しかもスピードがあり遠くまで飛ぶのです。それを何故だか近鉄線の電車に向かって、し

かも運転手席に向かって飛ばしていました。5歳ぐらいの頃だったと思います。2回ぐらいやった記憶があります。それをしていたある日。ここからは私の記憶な

のでどこまで合っているかやや自信が無いのですが。目の前で近鉄線が止まったのです。そして運転手席から激怒した運転手が降りてきて

「何しとんのじゃ!!どこのガキじゃお前ら!!!」

と私の首根っこを掴んでそのまま言われるままに私の家を教えて。。。。なぜかそこから以降は私の記憶が無いのです。帰って親からこっぴどく怒られた記憶も無い。

でも確実に目の前で近鉄線は止まりました。あれは夢?幻?現実?

子供の頃の思い出は
つまらない事ばかり
手をつないで駈けた公園は
誰もいない夕暮れ
それはとても美しい
少し悲しいけれど
だけど思い出すたびに
ムネがはりさけるみたいで


〜〜時計の針がキザムのは
終りをつげる時間ばかり
心の中にひびくしらべは
愛の歌でありたい


次回へつづく

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