第六話 適応障害 大丈夫なのに「あれ?息ができない」
小さい頃からのクセ
思い返すと小さい頃、とあるきっかけから
人に嫌われたくなくて自分の感情を後回しにするクセができていた。
自分が言いたい事を言ってしまうと迷惑がかかる。そう思って本音を言うこともなくなっていた。
そのため、何十年も当たり前に誰かを優先して、自分より誰かの方が正しいだろうと思って生きてきた。
だから自分の感情なんてわからなかった。
そんな状態から少しずつ自分に向き合う時間が増えて行った。
何のために生まれて、何のために生きるのか
まるで某⚪︎パンマンのテーマ曲のように自分を見つめ返していた。
自分のこと、家族のこと、向き合わなければ気付かなかったこと、わからなかったことを
ぐるぐるもんもんとしながら、しんどい感情と共に消化させていくような日々だった。
きっかけは憧れ
コロナ禍が始まってまもない頃
とあるスタートアップ事業に参加することになった。
それは憧れとする人が立ち上げて、参加できるだけでもありがたい環境だった。
裏方作業ではあるものの、全てオンラインで事が進み、メンバーは日本全国から参加していた。
ミーティングもオンライン。進捗のやり取りはチャットワークを使って常にオンタイムなやり取りが交わされていた。
私も他のメンバーも別に仕事をしながら、そのスタートアップ事業に時間と労力を費やした。
そこで私はやらかしていた。
憧れの人にがっかりされたくなくて、自分の力量以上のことを常にやろうとしていたのだ。
まだこの程度しかできてない。
全然進められてない。
あれもこれも全部やらなきゃ。
こんなんじゃがっかりされてしまう。
と、できてない自分を責め続けた。
最初は問題なかったけど、だんだんと疲労や精神的なプレッシャーから
カラ回る事が増え、ミスも増え、ミスが起きないように確認することでまたミスを増やす。
普段なら絶対あり得ないようなことをするようになっていた。
ミスをしないようにすることが、ほぼほぼ裏目に出る。
そんな自分に罪悪感を感じ、また自分を責め、次は絶対ミスしないように!と力んでこわばって体をカチカチにする。
だんだんチャットワークに通知が来ると手が震えるようになった。
それでも読み続けてると冷や汗をかき、食べ物も飲み込めず、呼吸ができなくなっていることに、だいぶ経ってから気が付いた。
仕事のやり取りしている時以外はいつも通りだったので(本人的には)気付きようがなかった。
「ねぇ、だいぶヤバいことに気付いてる?」
確かそんな事を言われて、自分の状態に気付いた。
案外精神的な病ってそんなものなのかもしれない。
ネットで不調の状態をチェックするリストをやっては
『すぐに病院へ行きましょう』という結果が出ても
いやぁ、大袈裟だなぁ。
としか思っていなかったのだから。
自分のことは自分が1番見えないものだ。
結局病院には行かなかったので診断はされていないけど、適応障害だったんだと思う。
そして、さすがにもう続けることはできないと思い、スタートアップ事業から抜ける事を決めた。
続く▶︎▶︎ 第七話 リハビリ期 精神の回復 家族と自分との関係
最初から読む▶︎ 第一話 母の死と離婚 突然のお別れ
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