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育児のあたりまえなんて、いつの間にか、自分で生み出していただけかもしれない。

長男が生後6か月くらいの頃、旦那さんの仕事の関係でアメリカで3年ほど暮らすこととなりました。初めての子育て。育児になれないままに渡米。


夜、ほとんど寝ない子だったのもあり、キャパオーバー気味のなかで引っ越しを終え、生活に慣れるのに必死。英語も中学生レベルの文法を駆使という状況でした。


生活もわからないし、現地に友達もいなかったし、籠っていると孤独になりそうだったので、少しずつ生活に慣れてきた頃に、旦那さんの職場が運営する「海外からきた配偶者のための会」に参加するようになりました。

そこは、とても多国籍なグループで、
オランダ、フィンランド、ドイツ、メキシコ、ポルトガル、インド、サウジアラビア、中国、韓国、日本など、さまざまな国の出身の人がいました。
配偶者の会だから、主夫の男性もいたり。


そんなにいろいろな国の人と、多くの文化の中で同じ場所で過ごしたことなどそれまでになく、そもそも海外で暮らすのが初めて。いろいろと驚きがありました。

でも、みんな基本的には移民で配偶者の仕事で海外に来てて、現地に友達がいなくて。助け合って生きていきたいという、同じ気持ちを持った温かな人たちの集まる場所でした。


だから、近所の動物園にみんなで行ったり、週1回くらい旦那さんの職場の一室で持ち寄ったご飯を一緒に食べたりして、楽しく過ごしてました。

小さな子供を連れてきている人もいたから、私の初めての育児は、その多国籍な環境での情報交換と、知り合った日本人ママさんからのアメリカ育児情報、ネットでの情報が頼り。

そこでの集まりは、各国の育児の違いを垣間見るというとても興味深くて、面白いものでした。離乳食について、母乳育児について、習い事について、寝かしつけについて、子どもを預けるということについてなど・・・。


その環境の中で、日本らしい育児は、多くの国との違いが多くて、たぶん超がつくほど個性的という事に気付きます。(私にはそれしかわからないけれど)


いくつか例を挙げてみると、
そこのグループにいた自然派志向の多くの人は、オーガニック系のお店で市販の離乳食を買うという考え方のようでした。オートミールとミルク混ぜるくらいは作るっぽい。

手作りだからいいという価値観は、わりとアジア圏の人に多めだったかもしれないと思います。

皆さんのお宅では、子ども部屋も生まれた時からあったりして、寝室も子どもと別なようでしたし、ランチはパンにチーズはさんだだけとか。野菜のスティックとか。チップスとか。まあいろいろ。

私は、手作りの離乳食を持参したり、床に布団を敷いて川の字で寝たり、
よくおにぎりを持って行ったり、食事中におんぶしたりと、
とても個性的な育児をしているようでした。

でも、みんな、「へ~」「面白いわね」という反応。
たまに質問されたりするけれど、質問をしたら
「日本人の育児、面白いのね」で終了する。

その「みんな違ってみんないい」が言葉に出すまでもなく
当たり前なその環境の感覚を、たまらなく心地よく思いました。

授乳をどれくらい隠すかということにもかなり国の差がありそうでした。
サウジアラビアの人は、ムスリム?だっけで髪とか首を隠しているというくらい肌を隠している中で、南米の人はちょっと大胆に授乳しながら、授乳後の豊胸の手術の話してたり笑。

美容形成に挑戦する気軽さも各国違うようでした。

これだけ価値観の振れ幅が大きいと、
「何が正しい育児なのか」とか、
「みんなの当たり前の育児」なんて
そういうことを気にすることは全く意味がなくて。

「大抵のことはなんでもあり!!」なんだと思いました。


自分の当たり前は、世界の当たり前ではないこともよくわかり、
むしろ私の知ってる日本らしい育児は、超個性的、少数派のようだったし。

でも私の知っている当たり前は日本らしい育児にしかないし、
みんなの当たり前に合わせることも、
もう振れ幅が大きすぎてそれも当たり前じゃないから。


だから、私は私らしくやる。
そしてよさそうなものがあれば取り入れてみる。
それが良いかどうかも私が決める。
それ以外に方法がないように思いました。

それが超シンプルで、無駄を削ぎ落していて、非常に心地が良い。


渡米前は正直不安だらけだったのですが、
私は海外での育児がたぶん合っていたようで、
自分がマイノリティーとなり、それが自分らしさだと開き直れたら、とても心地よくなりました。

英語が堪能ではないことも功を奏して笑、全部を伝えようともしないし、
要点だけをまとめて話す。要点だけを知る。
すると情報量が絞られて、育児情報の断捨離がされたようだったのです。
すると、情報に踊らされることもなくなりました。

その上で、違うものをそのまま受け入れる姿勢さえあれば、みんなそれぞれでよしとなる。

常識なんて、自分が生まれてから今までの間に
勝手に作られていただけかもしれない。
そして自分が苦しいと思う当たり前だと思う価値観に縛られていることになんの意味があるのだろう。

実は私の最初の育児のベースがここにあることで、次男の発達のことをすごく受け入れやすくしてくれたように思います。


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