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常識を飛び越えた先は、毎日が旅行みたいな日常だった。

「ねえ、美味しそうでしょ?」

コップの中身をこぼさないように、水面が揺れるのを見ながらゆっくりと歩いてくる。そっとテーブルの上にコップを置くと、あどけなさの残る笑顔を浮かべて、息子は私の隣の席についた。

大人は「口元は笑ってるのに目元は笑ってない」ような複雑な表情を、いつの間にか覚えてしまうものだ。

けれど子どもの笑顔はいつだって、口元と目元がちゃんと繋がっている。頭で何か考えてそれぞれのパーツが別の動きをするなんて、めんどくさいことはしないのだ。

なんなら、頬の膨らみも手の動きまで合わさって、全身から笑いのエネルギーを振りまいている。子どもの笑顔ってすごいな。

そんな「全身笑顔くん」が、ケラケラ笑いながら話をすると、周りの人までつい笑わせてしまう。そんな笑顔でコップの中身を見せながら、息子は私たちに言うのだ。

「ねえ、美味しそうでしょ?」

子どもたちは、レストランで飲むドリンクバーが大好きだ。
ただジュースを飲む楽しみだけじゃない。自分好みの配分でジュースを作れるから、ワクワクするんだよね。

息子が作ってきた飲み物は、緑のようなちょっと黒みがかったような色をしていて、よくみると小さな炭酸の泡が水面をぱちぱちと跳ねていた。

「僕のね、何が混ざっているでしょうか?」

え。そんな質問、…するってことは…。
いろいろ混ぜたってことだよね?

私の常識にはない飲み物の色だから、ちょっと恐々としてしまう。
質問に答えようと色から中身を推測しながら、その味をつい想像してしまう。

嬉しそうだから、言いにくいけど。
変わった味…するんだろうな。

「メ、メロンソーダとコーラかなあ」
「違いま~す。あとソーダも、コーラゼロもオレンジジュースもはいってます!」

やばい!!それは想像以上だぞ!

私の戸惑いなどどこ吹く風で、なんの躊躇いも屈託もない。息子は、全く変わらない可愛い笑顔だ。
飲むのに迷いしかないそのジュースの色と、迷いのない笑顔のギャップに、やっぱり笑わされてしまう。

彼はアイデアの宝庫で、それをさも当たり前かのように自然にやってのけるのだ。そして人にどう思われるかをさほど気にしない。
だから常識なんて枠を軽々と飛び越えていける人なのだ。

それは、旅先で初めてのお店で食べたことのないものを注文するときの気持ちに似ている。

いつもの日常まで新鮮な体験になる。彼はそんな旅の案内人だ。これからどんな世界へいざなってくれるのか、ドキドキの奥でワクワクもしている。

そして、とても嬉しそうに美味しそうに。
その不思議な色をした飲み物を、彼は結構なペースで一気に飲み干し、そして言い放ったのだ。

「僕にとって、味はどうでもいいんだよ。」


え??味はどうでもいいの?

だって、味だよ?

私、口から食べるものや飲むものは味が一番大事だと思ってたよ。

あの不思議な色はまだ序の口だったね。
今度こそ斜めからのパンチがきたよ。さらなる衝撃だよ。

「僕にとって大切なのは、どれくらいシュワシュワがあるかって事なんだよ」

「コーラとソーダ混ぜたらもっとシュワシュワするでしょ。もっといろいろ混ぜたら、もっとシュワシュワするかもしれないでしょ。」

そうか~。なるほどな。

持っている感覚、感じ方は本当に人それぞれなんだと気付かされる。

彼にとっては味よりもシュワシュワ感が大事なんだ。刺激重視ということか。
自分にしっくりくるものをいろいろと試している。これは彼自身のための実験か、実験なんだな。

そう思うと、ほんと面白いなあ。

親バカなだけかもしれないけれど。そうやって工夫し続ける毎日の中で、何か新しい発明でも出てきそうな気さえしてくるよ。

「いろいろ混ぜるなんて、もったいない」とか
「そんなの美味しくない」
なんて考えも、頭の片隅にはあるけれど。

これ、大人の常識に当てはめちゃったら、きっと素敵なアイデアがしぼんじゃう。

しぼんじゃったら、とても勿体ない。
しぼんだら、きっと「全身笑顔くん」ではなくなってしまう。しぼませたくない。

誰にも迷惑かけてない。

いや。

誰かにちょっと迷惑をかけちゃうことは、これからもあるかもしれない。それは相手の方には、親として深くお詫びと感謝だ。

でも子どものうちは迷惑かけて、加減を学ぶ時期でもあるって、少し待てる自分でいたい。

本人が楽しんでいるものを、楽しむままに自由にやり続けたら、日常にいてもまるで旅行みたいな気持ちになっていく。

それは、結局みんなを幸せにしてもくれることだって、私は信じてる。

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