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「学歴なんて関係ない」といいきれないからこそ、自分が信じる道にいつも立ち戻ってみてる。

「学歴なんて関係ない」っていいつつも、学歴を気にしていないと言えばウソになる。

私の両親は学歴に重きを置く人で、私はその価値観にドップリと染まりながら育った。弟は名の知れた大学を卒業したけれど、私は「学歴なんてくそくらえ!」とばかりに、親の意向に反発して資格で生きる道を選んだ。

結局、看護師として働きだしてから、親の言ってた意味も少しわかるようになり、20代後半に差しかかる頃、大学に通い直すこととなる。

なんだ、それ。
めっちゃ、学歴に翻弄されて生きてるじゃん!笑。

そうなのだ。


「学歴なんて!」と反発した私も、大学に通いなおした私も、なんだかんだ学歴に振り回されていた事に変わりない。


だから、わが子の子育てをするときに考えてしまう。
中学受験を経て、素晴らしい環境で学びを深めている長男と、フリースクールに通い、ホームスクーリングという形で学びを深めている次男。

学歴というものさしにもし私が縛られすぎたら、彼らの人生の選択を色眼鏡で見てしまうことになりゃしないだろうか・・・。

彼らがこれから幸せに生きていくのに必要なことってなんだろう。


もちろん良い学習環境を目指してもいいし、そうでなくてもいいという自由があることが大切で、彼らが自分らしい人生の選択ができるように。
私の「学歴の価値観」のアップデートをしてみたいと思った。

でもどんな方向に向かうのが、アップで何がダウンなのかもわからん。
ただ、一つの価値観を信じすぎて「それがすべてだ」と思い込むことは
偏りになりやすいということは分かる。

言葉にして、私が何に振り回されやすいのか見つめてみたら、
何かが変わらないか。そんなことを今試してみてる。

学校とどう付き合って学んでいくのか考えて、子どもの将来に思いを馳せるとき、学歴への想いはいつもセットで出てくるのだ。


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「学歴なんて関係ない」って、菅総理が言ったり。ホリエモンが言ったり。
社会的な地位を身につけ、活躍されている方がいうとカッコよく聞こえる。


ただ、どうなんだろうか。


私みたいな一般的な生活をしている人の立場で、まだ周囲を見渡せば「学歴なんて」といいながら、まだ学歴に重きをおく価値観も根強くあるように見える。


そもそも、学歴ってなんだろう。


学歴って「何処の学校を卒業しているか」ということが、その人の頭の良さや努力を証明するステイタスのように、ラベルを貼っている印象がある。

そして証明するラベルを人に見せびらかすのは、なんとなく恥ずかしかったり、ハシタナイことのように思う文化もあるから、みなあまり学歴について、大っぴらに口にしない風潮もある。

就職時の面接、履歴書、そんな場面では口にしなかったそのラベルを掲げながらも勝負するのだ。

口にはしないけれど、自分に貼られているラベル。だから心の底では気にしてる。学歴って、私にとってはそんな存在。


実際に、そのラベルはその人が積み重ねた努力を証明する一つの方法だとも思う。

受験に挑み、勉強と向き合って己に折り合いをつけ、自分らしさを知って自分を適所に置いておくことができる人は強い。実際に高学歴と言われる人の中に、それが出来る人が多くいることもわかる。

でもどんな環境だってどんな学び方だって、その人らしい方向で努力を積み重ねている人も同じようにたくさんいる。だから「学歴というラベルがないと努力してない」なんて捉え方は極端すぎてちょっと違う。

多くの人はそんなこと、あえて言葉にするまでもなく、
「学歴に関係なく、努力を積み重ねている人がたくさんいる」ってことはすでに知ってる。

じゃあ、「学歴や学校にこだわるってなんなんだろう」と考えたら、やっぱり就職のためなのかなあ?

でもそれが崩壊してきていることを感じているからこそ「学歴なんて関係ない」が市民権を得てきているのかもしれない。

結局、考えても答えの見えない堂々巡りにハマっていくのだ。

学歴というよりは「良い環境で教育を受けてほしい」という気持ちで学校選びにこだわるのかもしれない。そしたら、良い環境ってなんだ?という堂々巡りがまた始まるのだけれど。

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我が家の場合は、学歴という価値観とどうやってお付き合いするのか。

長男は、中学受験を経て得られた、素晴らしい環境で学習を積み重ねていると思っている。次男は、学校という枠から外れたことで、彼の個性に合わせた生活のペースが作れたと思っている。

そこに、私以上に学歴を重視する環境で育ってきた旦那さんと私で、彼らの教育について考える。

次男のホームスクーリングについて考える時、私は「学歴を気にする私」のことをちょっと否定してた。でないと「学校に行かない」という状況との私の心の折り合いがつかなかったのだ。

ママ友が受験の話を自然にしているだけでも、変に居心地の悪さを感じた。それはたぶん、劣等感に近い感情がふつふつと沸いていたからで「息子は息子らしく生きてるのに、人と比べて将来の学業について考えて、つい慌てちゃうんだなあ」と、自分で自分を慰めるような気持ちになった。

でも、そういう風に気にしたり、反省したり落ち込んだりを繰り返していること自体が、結局「学歴という価値観」に縛られちゃうことのような気がしたから。

学歴だってまだ問われる社会の現実から目をそらさずに、でも学歴が全てではないからと、それ以外の選択を胸を張って誇らしくいれるような、そんな風になりたい。

子どもたちには「自分も他者も大切できる」人に育ってほしいから。
だから私が、自分も彼らの想いも大切に出来る人でいたいと思う。

こうして書いてみて、やっぱりアップデートがなんなのかも、よくわからなかったけれど。

「幸せに生きる」みたいな目に見えない大切なものを、親である自分の信念を支えにしながら、自由だけど責任も伴う道を信じて、歩き続けるしかないのかもしれないなあ。

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