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ジュウ・ショのサブカル美術マガジン

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美術についてサブカルチャー的な視点から紹介・解説。 学術書とか解説本みたいに小難しくなく、 極めてやさしく、おもしろく、深ーく書きまーす。
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#最近の学び

メソポタミア美術とは? シュメール人・アッシリア人の表現力がすさまじい件

さて、大学の真剣な講義ってのは、意外と頭に残んないもんだ。専門的な内容はあんま話さずに、高田純次バリのテキトー加減でフラフラしゃべってたアゴヒゲMAXのおじいちゃん先生のほうが、意外と記憶に残っているのである。どうもこんにちは、キアヌ・リーブスです。ははは違うかぁ、ははは。 専門的な分野の話というのは、ちょっとユーモアがなけりゃ耳に入ってこないんだと思う。少なくとも集中力のない私はそうでした。 そんなテキトー加減で西洋美術史をお伝えしていく所存のこの連載。ぜひノートとペン

人間がヲタクになり推し活を終えるまでを4ステップで解読してみた

私は主にアート、マンガ、音楽、小説といった分野でライティングをしている。これらの創作物は、広義で「文化(カルチャー)」という枠でくくられる。 ただ、カルチャーは決してエンタメだけに特化した言葉じゃない。カップ焼きそばUFOのパッケージとか、無印良品のオーガニック食材とか、そういうものもひっくるめて文化だ。決して一過性のブームではない。何人かのヲタがソレを推して歴史を作ったもの。それが文化となる。 カルチャーについては以下の記事で紹介していますので、暇すぎてもう飲料の原材料

フラゴナールの『ぶらんこ』とは|ロココ美術の成り立ちからディズニーとの関わりまで徹底解説

突然だが、私はアダルトメディア研究家・安田理央さんの本が大好きです。23歳くらいのときにインセクター羽蛾似の上司におすすめしたら、なんかもう「私いま苦虫を噛み潰しながら虫唾を走らせております」みたいな顔をされた記憶がある。これは私の若気の至りであり、当時の上司には酷いことをした。 なぜ安田さんの本が好きかというと、読んでいて気持ちいいんですよね。「あぁこの人、マジでAV好きなんだなぁ……。すげぇ正直だなぁ」と思う。普通はなかなか社会的に言いにくいテーマだけど、安田さんは軽々

「頽廃芸術=革新性」という観点で当時のアーティストを褒め称えたい

ヒトラーといえば、そりゃもう血も涙もない独裁者だ。第一次世界大戦後、1920年ごろからドイツの政権を握り、1933年から1945年までナチスドイツを指揮した。 彼はユダヤ出身やスラブ出身といった、東洋系の人種の存在を根底から否定したのは有名だ。そのざっくりした理由は「ドイツ民族以外を排除したいから」というもの。「我がワイマール(北方)民族こそ至高」という考えがあり、そぐわないものはもう徹底して排除するんですね。ただ「なんで差別主義者になったのか」はあんまり分かってない。

ピエト・モンドリアンとは|抽象絵画を「赤・青・黄」で極めた本物の画家

さて、早速前の記事を紹介をするのも恐縮なんだが、以前、カンディンスキーという画家の話をたっぷりと書きました。 「もしかしたら本当の意味でのアートはカンディンスキーから始まったのかもしれない」という話です。抽象絵画は、今やほとんど見なくなってしまった絶滅危惧種の1つでしょう。それはもしかしたら分かりやすい作品が求められるからかもしれない。たしかに抽象絵画は「何を描きたいのか」が、めちゃ分かりにくい。これはもう言い切っていいと思う。 でもキャッチーさと引き換えに、観ている人の

「アングルvsドラクロワ」という西洋美術史最大のライバル関係について

西洋美術史は思想のぶつかり合いの歴史でもある。「アート」という答えのないテーマを各々が必死に追い求めるのだから、そりゃ意見がぶつかり放題、火花散り放題なんですね。 「すげぇの描けたから見てくれ!」と作品を発表すると、必ず誰かが反論を唱える。しかしその反論にも反論があり、反論の反論にも反論があり……ともう止まらない。 金子みすゞの「みんな違ってみんないい」みたいな多様性を認める人間はあまりおらず、各々が哲学という盾で身を守りながら、表現という剣でバチバチにやり合う。だからこ

エドヴァルド・ムンクとは|傷つくほどに名作を生む、「死と不安」の画家

「知ってる?『ムンクの叫び』じゃなくて、ムンクの『叫び』なんだよ〜」。これは誰もが人生で20回くらい言われるトリビアだ。 それほど「叫び」という作品は有名な1枚です。絶望的な顔をあんなに臨場感を持って描けるのは、楳図かずおかムンクくらいなんじゃないか。「叫び」が世界で広く認知されているため、美術好きでなくとも、ムンクという名前は知っている。インパクト抜群の作品だ。 しかし「叫び」ばかりが先行してしまって、ムンクという画家にスポットライトが当たっていない感は否めない。もはや

グスタフ・クリムトとは|ウィーンの芸術をアップデートした「優等生の反撃」について

オーストリア・ウィーンの画家、グスタフ・クリムト。彼の絵に取り憑かれる国内美術ファンは、日本でもめっちゃ多い。個人的にも大好きな画家で、彼の作品のエコバッグ持ってます。かわいくない? クリムトの絵を観ると、妙な感覚になる。「めっちゃ綺麗〜♪」と思う一方で「怖いな〜、なんやこの妖しさは」と不安になったり「杉本彩越えのエロさやな」と見惚れたりする。 それほどまでに、1枚の絵から写実、幻想、耽美、抽象、ロマンなど、あらゆる影響を感じるのがクリムトの絵だ。それらが合わさって、完全

「アカデミー」とは|200年以上も西洋絵画のメインストリームだった美術学校

西洋美術史を語るうえで、やたらと登場するのが「アカデミー」という存在。歴史上の画家たちは、この組織に良くも悪くも振り回されてきた。 このマガジンでも画家の人生を振り返るうえで何度か触れたが、よく考えると「そもそもアカデミーってなんだ」については詳しく書いていませんでした。しかしアカデミーという存在は西洋美術史において、200年以上もメインストリームとして君臨し続けてきた存在。「美術のルール」を定めて画家を選定し続けてきた機関である。 今回はそんな「アカデミー」について一緒

ワシリー・カンディンスキーとは|「純粋な芸術」を生んだ真のアーティスト

ふとnoteを見てイラスト、二次創作の多さに驚いた。もちろんnoteだけではない。Twitterでもインスタでも、とんでもない絵師さんの数がいて、素敵な作品をあげてくれる。素敵な世の中だ。 いっぽうで、抽象絵画を見ることはあまりなくなった。もしかしたら抽象絵画は、キャッチーなキャラクター文化が主流の日本において、最も日陰に追いやられている存在なのかもしれない。 人物画や静物画のような「モチーフ」があることで、見やすくなるのは確かだ。例えば荒々しい波の上に船を一艘置くだけで

遠近法の歴史|誰にでも分かりそうなのに1000年も発明されなかった技法

遠くの人は小さく、近くの人は大きく見える。 今となっては、当たり前に成立している遠近法。しかし1200〜1300年以前、つまりルネサンス期より前の絵画には、遠近法はほとんど存在しない。つまりのっぺりした2Dの絵であり、3Dの概念はなかった。 「え? なんで?」と思う方もいるかもしれない。正直なことを言うと、私もその1人だった。だって風景画も人物画も、観たまま描けば遠近法になるじゃん……。しかし、実際に描いた経験がある人なら分かると思うが、見たまま描いても正確な遠近法にはな

「アートはもっと爆笑しながら学ぶものだ」という持論

「アートは学問の1つであり高尚なものだ」 そんなイメージは世界共通のものだろう。基本的に美術館は重々しい静寂に包まれており、皆マジマジと作品を見ている。アートはけっこう重いテーマなんですよね。 西洋美術史のなかでも長らく王家や教会だけが楽しむハイカルチャーだった。また「学問」として成り立ち、さらに作品の単価はマンガやアニメの数百倍だ。 そのこともあって、日本でもいまだ「アートは高尚な趣味」みたいなイメージが固まっているんだろう。それも素晴らしいと思う。アートがやたらめっ

バルビゾン派とは|風景画の基礎を築いた「バルビゾンの七星」の"豊かな心"

「バルビゾン派」をご存知だろうか。断っておくが決してウルトラ怪獣ではない。「ゼットン派?レッドキング派?」「いや、俺バルビゾン派」ではないので注意してください。 バルビゾン派とは1830年代から1870年代くらいまで、フランスで隆盛した美術派閥だ。「自然をあるがままに描く」という考えが特徴。フランス・フォンテーヌブローの森の近くにある「バルビゾン村」が舞台になったのでバルビゾン派という。 西洋美術史のなかでも「バルビゾン派」というグループは見ていて楽しい。 17世紀からず

佐藤可士和展のレポート|SMAP・企業のデザイン、リブランディングのやり方を学べる展示

クリエイティブをやっていて、佐藤可士和を知らない人はいないだろう。2000年以降の日本において、佐藤可士和はトップデザイナーの1人だ。また数多くのリブランディングを成功させた、偉大なマーケター・ディレクターでもある。彼なくして今の日本企業の躍進はなかった、と言っても過言ではない。 そんな佐藤可士和の仕事を振り返る「佐藤可士和展」が2月3日から5月10日まで、東京・赤坂の「新国立美術館」で開催中だ。今日、友だちと2人でふらっと遊びに行ってきたので、早速レビューをする。 最初