マガジンのカバー画像

きりしまの「どくはく」

21
きりしまが、ただ、毒吐く、独白、「どくはく」します。
運営しているクリエイター

#きりしまのどくはく

どくはく16「友人の悪口」

母はよく、私の友人や兄の友人に対する批評を言ってきた。 例えば、兄の友人の女の子がいたの…

きりしま
1年前
1

どくはく10「正座の苦痛」

最近になって、私は宗教二世だったのだな、と理解した。 私は、母親と母方の祖父母が熱心な日…

きりしま
3年前
2

どくはく9「試験前、文が読めなくなった私」

私は高校の3年生夏、鬱がひどくなり、抗不安剤と睡眠薬を飲み始めた。 そのため、夏8月から…

きりしま
3年前
7

どくはく8「橋の下で拾われた私」

 父と母によく言われていた。 「きりしまはどっちにも顔が似てないね」  なぜ、顔が似る似…

きりしま
3年前
5

どくはく7「お腹の中に忘れたもの」

 車の中で、母と話した小学校1年生の頃。  わんぱくで男勝りだった私は、スカートをはくの…

きりしま
3年前
4

どくはく6「夜、母の足音」

高校3年のとき、ひどい不眠に悩まされていた。 睡眠薬を飲み、毎日毎日、夜がしんどく、朝が来…

きりしま
3年前
3

どくはく5「障害者ドキュメンタリーと母の考え」

家で、テレビを見ていたある日のことだった。 番組の内容は障害者の子どもとその家族のドキュメンタリー、皆の苦労や葛藤がありのままに描かれる作品であった。 重たい雰囲気の中で、「障害者の子どもを親が育てること」について母が意見を述べた。 「まあやっぱり親が子どもの面倒は責任もって見るべきよね」 お、何か良いこと言うのか、と思った矢先だった。 「どうせ障害とか持ってる子は親より早く死ぬだろうから、それまでぐらいなら面倒見てもいいわよね」 え? かなり衝撃を受けた一言だった

どくはく4「失敗した煮物」

小学校5年生の時ぐらいに、煮物を作ってみたかったので、親にお願いした。 母親が、冷凍の煮物…

きりしま
3年前
4

どくはく3「初、過呼吸よ」

初めて過呼吸を起こした日のことを、覚えている。 高校2年の終わりごろから、精神状態がおか…

きりしま
3年前
3

どくはく2「私と生理痛」

高校生のころ、子宮をダメにしかけたときがあった。 生理のたびに頭痛、吐き気、腹痛、精神的…

きりしま
3年前
3

どくはく1「母と夕日に染まったリビング」

 小学校1年になりたての頃だった。  窓から差し込む夕日のオレンジに染め上げられたリビン…

きりしま
3年前
5