どくはく10「正座の苦痛」

最近になって、私は宗教二世だったのだな、と理解した。
私は、母親と母方の祖父母が熱心な日蓮宗であった。
父親と父方の祖父母は創価学会であった。
父方と母方は不仲を極めていたが、おそらくそれが原因だったのだろう(宗教について最近まであまり知らなかった)

何かを信仰すること自体に関しては、私は特に反対するつもりはない。
人によって自分の救いになることはまったく違うし、むしろ信仰することによってその人が楽に生きられるのであれば、よいことであると思うからだ。

私が幼いころつらかったことの一つは、正座の強要だった。
月に一回母親に連れられ、母、祖母、私、兄の四人でお寺に行き、お坊さんとたくさんの人で仏壇に向かって勤行を行う。
一時間ぐらいしていたのではないだろうか。
一時間の正座というのは、幼い私にとって、ただただ拷問のようであった。
なぜしないといけないのかわからない。
痛む足。
永遠に繰り返される声。
周りの人の呪いのような声。
畳の跡が足について、終わってもじんじん痛む。
左足首に捻挫の癖がついていた私にとっては、特につらかった。

母や祖母に「どうしてこんなことするの?」と聞いても、まともな答えは返ってこなかった。
ただ、「一生懸命すれば救われるから」とだけ。
わからなかった。
私はどうやら、理解できないことはしないタイプなのだと感じた。
一心不乱に勤行を唱え続ける母や祖母に、恐怖さえ覚えた。

私は信仰をしない。
信仰しても、幸せになれなかったからだ。
信仰をして幸せになれるぐらいだったら、とっくに私の生きづらさなどないと思うからだ。

人の信仰には文句は言わない。
親も別にどうでもいい。
ただただ、私を巻き込まないでほしい。

毎日のコーヒー代に。