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【宗教】オウム真理教と地下鉄サリン事件を語り継ぎたい…。

今週3月20日土曜は、
1995年地下鉄サリン事件が起きて、
26年目になります。
あのオウム真理教が起こした
テロ事件です。

もう「歴史年表」に埋もれつつある
事件ですが、私にはまだ生々しい
感覚が残っています。

戦争体験者が戦争を語り継ぐように
オウム真理教事件は
やはりあの当時を生きた人間として
語り継ぎたい気持ちがあります。
どんどん忘れ去られるにつれ。

地下鉄サリン事件は
私が社会人になった時ですが、
そもそも、80年代後半から
90年代前半は、
東京はどうかしてしまったのか?
と思うくらい、様々な新興宗教が
普通の学生や若い社会人の間で
広まっていました。

たとえば、大学の友人で
オウム真理教に勧誘され
道場?に行った人はけっこういて
まあ珍しい話ではありませんでした。

高田馬場駅前を歩けば、
ま光さんや立正こうせい会の若い信徒に
必ず捕まっては勧誘されました。
ほかに、原理研、統一教会なども、
存在感は今の比ではありませんでした。

私も、宗教には関心が高く、
ギリギリで踏みとどまっていました。
田舎の祖母や母がくちを開けば
宗教には気を付けてと
言われていたからです。

有楽町や神田の駅前で
手相を見せてくださいと近づいてきた
若い女子と話が盛り上がって、
「私の恩師が今◯◯にいて、
ぜひあなたに会わせたい!」
と勧められて、気付いたら
巣鴨の駅前のマンションに
ついて行ったこともありました。
玄関を入ってまず、顔写真を
撮られた辺りからあれ?と思い、
これから1ヶ月ここに来て
セミナーを聞いたらあなたは
絶対に幸せになる、
それでセミナー代をまず
支払って欲しいと言われました。
20万円だったかな?
とにかく、お金の要求が出たら
もうデタラメだというのは、
いくらボンクラな私もわかり、
ダッシュでそのマンションから
逃げ去りました。
駅前まで最初に私を勧誘した
若い女子が走ってきていたのには
びっくりしました。
たしか、彼女はふだんは
看護士として働いてる方でした。
ちょっとキレイな方でした。汗。

仲良くしていた友人が
君にピッタリな人を紹介したいと
横浜の偽ユダヤ教シナゴーグに
連れて行かれた時も、
司祭になりすました男性が
しばらくは最もな人生論を
話してましたが、一時間したら
教壇のろうそく代として、
5万円寄付しなさいと言い出したので、
友人?を振り切って逃げました。

時代はバブル全盛期。
ソニーがアメリカの映画会社を
買収したり、日本人が
ヨーロッパでブランド品を
買いまくっていた時代。

その裏面として、
そんなハイテンションに
ついて行けない、または
ついて行きたくない人は、
心の安らかさや魂の満足を求めて
自分探しをしたり、
海外を放浪したり、
信じるものを探したり。

私はその頃(28年前?)
ひょろひょろで青白い顔を
していたので、陰で
「オウム修行僧」とあだ名を
つけられていたようです。
実際、キャラ的にも、
入っていてもおかしくなかった
からでしょうか。

オウム真理教の教祖が
衆議院選挙に出て、選挙カーで
おかしな宣伝活動をしてた頃。

お金に浮かれる大人。
オールラウンドサークルで
恋愛ごっこに浮かれる大学生。
普通にまっとうに生きる一般人。
宗教に救われようとする人たち。

しかし、オウムの教祖は落選し、
弁護士一家を殺害したり
サリン工場を富士山麓に造ったり、
新聞記者の江川さんを襲ったり
長野県でサリン事件を起こし、
キナ臭い事件が続いて…やがて…。

1995年3月20日の朝、
オウム真理教信者たちの手によって、
地下鉄の車内で、
ビニールに入ったサリンを気化させ、
大勢の人々を苦しめる大事件に
なったのでした。

あのサリン事件は時代が起こした
事件だったとはいいません、
やっぱりオウムの人たちが悪いんです。
でも、自分が全く無関係だったかというと、
そうは言いきれないような、、、。

世紀末の断末魔を生み出す土壌が
あの頃の東京には溢れていました。
26年経っても、なぜだか他人事には
思えないままです。

あまりに大勢な規模の人々が
宗教に助けを求める時は危ない。
恐ろしい悲劇の兆しであることは確か。

村上春樹が書いた
ノンフィクション作品
『アンダーグランド』は
サリン事件で被害にあった
何十人もの一般の人から
聞き取りして再現した
インタビュー集です。
厚さも中身も分厚いです。

まるまる読みきった後に、
どんな風景が目の前に拡がるか?
ぜひ、たくさんの人に読んで
欲しい大傑作です。






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