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文豪作品は、人生を教えてくれるだけじゃない?

最近、ふと感じるんです。
小説や伝記、ルポルタージュ、
ファンタジーからも、
必ず人生論を引き出そうとする
傾向が増えている。

文学もドキュメントも短歌も
もともとは
読む側は、他人の人生を覗き見する
楽しみを堪能する行為。

ああ数日、別世界に行けて
楽しかった、、、
本来はそれくらいのエンタメで
十分だった。

自分は体験せずに、
別の人生や時間を過ごせて、
ああ楽しかった…的な?

もちろん、
人生論を引き出すのも愉快。

でも、あまりに人生に
ひきつけてばかりだと、
その文学や映画の
醍醐味や楽しみが変質してしまう
…気がします。

原因は、今、叱ったり説教する
本物の大人、人間が減ったから、
本や映画やマンガに
真面目なメッセージを求める。
正解を求める。
正しい人生を求めるから。

もともとは、
小林秀雄や志賀直哉…あたり、
戦後の国語教科書の常連あたりが
書物から人生論を引き出す習慣を
私たちに教えてくれた。

国語の先生の趣味が、
濃厚に押し付けられてしまったか?
(笑)

『山月記』や『走れメロス』だって、
笑えるコメディシーンや
戦うシーンもあるのですが、
それもつい人生論に帰結させる(笑)。

でも、最近の若い人はしたたかに
名作文学に向き合っている。
マンガ 『文豪ストレイドッグス』の
おかげで、
名作から人生論を引き出す呪縛から
読者は解放されてきた。

良かった。
まさか、こんな形で、
つまり、キャラクター重視の
格闘マンガとして
名作や文豪が新しい味わいを出すとは
思いもつかなかった。

少なくとも、私にはその手は
思いつかなかったなあ。
だから、マンガ編集者失格(笑)。

マンガ「文豪ストレイドッグス」で
中島敦や太宰治や中原中也を知り、
格闘マンガとして満喫した後で、
元になった小説を
読んでくれる中学生、高校生は
どれくらいいるのかなあ?

いるかなあ、
マンガのモチーフになった
文豪に興味を持った子供たちは?

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