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【川端康成】先に読むなら「雪国」より「眠れる美女」「片腕」を?

今日で、川端康成が亡くなって
50年だそうです。
案外、長生きしてたんだあ?

一番有名なのは『雪国』でしょうか。
あれはとりたてて
独創的な出来事がある訳でなく、
ぐにゃりぐにゃりと、
毎日が気ままに過ぎていく小説です。

学生時代に読みましたが、
これは何を言いたくて
書かれた作品だろうか?
最後まで余りわからず、
ただもう先を急ぐように読んだこと、
後にもやもやっとした感情が
残ったことだけは、覚えてます。
今、再読したらどうかなあ?

でも『雪国』は戦前に書かれた
まあ、恋愛流行ものの一つ。
読む前からあまり期待しないのが
いいかもしれないですね。

ノーベル文学賞作家が書いた
代表作、とか期待して読むと
その通俗性にがっかりするかも。

敢えて、あれに意味があるとしたら、
1930年代というきな臭い時代に、
戦争反対を訴えることもなく、
マルクス主義に傾くこともなく、
私小説に走ることもなく、
「普通」の男女の恋愛物語だって
ちゃんと日本文学にもあるよ、
そう川端さんは言いたかったんだと
思いました。

ただ、川端康成は
フェミニズムの敵でもあります。
文芸評論家の斎藤美奈子さんらは
『雪国』をぼろくそ書いてました。

斎藤美奈子の評論を読んで
私は初めて、
こんなにも文学は、
権威や文学史の基準から自由に
読んだり思ったりしていいんだと
教えてもらった気がします。

ところで、
なぜフェミニズムの敵なのか?
というと、
当たり前ながら
川端が生きていた戦前の時代に
「普通」にあった男尊女卑の
価値観がそこかしこにあるからです。

特に地位の低い、
温泉場の芸者がヒロインです。
主人公は得意客に当たる気ままな作家で、
二人の間には平等な恋愛は
成立するはずもないんです。
昔は温泉場の芸者はなかば
娼婦でもありました…。

ただ、この川端康成が面白くなるのは
年をとってから。
もはや普通の通俗の男女恋愛ものを
書かないようになり、
晩年は、シュールなエロス小説を
書くようになるからです。

といって、エロ小説ではなく、
「エロス小説」です。
女性への欲望も
女性の存在感も、
男女の「セックス」も、
どんどん透明化され、
蒸留化されていき、
その結晶として、
不思議な話が書かれました。

『眠れる美女』や『片腕』は
なんていえばいいんでしょう、
恋愛小説でもなく、
性愛小説でもなく、、、
女性という他者が愛しくなる
奇妙な世界です。

川端自身は
女性に対して類まれなほど
強い関心、欲望を持っていて、
それが創作の原点なのも
確かなんです、、、。

川端は電車に乗って、
目の前に美人が座っていると、
じーっと目を見開いて眺め、
女性が下りるまで、
自分も下りなかったという
伝説もあるくらいです。

こうした老齢期の作家の傾向では、
谷崎潤一郎が晩年に
『鍵』『瘋癲日記』など
老人エロス作品を書いてますが、
川端と谷崎の晩年の傾向は
よく似ています。

日本文学は、老人作家が書いた
エロス小説が大きな財産かも
しれませんね。

作品の中でも、
主人公はもはや性的不能ですが
それゆえに?
老人男性にたまっていく
奇妙に歪んだ性愛を
シュールな設定や世界観に
結晶させていくといいますか。

川端康成も
『伊豆の踊子』や『雪国』
よりは
『眠れる美女』や『片腕』から
入っていけたら、私ももう少し
彼を重要な作家だと思えていた
かもしれないですね。

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