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【悼む】なぜ私たちは「死者」を遠ざけてしまうのか?

最近はめっきり霊柩車を
見かけなくなりました、
と思ってたら、これは誤解でした。
平成半ばに姿を変えて
今も街を走っていました。

ネットで調べたところでは、
平成時代に、地元住民からの苦情や
自治体への配慮のため、
いかにも霊柩車らしい、
神輿のような頭部がついた
あの霊柩車は縁起が悪く思われ、
走らないようになった、
、、、、と知りました。

ちょっとあの霊柩車は
豪華さと悪趣味さを
感じさせて、決して
いい気持ちにはなりませんでした。
ふと、霊柩車を見かけ、
親指を隠した人は多いのでは
ないでしょうか?

それにしても、
死者を忌みきらう地元住民の
苦情や配慮って、なんだか
いきすぎな気もしますが。
私たちはみな死者になるのですから。

ネットで調べると、
平成初期から平成半ばにかけ、
住民からの苦情が原因で、
あの、ザ霊柩車は、
出番を失くしたらしい。
今はもっとカッコいい、
ネイビー色のセダン型やワゴン型が
他の乗用車に紛れながら、
走っているんですって。

たしかに、あの霊柩車は
悪趣味な面もありました。
自分が死んだらあんな車に
乗せられるのかと思うと
気持ちがブルーになりましたね。
どうせなら、こんな車に
乗せられたい、そんな車を
終活ノートに書いておくのも
悪くないかも。

それにしても、
私たちは今、異常に 
死を忌みきらいますね。
あの漫画『100日後に死ぬワニ』も
映画化ではタイトルから
「死ぬ」という言葉を取り去りました。

もともと、死ぬことを
忌みきらう上に、
今は人類史的な疫病禍です。
毎日、道路を霊柩車が
何台も走っていたら
不安が大きくなるかもしれない。
あまり見てて気持ちが良いものでは
ないのかもしれない。

典型例な目立つ霊柩車が
滅んでいくのもわからないではない。

でも、人は毎日、どこかで生まれ、
どこかでまた誰かが息を引き取る。
これは誰もひっくり返せない、
人生の大原則ですね。

私たちに今必要なのは、
死者を遠ざけるのではなく、
死んだ人とも「対話」というと
大げさに聞こえそうですが、
死んだ人と話しかけたり、
身近に感じることではないかしら?

どうせ人はみんな死ぬんですから、
死は悪いことであるはずがない。

最近ちょっと思うんです。
亡くした父や祖父らと
もう少し戦争や昭和について
色々話を聞きたいことがたくさん。
今日もまた、夢の中で話を
いっぱい聞かせて貰おうっと。

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