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【読書の達人】佐藤正午から学ぶ読むチカラ。

読書の達人がいる。
わたしは絶対にできない
着眼点で小説やエッセイを 
読みほぐす人。

頭がいいとか、
教養が高いとかと、
半ば似てる知的な技術…
というべきですね。

佐藤正午という作家がいて、
この人の読書エッセイを
読んでると、つくづく
佐藤正午の読書中の
ひらめきや融通な自由さに
うっとりしてしまう。
その才能は羨ましいばかり。
 
身を少し斜めにして
作家からのボールを 
受け止めてるんでしょうか。

たとえば、小説の神様、
志賀直哉の『暗夜行路』には
こんなくだりがありまして、
「彼は、女のふっくらとした重味のある乳房を柔かく握って見て、いいようのない快感を感じた。それは何か値うちのあるものに触れている感じだった。軽く揺すると、気持のいい重さが掌に感ぜられる。それをなんていい現していいか分からなかった」

私は、とにかく真正面から
ありがたく受け止めて
読んじゃいます。

でも、佐藤正午さんは
笑いが止まらないと言う…!
「乳房を握られた女の反応は省略されているが、彼女の身になって考えてみれば「ちょっと、あんた」と男の手をはたきたくなるのではないか。むかし読んだときにも、今回再読したときにも、僕は笑いをおさえきれなかった」

は?
へ?

私は頭の硬いというか、
ユーモアが分からないというか、
『暗夜行路』は暗い内容だし、
日本文学史では鹿爪らしい存在と 
イメージしがちですが、
佐藤さんが読むと、
笑いが何度も起きる
爆笑小説なんだという。

まあ、たしかに、
女性は大切な乳房を揺すられながら、
女性側の観察や内面描写が
されてないのは、
一方的すぎるし、
いかにも女性への配慮が足らない
戦前小説らしいな、と思うのです。
ここでは、女性差別と騒ぐ前に、
志賀直哉の言葉使いの
直情径行さを笑うのがいい。

私は、鵜呑みになって、
言葉の表面を受け止めてしまう。
全体を味わう余裕がない。
斜に構える自信がないんです、
昔から。

文脈全体を、作品を、作者を、
丸ごと味わうスケールが
ないんだろうな?

自分を読書家だとは、
まだまだ呼べませんね(笑)。

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