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【偏差値と吸収力】人をふるい分ける適切な基準を、私たちはまだ知らない。

学歴主義は、選別する側にとって
非常に便利で効率的。
英語、国語、歴史、物理、数学
そうした、かなり偏った分野における
吸収力だけで、
10代は右往左往させられてしまう。

今は一芸入試も広がり出したけど、
将棋や弓道やゲームプログラムなど
習いごと、暗記、すなわち、
一定の、超がつく吸収力が
どれだけ高いか?
また、集中力がどれだけ高いか?
学びや成長に関してるものばかり。
人柄、キャラクターなどは基準にならない。

人生では学歴社会より、
更に、社歴社会だ。
エリート会社に入れるかどうかで
人生の収入は大きく変わる。

就活で必死に頑張った人は
エリート企業に入り、
信じがたい給料を手にする。
ちょっと古い言い方になるけど、
人生の「勝ち組」でしょう。

ただ、学歴社会も社歴社会もどちらも
人生を幸せに生きるための能力を
査定しているかというと、
そうでもない気がする。

私はなぜか歴史と英語には
無条件に素直に吸収することができた。
なのに、数学となると、
素直になることができなかった。
だいたい、分数というのが
まず理解しがたかった。
5分の8って、一体どんな形なのか?
それに対して8分の12を
掛けるって一体どういう意味なんだ?
私は数学になると、
1から納得ができなかった。
よく公式を丸暗記しろと
言われたけれど、
なぜ今この時にその公式を使うのか?
必然性はあるのか?と
疑問になりだすから、
もう、数学はぼろぼろでした。

これが英語や歴史では
そうした反発が起きなくて、
先生や教科書が言う通りに
丸暗記し、ひたすら受け入れた。
「バカ素直」になれるというのは、
世間を生きる上では重要らしい。

でも、ちょっとでも、
疑いが芽生えると、もう素直では
いられなくなりますよね。

それを、学校や会社は
落ちこぼれとみなすだけですが。

ただ、アインシュタインや
ニュートンらは、物理や数学を
基礎づける素養は100%素直に
それこそ赤ちゃんのように
吸収しまくっていきつつ、
次の段階で、今度は、現実に対し、
疑問の目を向けるようになる。

ずっと数学に対して
何かと反発していちいち疑っていたら
大学受験レベルには到底
至ることができません。
まして、研究者になるなど…。

素直に吸収するという能力は
実は非常に必要なものなんですね。

私も英語で単語や構文を暗記する時、
なぜ暗記しなきちゃいけないんだ?
アメリカ人の言葉でしょ?
と反発的になっていたら、
成績は下がったでしょうね。

なぜ、数学では素直に
なれなかったのでしょうか?
なぜ、歴史や英語では
素直になれたのかしら?
その違いは今も、よくわかりません。

まあ、ほんの数ミクロの好みの
違いに過ぎないんでしょうね。

学歴主義でさえ、この始末。
社歴主義も確かさは同じでしょう。
あやふやなものです。

人生を幸せに生きる能力、
人間としてまっとうな魅力、
そんなことを計測する基準を
もし挙げろと言われたら、
学力偏差値より、恋愛偏差値で
学生をふるいわけるのが
よほどまっとうではないかなあ。

恋愛偏差値がありなら、
国語現代文の能力ではなく、
文学創作偏差値だって良いでしょう。
アイデアや発想力の偏差値や
ラップ偏差値、
片付ける断捨離偏差値、
喧嘩をさっと止められる偏差値、
人を好きになる偏差値だって
学力偏差値と同じように計測し、
ふるい分けの大事な基準にしたら
どうでしょうか?

人間の世の中は、
まだまだ、人を本当に幸せにできる
ふるいわけ方を持っていないの
かもしれませんね。


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