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【戦後作家の肖像⑤】エロとエロスの違いとは?…吉行淳之介

戦後作家の肖像。
今回は、戦後作家でも
その甘いマスクからも
人気が高かった、吉行淳之介。

セックスやエロスは、
人の幸せに、
どれくらい影響をしているか?を
考え、語り、書いていた作家です。

かといって、
官能小説家ではなかった。
エロスを追求したけれど、
エロを追求はしていなかった。

吉行淳之介の作品には
純文学的な作品が多い。

作家っぽい中年男性と
何十才も下の女子との逢瀬とか、
または大学生の男子と
中年過ぎの娼婦との関係性とか、
そんないわくありげな男女を描いて、
幸せな恋愛関係は繊細で
どんなに壊れやすいかを
描いていた…私にはそんな印象でした。

悪くいえば、
男性側にとって夢のような?
男に都合のいいような?
男女関係を書いていたのかもしれない。
なのに、吉行淳之介のファンは、
女性も多かったんです。

甘くて色気のあるルックスが
その要因だったでしょうけれど、
それだけで、
女性が吉行ファンになるとは
思えません。
やはり作品も好きだったでしょう。

ただ、女性ファンの多さとは反対に、
フェミニストの上野千鶴子や
文芸評論家・斎藤美奈子は
吉行淳之介を
ミソジニー、女性嫌悪家だと
そろって指摘しているんです。

私が昔読んでた頃は、
そんな指摘に同意するような
女性蔑視な視点を、ワタシは
感じてはいませんでした。
私が鈍感なのか…(汗)?

吉行文学の女性ファンは
どちらかと言うと、
古風なタイプではなく、
新しい流行に敏感な人が
多かったような気がします。

とはいえ、
上野千鶴子と斎藤美奈子が
吉行はミソジニーだと言うなら
ある程度は、妥当なのでしょう。

吉行さんが生きた時代は、
1924年(大正13)〜1994年(平成6)。
男尊女卑の価値観がまだ
当たり前だったのでしょうか。

ただ、吉行淳之介ワールドは
エロスやセックスだけで
評価しようとしても片手落ちですね。

彼の作品を読む時は、
人生の哀しみが溢れ出してきます。
肉体的、精神的な生気が
どこか吸い取られてしまいます。
そうしたクールな儚さが癖になって
吉行文学にハマっていきます。
吉行さんの淡い悲観主義が
土台にあるのでしょう。

でも、吉行淳之介には
もう1つの側面がありました。
村上春樹の作品を
早い時期から高く評価して、
『世界の終わりとハードボイルド
ワンダーランド』を谷崎潤一郎賞に
推挙した選考委員だったんです。

村上春樹はそのことで
吉行さんには深く感謝していたと、
あるエッセイで書いていました。
吉行さんは、文壇で面倒見が良かった
作家でもありました。

さて、吉行淳之介は
ミソジニーではないかという
フェミニズムの話は
果たしてそうなのか?どうか?

また、だからといって、
それで、吉行文学には
読む価値がないとするのは、
行き過ぎではないか?
まずは自分で読んでみて、
吉行文学は女性蔑視かどうか?
判断していくのが理想でしょうか。

吉行文学は、私には
そちらの側面よりも、
生気が吸い取られるような
生きる儚さを繊細に描く面が
たまらなく好きでした。

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