コロナの向こう側へ!afterコロナより、beyondコロナ?
beforeコロナに戻れるか?
それは誰にもわかりません。
ただ、わかるのは、
beforeコロナへの道は、
なかなか厳しくて、
時間も半年や1年レベルでは
ないということでしょうか。
今のインフルエンザ並に、
ワクチンや治療薬が手元に
しっかり提供・確保されるまで、
私たちはずっと、
コロナの心配から解放されません。
こんな事になるなんて、、、
甘かったですね。
今年の1月でも呑気に構えてました。
これからは、
まさにWithコロナ。
そんな話を言われなくても、
生物として、ずっと頭の片隅で
いや頭の半分では
新型コロナウイルスの存在に
思いを馳せています。
今、私はもう50才なので、
悔しさ、歯がゆさもほどほどですが、
今10代20代なら憤懣やる方ないですね。
だって、好きになった人と
手をつなぐにも、
キスをしたくなっても、
頭の片隅では、
この女子は保菌無症状者では
ないだろうか?という疑問が
頭にもたげてしまい、
ためらうに違いないからです。
恋人に必ず疑いを持ってしまうなんて
あまりに無惨な青春ですね。
海外旅行も、色々と気をつけるというか、
警戒しながらで、きっと心から楽しめない
かもしれません。
太宰治が今生きてたら
コロナによって、
悲観的になるネガティブな心情を
見事に文学にしていたでしょうね。
『あの人が新型コロナに感染したのは、
もしや私のせいかもしれない』
保菌無症状の人間として
常に回りの人々を、
ダメにしてるんじゃないか?
ネガティブ思考な人で
他人の動向に繊細な人は
コロナで病む人への
責任感や罪悪感でいっぱいに
なってもおかしくないでしょう。
キリのない妄想や思い込みが
若い人には、いかに切実かは、
一度は若かった誰もが知ってます。
これからの日々。
ワクチンや治療薬がいつも
病院に大量にある時代が来るまでは、
私たちは、生きながら
ずっとコロナウイルスの存在を
感じながら、予感しながら、
食べ、話し、歩き、慎むでしょうね。
好きな人と思う存分にデートし、
プールで思う存分に泳ぎ、
コンサートで思う存分に
アイドルたちを応援し、
アジアやヨーロッパを存分に旅し、
結婚式では思う存分に祝い、
お葬式では思う存分に泣き合いたい。
でも、こうした、beforeコロナへの
未練はどうも百害あって一利なし、
かもしれません。
単にコロナが終わるのを待つよりも、
コロナ禍の向こう側へ。
コロナ禍を鮮やかに乗り越えていくのが
もしかしたら、理想ですね。
overコロナ、
beyondコロナ、
覚悟は固くしてくしかないようです。
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