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【人称】主語は省く方が良い文章になるというけれど…

文章講座を読んでいると、
1人称の主語はどんどん省きましょう
とありますね。
少なくしようという指南はあっても
主語は大事にしようという話は
聞いたことがない。

分かり切った人称の主語は書くな!
省略しても読者は困らないから!
と言うことかしら。

ところで、古文、古典で
私たち、いえ、私が一番苦労し、
その挙句、古文が苦手になったのは、
実は、主語の人称のほとんどが
省略されていたからでした。
なんで、あんなに主語を
古典の作家はみな省いたのかなあ?

もちろん、書いた当人は
「古典」とは思っていないけど(笑)。

なぜ、主語や人称は省くのか?
そこが解せない!と
紫式部や紀貫之を苦々しく
思ってました。
でも、おそらく、当時なら、
読者も何が省かれているか、
すぐに見当がついたし、
主語は無くても困らなかった、
無くても構わなかったでしょう。
「同時代人」の感覚として。

でも、平安時代、鎌倉時代なら
省略されてもすらすら読めた作品も
800年〜1000年たった今は、
私たち読者を困らせている。

現代文は勉強しなくても
ついていけたけれど、
古文はついていけなかった。
「源氏物語」は今も読めません。

だから今、文章指南の教室や
名文講座の本を書いている方々に
お願いしたいのです!

現代文であれ、
人称がわかりきっていても、
やっぱり、主語の省略は
推奨しないでほしいのです。

なぜなら、主語が省かれた文章が
仮に1000年後の未来人の誰かが
このnoteを読もうとして、
歴史や古文書の専門家や、
また古文の授業を学ぶ学生は、
きっと省略に苦労させられるから。

そんな1000年後の未来人のために
文章を書くのはおかしいというか、
1000年後に、戦争やら疫病で
「現代日本語」が滅んではいないか?
使用されているかどうかさえ、
分からない、こんな時代ですが…。

文字を読むのが好きな人は
いつの時代でも、
人称を省きたくなるのでしょうか。
その時代の「常識」を頼りに…。

なるべく、主語を使うのは
最低限にしましょう、
という秘訣はどこでも目にするけど、
1000年後の未来人のことを思えば、
主語はあまり省かない方が
利点があります。
それは未来の古文書家や歴史家に
すごく分かりやすいといって
喜ばれること、間違いなしだから。
(笑)。

うーむ、主語は
省略すべきか?省略しないべきか?
これはこれで、
文章をうまく書きたいと願ってる
人間なら、一度はじっくり
考えぬいておきたいかもしれない。

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