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【作家】幸せは過去の中にしかない哀しみ:トルーマン・カポーティ

「以前暮らしていた場所のことを、
何かにつけふと思い出す」
これはトルーマン・カポーティ
『ティファニーで朝食を』冒頭文です。
村上春樹訳。新潮文庫。

『ティファニーで朝食を』は
映画では定番の恋愛映画に
作り変えられたけれど、
本当はそうではありません。
処女長編『遠い声、遠い部屋』
『誕生日の子供』
『クリスマスの思い出』もそう。
どれもみな、カポーティ自身の
実際の性格や行動とは違って(笑)
優しくて美しい物語が語られます。
いや、美しい人生を失った喪失者の、
優しさや温かさに満ちた虚構の物語。

カポーティの作品はポツポツと
若い頃から読んできましたが、
オードリー・ヘップバーンの
映画のためだったり、
村上春樹が絶賛していたからでした。
自分ではその魅力の原因について
わかってはいませんでした。

「何かにつけふと思い出す」
これがカポーティにとり、
象徴的な言葉だと気づいたのは
ごく最近です。
カポーティは、過去にうっとりして
幸せの原点だと固く信じた人でした。

少年時代に母親から離れて暮らし、
孤独な寂しい日々を生きました。
田舎での母との暮らし、
オーブンのお菓子の香り、
雪やあひるの思い出。
そうした母といた過去の体験が
とても幸福に満ちた日々だったと、
いや、そう思いたがっていた
ように思えてなりません。

カポーティはいつもそこへ
立ち返るかのように、
温かくて幸せに満ちた幼い日々を
「何かにつけ思い出す」ようにして
本を書いたのではないかしら。

それから、
10代後半、ニューヨークで
小説を書き出した無名時代を
また美しき良き時代として
振り返るかのようになります。

彼は短かった汚れない過去をいつも
甘く優しく慈しんでいたのでしょう。
まるで甘くもなく
優しくもない現実と
向き合うのが怖かったように。

彼の実人生は
アル中でしかも薬中で
虚言が多く、やたらと派手で、
見栄っ張りで、名声を求め続けた、
思えば、悲し過ぎる作家でした。

それなのに、筆をとるや否や、
カポーティはいつも美しい物語の
中心人物になることができたのです。

デビュー作の高い評判で
「アンファン・テリブル」
(恐るべき子供)と呼ばれた
トルーマン・カポーティは
現在や未来を眺めるのが怖い
傷つきやすい不完全な子供のまま
年を重ねたのかもしれませんね。

そんなカポーティを、
『冷血』執筆に夢中になるあまり
壊れていく姿を描いた『カポーティ』
という映画があります。

明るい映画ではないですが、
それでいて心の奥に何かが
染み入る、美しい映画です。
なぜだか年に一度は観たくなる…。

不完全な人間について
考えさせられるからかしら。
いや、人間の不完全性について
考えさせられるからでしょうか。



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